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鉄拳の騎士  作者: sui
第二十五話 意志と硬さが桁違い
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第二十五話 2

――ここ……どこだ……?


 落下の衝撃で気を失った晃は、ぼんやりとした意識の中で幻覚を見る。

その光景は昨日、気怠い気分の中歩いた三咲の商店街だった。


――そういや、俺はなんでここに来たんだろうな……


 鮮明な色合いで思い出す事ができる、寂れた商店街の幻。

自分以外の生き物が存在せず、風の音すら聞こえない。

昨日と同じように歩きながら、晃は自分の選択について考える。


――やっぱ、前にここ来た事あるよな……?


 偶然、見知らぬ場所にたどり着いたつもりだった。

しかし幻の中で再び見る商店街の光景には、何故か懐かしさを感じずにはいられない。


 歩みを進める度に、寂れた商店街に在りし日の賑わいが戻る。

同時に鮮明だった色彩が少しずつ失われ、ぼんやりとしたセピア色に染まっていった。


――ガキの頃だな、これは……


 視点がどんどん低くなり、この商店街が子供の頃の記憶と繋がっている事を悟る。

歩みを止めた時、今はもう存在しない洋菓子屋の幻影が目の前に建っていた。


――覚えてる、俺はここを……覚えてる。


『いちごタルト、今日も買っていく?』


 不意に隣から聞こえてくる、女性の声。

左手を握る、温かい感触。

晃が顔を向けた先にいる、優しくて懐かしい顔。


 今はもういない、母との思い出。


『おうち帰ったら、一緒に――


――ああ、そっか。だから俺は……


 自分の無意識が三咲に足を運ばせた事。

心の不調が、遠い昔に置いてきた思い出を欲していた事。

それらを理解した瞬間に、意識が現実に引き戻される。

懐かしい光景がまた、晃の心の奥底へと仕舞われていく。

 


――寂しく、なっちまったから……



 

「母ちゃん……」


「母ちゃんではない!!私だーーーー!!!」


 思い出の後に待っていた現実は、心地のよいものではない。

晃の譫言に返事をしたのは母ではなく、因縁深き生活指導の教師、中西だった。


「だぁぁぁぁ!?何っっだようるせえ!!!」


「……よし、意識が戻ったようだな!芽吹!!」


 中西の顔面が間近に迫る、騒がしくて最悪の目覚め。

当然のように激昂する晃だったが、対する中西は晃が目覚めた事によって安堵の表情を浮かべていた。


「つーか中西……?ええと、何がどうなったんだ……」


 晃は目覚めたばかりの頭を回転させ、周囲を見渡して状況を確認する。

 

 汚らしく湿った床。破損して壁からぶら下がる空調ダクト。

とうの昔に機能を止め、面影がなくなるほどに劣化した機械類。

ここまでずっと漂っていたカビの臭いに、錆びた鉄と古びた油のような悪臭が加わる不快な空間。


 ここは先程まで自分達がいたリネン庫の真下、オズヴァルドが空けた穴から落下した先。

今はもう機能していない、地階の空調機械室。


「チーちゃん……千智に関する事でキサマに追及したい事が山ほどある、が……!」


「やっぱあいつ、テメェの子供か……って、お前その怪我……!?」


 晃の無事を確認した中西は声色こそ荒ぶっているが、いつものような怒鳴り合いを起こすそぶりを見せない。

軽傷で済んだ晃とは違い、中西は全身に酷い怪我を負っていた。


「……後に回さねばならん事情が出来た。そこで待っていろ…!!」


 中西は必死に痛みを堪え、青ざめた顔に多量の汗を流す。

骨折した右足を引きずって地下室を出ようとするが、歩行もままならない。

そんな状態であっても行かねばならぬという、強い怒りと執念が見て取れた。


「ちょっと待て!どう見てもやべーだろお前!落ち着け!」

 

「ええい、離せっ!私は若い頃〝ヒールホールドのモンちゃん〟から指導を受けた身だ!この程度で……っ!」


「誰だよ!?何する気か知らねえけどその足じゃ無理だ!ヒールホールドとか1番ダメだろ!!」


 普段の様子からは想像できないほど取り乱す中西を見て、何らかの異常を察した晃は慌てて止めに入る。

珍しく晃が中西を諌める構図になるが、落ち着く様子はない。


「キサマには関係のない事だ!わけのわからん悪漢から娘を……チーちゃんを助けなければならんのだ!!」


「あんたがあのクズをシバきに行くってか?やめとけ!殺されんぞ!」


 家族を想い、理不尽を憎み、娘を助けたい気持ちには共感できる。

だが、晃は千智を捕らえた悪意の強さと底深さをよく知っている。

無力な中年男性を一人で行かせた末路も容易に想像出来る以上、止める以外の選択肢はない。


「キサマに何がわかる!大事な娘だ!家族なんだ!!たとえこの命と引き換えになろうとも――


「……あ?」


 “この命と引き換えになろうとも”。

錯乱する中、それでも娘を想うあまりに出たその言葉を晃は聞き逃さなかった。


――この野郎、死にに行くつもりか。勝てる見込みもねえくせに、千智を置いて……!!!


 自分が命を捨てればどうにでもなる、とにかく娘さえ助かればそれでいい――焦りと不安が極限に達しているが故の、何一つ現実が見えていない発言。

それがわかっていても、晃はその発言が許せなかった。


「じゃあ、千智はこれから親父のいねえ人生を送る事になるな」


 千智を想うが故の言葉は、鋭く、冷たい。

今まで中西との衝突で向けてきた、激しく喧しい怒りとは真逆の形をしていた。

 

「な、なにを言って……!?」


「あいつの母ちゃんも忙しくなって、一緒にいる時間はもっと減る。家に帰っても誰もいねえから、帰らねえ」


 今までにない重みを持ったその言葉は、頭に血の登った中西に届き熱を奪う。

晃は表情のない顔でじっと中西を見つめ、言葉を続ける。


「昨日、俺が公園で会った時みてえに……千智はずっと独りで、寂しいツラして過ごすんだ」


 晃の脳裏に、暗くなり始めた公園で独りブランコを漕ぐ千智の姿が思い浮かぶ。

まるで母を亡くした頃の自分を遠目から見ているような気分だった。だからあの時どうしても気になった。

晃は自分の言葉で、そんな気持ちをようやく自覚した。


「テメェがどこでくたばろうが知った事じゃねえけどな!“残された子供”がどうなるか頭に無えってんなら、許すわけにはいかねえんだよ!」


 普段の晃には、相手に怒りをぶつける時に胸倉を掴む悪癖がある。

中西に対しても度々行なっていた事だが、今回掴んだのは胸倉ではなく両肩だった。


「そ、そうか……お前は……」


 いつになく真面目な態度を受けて、晃の言葉に強い意図がある事を理解する。

かつて生活指導の教師として聞いた、晃の家庭環境――母を早くに亡くし、父も行方不明である事をようやく思い出した。


「あいつの爺ちゃん婆ちゃん……あんたの親、まだ生きてんだろ!?親の葬式なんてまだ出た事無えんだろ!どんな気持ちになるかなんて、知らねえんだろ!」


 晃の声が次第に大きくなるが、声色からは対照的に怒りの感情が薄れ始める。

それは中西を止める言葉であると同時に、“残された子供”の慟哭でもあった。


「棺ん中、お花でいっぱいでよ……死化粧も綺麗で……でも、顔触ったら、粘土みてえに冷たくて……」


 語られるのは、忘れ難き晃の過去。

そして、中西が殺された先に待つ千智の未来でもある。


「おっかねえ火葬の機械に、棺ごとベルトコンベアで運ばれて……出てきた母ちゃんの姿は、もう……人間じゃねえ……」


 晃の声と身体から、次第に力が抜けていく。

いつのまにか中西の肩に置いていた手を離し、その場に座り込んでいた。


「お骨上げが終わりゃ、残んのは思い出だけだ。話したい事も、一緒にやりてえ事も、いっぱいあったのに……」


 他人に見せられない有様になった顔を伏せ、頭を抱えて蹲る。

母の記憶に必ずついてくる、頭から消えない最期の光景。

思い出は呪いへと変質し、ずっと晃を苛んでいた。


「ずっと思い出だけが……あの日の事が頭から離れねえ。今でも夢に見るんだ……何年経っても、ずっと」


 晃の吐露する心の内を、中西は黙って受け止める。

難物二人はこの異常な環境においてようやく、学校の中では出来なかった“教師と生徒”のやり取りを交わすことができた。


「……そんな思いを、今の千智にさせるつもりか?」


 過去を吐き切り、顔を上げて未来を問う。

弱りきった声と表情はすでになく、ただ真摯な眼差しで中西を見つめた。


「……お前の忠告はよくわかった、心に刻むよ」


 中西もまた、真っ直ぐに晃の言葉を受け止める。

嫌味な生活指導と粗暴な不良生徒の関係は、腹を割った男同士のものへと変わっていた。


「しかしな、芽吹。親として子供を見殺しにする選択だけは、どうしても取れない。ひとまず考えるべきは――


「千智は俺が助けに行く。それでいいだろ?」


 語るべきを語り、止めるべきを止めた。あとは己が動くのみ。

晃は中西の言葉を途中で遮って立ち上がり、空調機械室の出口の方を向いた。


「ま、待て、キサマ一人で行かせてたまるか!私も――ッ!?」


 中西は慌てて後を追おうとするが、折れた足を動かす事が出来ずその場で転倒する。

気分を落ち着けた事でアドレナリン分泌が止まり、身体の痛みを誤魔化す事ができなくなっていた。


「あんたはそこで寝てろや、もうウダウダ喋ってるヒマねえよ」


「ぬぅッ……なっ、何故だ!?何故キサマがそこまで……」


「俺も千智を助けてえんだ。それ以上の理屈はねえ」


 中西に納得を与える言葉は、極めて単純。

何故千智と出会い、どういう過程を経て、どんな感情でここにいるか……そんな事を説明している時間はない。

全力でそれを為すという想いだけを、短い言葉に込めた。


「ぼっ……暴力行為を容認するわけではない……ない、が……ッ!」


「誰に何言われようがやるぞ。許してもらうつもりもねえ」


 葛藤が中西の顔を歪め、言葉を絞り出す唇には血が滲む。

生徒の暴力行為を肯定するなど、教師としてあってはならない。

しかし自分は立ち上がることすらままならず、何か出立てを持っているわけでもない。

結論はすでに、喉の奥まで出かかっている。


「頼む、私の娘を……助けてくれッ……頼むッ……!!」


 もはや頼りにできるのは晃しかいない。

瞳に悔し涙を溜め、額を地面に擦り付けながら中西はその言葉を絞り出した。


「任せろ」


 機械室を去る晃の背中が、その願いを聞き届けた。


「芽吹……キサマが、モンちゃん先輩のような男になれるのなら、或いは……!」


「だから誰だよモンちゃんって!!!」

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