第十七話 1
時間は真夜中、場所はとある大企業の一室。
壁にかけられた貴重な絵画、円滑な会議を促進するよう設計された机と快適な座り心地の椅子、煌びやかな照明。
本来はVIPの客人を迎え入れ重要な商談を行う為の部屋で、この日の業務が終わりほぼ全ての社員が帰宅している時間に使われるはずのない部屋。
「――タイヘン興味深い。アナタの提案、今の私にはワタリにフネというものデス」
外部から話を聞かれないように機密性が保たれた部屋に〝それ〟を招き入れたのは、臙脂色のスーツを着た品格を感じさせる40代の女性。
この部屋の使用権を持つ、この会社において重要なポストを担う人間。
ハンガリー人である彼女の日本語は流暢ながらも所々が不慣れで、どこか愛嬌を感じさせる。
「いやいや、こっちこそ面白いものを見せてもらったよ。ガウリー夫人」
女性と会話する相手は本来ここにいてはいけない存在。異世界からの侵略者。
いつもの仕事服である白のスーツを着た神聖騎士団上位騎士爵・ロミルダだった。
「レイラ、と呼んでいただいてかまいませんよ。アナタにはどのビジネスパートナーよりも深い感謝とソンケイを抱いておりマスので」
ハンガリー人の女性、その名はレイラ・ガウリー。
此方の人間とは決定的に異なるロミルダの瞳を見ても平然とした様子を崩さず、それどころか親愛の情すら見せて微笑んだ。
「植物由来の名を持つ剣晶は数が多いが等級が高いものは稀で、この薔薇の赤も本来ならここまで力を溜め込んだ剣晶ではないのだけれどね」
好意の言葉を聞き流したロミルダの手には、レイラから借りた赤い剣晶が握られる。
じっと見つめて、その剣晶に宿る〝特別な何か〟に関心を寄せる。
「ソレは、この剣晶が歴史を持っているから……その昔、私の祖国で数多くの人間をサツガイするために使われたからでしょうね。諸説ありマスがその剣晶に捧げられた人間の数は最低でも300人から――」
自らが所有する剣晶にまつわる過去、それは祖国の血塗られた歴史。
本来忌むべきそれをレイラはまるで自慢話でもするような口ぶりで語る。
当時の虐殺と犠牲を忌避しないどころか肯定しているようでもある姿に、普段決して表に出ないこの女の暗黒面が滲み出る。
「ほう、年代物か。これならば私の試作品によって望み通りの結果を齎すだろう……しかしよくこんなものを用意できたものね」
ロミルダは剣晶を返却する為机の上に置いた後、もう一つの物品を横に並べた。
それは剣晶の力を身に纏う為の禁忌。
オズヴァルドから歌室真吾に渡された物と同一の試作品、ソードホルダーⅡだった。
「研究、地位、オカネ……積み重ねてキマシタからね。あなたのおかげで最後のピースが埋まりました。あとは計画を実行するのみ」
レイラが剣晶とソードホルダーⅡを手に取ると、美しく保ちつつも年相応の皺が見える顔で歪な笑みが浮かんだ。
侵略者によって用意された事件の引き金は、悪心を持った人間によって引かれる。
「我が身に、エルジェーベトの奇跡を甦らせる計画を」
JRICC本部、実践訓練室。
晃はアーマライザーを用いて大剣を駆使する相手――神聖騎士オズヴァルドを想定した戦闘訓練を行っていた。
「……ハァイ、今日はここまでにしとこうね麗華くン。それ以上やったら晃くン死ぬから」
「終わりよ、晃くん。お疲れ様」
篝火の合図と共に、麗華は訓練用に用意された大剣を片付けて自らの剣晶を取り外し鎧の装着状態を解除。
額の汗を拭って、倒れた晃に手を伸ばした。
「う、うるせぇ……まだ……出来てねえんだよ……!」
大剣同士での打ち合いは決定的な技量不足と、重量とサイズが大き過ぎる名剣あきらまるのピーキーな仕様によって思うような動きが取れない。
拳を用いて対抗する戦法では回避をほとんど行わない性格が仇となり、攻撃を受ける一方で上手く受け流す技術を編み出せずリーチの差を埋められない。
上手く出来ない焦りと自分への怒り、そして肉体へのダメージが蓄積し晃はボロボロになっていた。
「焦らないで。オズヴァルドを上回るにしても一朝一夕では無理よ」
麗華はまだ立ちあがろうとする晃から無理矢理剣晶を取り外して鎧を解除させ、手を差し伸べる。
「クソッ、あんま時間かけたくねえんだけどな……」
まだやれる、と言いたくても身体の痛みが言わせようとしない。
晃は現状ではどうにもならない現実を噛み締め、渋々と麗華の手を取り立ち上がる。
「後片付け終わったらこっち来てネ、お客さン来てるからサ。麗華くンのお友達だよ、例のお友達」
「ええ……?なんでこんな時に……」
「大変に興味深い案件を持ってきてくれた。キミ達の力も絶対必要になるからミーティングしなきゃならン。そういうタイプのハナシ」
実践訓練室を出てようやく一息つけると思っていた二人に告げられた篝火からの注文に、麗華は深いため息をつく。
特に〝例のお友達〟という単語を聞いた時には、表情に心底げんなりした感情が浮かび上がっていた。
「友達って……あいつらとうとうここを突き止めやがったのか!?メガネのハッキングかなんかで!?」
「そんなわけないでしょ。あの三人じゃないわ」
お友達、と聞いて晃の脳裏に浮かぶのは同じ高校に通い、なし崩し的に何度も戦闘に巻き込んでいる賢治、宏、亜由美の三人。
最近では自分から首を突っ込んでくる彼等にもJRICCに関する事だけは秘匿し続けていたが、ハッカーであり他人のプライベートを覗く事に一切躊躇のない亜由美はいつかここに辿り着くのではないかという不安はあった。
「でもお前、あいつら以外で友達いねえんじゃねえの?」
「……何?なにか文句でも?」
戦いに身を置く特異な生まれと立ち位置を持つ麗華は荒事に巻き込まないために一般人と距離を置いて生きてきた。
亜由美達三人と流れで友人関係を結んだのも、晃という例外が飛び込んできたからのこと。
そんな晃の口から何気なく出た言葉は間違いではなかったが、無神経な物言いが麗華の神経を逆撫でして声を鋭く冷たくした。
「いや、そうじゃねえけど……」
突然機嫌を悪くした麗華に、晃は面倒臭さを隠そうともしない声で返答した。
怒りの炎に油を注がれた麗華は、晃から顔を逸らして反撃を始める。
「もしそれが……男の子の友達だって言ったら、どうする?」
「あ!?男!!??……い、いや、別に……どうも、しねえ……けど」
麗華には自分より前から知り合った、おそらく親密であろう男の存在がある。
突然投げ込まれた衝撃の事実に晃の表情が一変。
目玉を剥いて大声を出してしまった後、すぐに平静を装いなんでもないような台詞を吐くがその声から動揺が消える事はない。
晃の思春期に大ダメージを与えた事は、麗華の目から見ても明らかだった。
「フフッ、嘘よ。親の付き合い。つまりJRICCに関する秘密を共有する知り合いで、私の裏を知ってる……女の先輩。そんなに驚く事じゃないでしょ?」
予想以上の効果を確認し、溜飲が下がった麗華は意地悪な笑みを浮かべて振り向き、ネタをばらして晃の心を弄ぶ。
出会った頃から微かに見え隠れしていた、母や妹によく似たイタズラ好きの一面は晃に対してはより一層強くなる。
「お、おう……だってお前そんな話今まで一度も……」
「自分の事を全部話してないのは、あなたも一緒でしょ?」
――フン、少しは私の気持ちを思い知ればいいのよ。
どこかほっとした様子の晃だったが、麗華の口撃はさらに続く。
この行動は晃を見舞いに行った時に見た陶子への様子に対する苛立ちからも来ている。
麗華の知らない、知る術の無い晃の親しげな態度がどうしても気に入らなくて、意地の悪い事を言わずにはいられなかった。
「な、なんだよ!別に俺は……」
移動しながら口論しているうちに、晃と麗華は篝火の待つオペレーションルームにたどり着く。
そのまま中に入ろうとした二人だったが、自動ドアが開いたすぐ先には待ち構える人物がいた。
「遅い」




