第十五話 2
「いい店だろ?チェーンの喫茶店なんて俺に言わせりゃ邪道だ。こういう古臭え時代遅れの店で飲むコーヒーが一番美味いんだよ」
少し機嫌の良い船橋に連れられて入るルーエンハイムの裏口、一見して店舗の入り口には見えない扉の中。
胡散臭い船橋の話には半信半疑だった学生一同だったが、少し足を踏み入れただけで漂う豊かなコーヒーの香りでここが喫茶店である事がすぐにわかった。
「す、すごっ……まるで漫画の喫茶店みたい」
ペンダントライトに照らされる、暗めの色合いをした木製のテーブルと椅子。くすんだ色合いの壁には年季を感じさせる壁掛け時計と店主が趣味で集めたと思わしき絵画が数枚。
古いタイプの大きなコーヒーミルを置いたカウンターの奥には白髪髭を生やした気難しそうな顔の老人が椅子に座り、静かに佇んでいる。
昭和の空気を色濃く残す空間を目の当たりにした里奈は思わず驚きの声を上げる。
「よう、爺さん。またちょっと店借りるぜ」
「………………せめて静かに使え。お前の連れてくる子供は五月蝿くてかなわん」
店主は気さくな挨拶を交わす船橋を睨み、重い口調で釘を刺す。
二人の言葉のやりとりには、古くからの付き合いを感じさせる。
「どうせこの時間は人来ねえだろ。ホレ、懐かしい顔も連れてきてやったぞ」
店主の苦言を適当に聞き流した船橋は、一同の最後方に潜みなるべく店主の視界から外れようとした晃を強引に前へと引っ張り出し、対面させた。
「………………まだ警察の世話になってるのか」
「……オス」
機嫌が悪い時はどんな相手にも食ってかかる晃だが、店主の鋭い目に睨まれるといつもの凶暴さが出ない。
祖母と同年代と思わしきこの老人が、晃は少し苦手だった。
「………………もうそろそろ荒事から足を洗え、家族の為にもな」
「うるせえな、今日はこの野郎が勝手に巻き込んできやがったんだよ!」
「うるせえのはお前だよ、いいからこっち座れ。お嬢さん方もな」
家族を引き合いに出された事で怒りを取り戻した晃だったがすぐに襟首を船橋に掴まれ、奥の四人がけテーブルへと引きずられる。
晃の隣に麗華が座り、船橋の隣に里奈が座って向かい合う。
「本当に大事な話なんですけど……ここで大丈夫なんですか……?」
「ああ、大丈夫だ。俺はここでいくつも仕事をしてきた。会話が軸になる仕事をな」
イメージしていたものと全く異なる環境に放り込まれ、里奈は不安が隠せない。
そんな様子を察した船橋は、特に警戒心を持った人間の緊張感を解く、警察の仕事を感じさせる声色で里奈に答えた。
「時間を選べば人は来ねえ。誰かに聞かれる心配もねえ。店主は口が堅い。雰囲気の良い空気に美味いコーヒー。おまけに茶菓子として表で売ってるケーキを食えるとあっちゃ、気の立ったクソガキもだいたい落ち着くってもんだ。晃はいつもそうだったな」
「「ケーキ……」」
名店•ルーエンハイムのケーキ。荒れた子供達を懐柔し対話の席へと誘う船橋の切り札。
それは、年頃の女子である里奈と麗華の不安と警戒を緩める事にも効果的だった。
「爺さん、俺と晃はいつものやつ。あんたらも奢ってやるから好きなもん頼みな、話はその後だ」
――今のところ完全にこの男のペースだけど、大丈夫なのかしら。
話のわかりそうな警察とのコネクションを作る事が目的だが、船橋がそうであるかはまだ判断できない。
麗華は今までの会話からこの場での対話を何度も経験していると思わしき晃に視線を送り、今回の流れの是非を無言で問う。
「ケーキ食う分には問題ねえよ、いつもやってた事だ。船橋はマジでうぜえけど、爺さんはまぁ悪いヤツじゃねえ。俺は苦手だけどよ……」
「では、チーズケーキ」 「わ、私はモンブラン……」
晃の反応に従った麗華と、後に続いた里奈がそれぞれの希望を注文する。
しばらくした後に店主が無言で運んで来たものは女子二人のオーダー通り、チーズケーキとモンブラン。
そして男衆の〝いつもの〟。船橋のブラックコーヒーと、晃のイチゴクリームショートケーキ。
「わぁ……」
ピンク色のイチゴクリームをふんだんに使用した上に、大粒の苺を乗せたケーキ。
女子組のクラシックなものと比べて華やかなケーキが、危険人物の前に置かれる光景に里奈は目を丸くした。
「晃くん、苺大好きだって言ってたもんね……ふふっ」
「な、なんだよ!俺がイチゴショート食ったら悪いのかよ!」
里奈の反応と、まるで愛玩動物を見るかのような麗華の笑みで自分がどう見られているかようやく理解した晃は顔を真っ赤にする。
そこに〝嘉地鬨の災害小僧〟としての姿はもう無い。
「あんた、こいつを随分怖がってるみたいだが蓋開けりゃこんなもんだよ。この苺好きのガキが正体だ……友達の頭をおかしくした元凶の、な」
里奈から晃への認識が軟化して険悪な空気が和らいだ時、船橋の口からようやく本題が語られる。
「ケーキ食いながらでいい、始めようか」
隣に座る里奈に視線を向け、話を促す。
晃の様子が落ち着き、危険がないとようやく実感できた里奈はゆっくりと口を開いた。
「……さっきも言いましたけどね、私の幼馴染のシンちゃん……昼間私と一緒にお邪魔したあの子。あの子がおかしくなったの、芽吹さんのせいなんですよ」
「関係ねえよ、って言いてえけどそうもいかねえらしいな。去年がどうとか言ってたか、覚えてねえけど」
晃はようやく平常心を取り戻し、見に覚えがない事を改めて強調する。
「はい、去年の春です。あの時のシンちゃん、ボロボロにされてたけどすごく目がキラキラしてて……すごい男に助けられた、あの人はすごいってずっと言い続けるようになって……」
里奈が話し始めたのは、昨年に真吾が晃に助けられた後の話。
悪漢達の戯れに襲われ、財布を奪われ、無力感に打ちひしがれた日の出来事。
別口で巻き込まれた晃が全てを殴り倒し、偶然助けられる形になり、その強烈な体験によって真吾の脳が焼かれた日の出来事、
「それからあなたの事を詳しく知ったみたいで、それからずっと芽吹さんリスペクトだって言って、ガラの悪い真似ばっかりするようになったんですよ」
「今回警察が絡んで来たのは、それで喧嘩もするようになったという事?私達が警察以上の事を出来るとも思えないけれど」
「ところがそうもいかなくなった、これを見てみろ」
麗華の指摘を待っていたかのように、船橋が懐から写真を数枚取り出し、机の上に並べた。
「ここ最近起きた喧嘩騒ぎの現場写真だ。相手はどれも詐欺やらなんやらやってた半グレ共らしいんだが……問題はそこじゃねえ、見てみろ」
写真には喧嘩のあった現場が写される。
コンクリートの壁や床に拳がめり込んだ痕が残り、中には刃物で切り傷をつけたようなものすらある。
ここに剣晶と晶獣が関わった事の証であり、晃と麗華が関わるべき事件の証でもある。
「中学生の……と言うより人間の所業じゃねえよな。それに加えて今日こっちの……浦部 里奈さん、だったか。彼女から重要な証言を聞かせてもらった」
「えっ!?そ、そんな警察の役に立つ話あったかなあ…?」
「あったさ。俺らじゃなくてこいつらにとって、な。あの話してやってくれよ、アクセサリーの話」
「シンちゃん、芽吹さんの真似して変なださい服買い集めてたんですけどその中にひとつだけ不気味って言うか……変なものがあったのを見たんです」
「……大きめの宝石、みたいなもの?」
アクセサリーという単語を聞き、麗華は真吾の異変の元凶に当たりをつけた。
「あ、はい!そうなんです!シンちゃんは隠してたみたいだけどなんか……青い宝石がついた、不気味なベルトっていうか、バックル……?」
「おい!それって……!!」
「おそらく剣晶と、奴らの言うソードホルダーとやらね……」
「ほらビンゴだ。この〝宝石〟の痕跡が入ると俺達警察は積極的な捜査が難しくなる。だからこれと歌室真吾を結びつける証拠をうまく抑えられない。これが何故かは、お前ら二人ならわかるよなぁ?」
晃と麗華の態度から確信を得た船橋は、思わせぶりな台詞と共に怪しげな笑みを浮かべる。
向かい合う晃達と船橋の間に緊張が走り、ここから話の本題が始まる事を予感させる。
「……本来ならシルバーセキュリティが対応する案件だから、ですか」
「そうだ。なのにあいつらも動きが硬いもんでな。せっかく譲りたくもねえ手柄を譲ってやってんのに、相手が少し尻尾を隠しただけで前みたいに大手を振れねえらしい。まぁこれは俺達と領分の取り合いで揉めまくった過去のせいではあるが」
思い切って自らの裏を仄めかせた麗華に対して、最初は警察の守秘義務を盾にしていたはずの船橋もすんなりと自らの裏事情を話し始める。
「お、おい……それ言っちまっていいのか?」
「そのためにわざわざここまで来させたって言ったろうが。まだるっこしい前振りはもう終わりだ……詳細までは知る権限はねえが、俺らだって木偶の坊じゃねえ。シルバーセキュリティと特防省……もっと言うならお前ら二人がどういう立場にあるのかはある程度把握している」
まだ状況についていけず動揺する晃などお構いなしに、船橋の話が続く。
「もしあなたが私達にこの件を片付けろ、と言うのなら警察の意向に反する事になりますが……?」
「警察も一枚岩じゃねえ。雑に言うと派閥っつーか、そういうもんがあってだな。特防省が幅効かせてる旧態然とした現状、それが原因で目の前の事件に全力で取り組めねえ状態を良く思わねえ奴らも多くいるって事だよ。俺もそいつらに一枚噛んでる」
「写真を見る限り歌室くんの裏にあるものは、確かに私達の側で解決すべき案件……手詰まりの状況を打破するきっかけにはなりますが……」
「てめぇにパシられんのはどうも気に入らねえなあ」
「そう言うなよ、晃。利害は一致してんだろ?見返りとして今後、警察側の情報をそっちに横流ししてやる……って言えばお前らの上の連中にだって言い訳は立つはずだ」
船橋の人格はいまいち信頼に値しないが、大人しく協力する事が双方の為になる事は二人の頭でも理解できる。
それでも釈然としない気持ちが顔に出る二人を丸め込むべく、船橋は出来る限りの利を説明し続ける。
「晃くん、たぶんこの人の言う通りだと思う……気に入らない気持ちはわかるけど」
「……もしなんかウソついてたら、そん時はそれなりのケジメとらせっからな」
腹の底から湧き出る不信と激情。今までの晃には怒りと暴力に変換するしか処理する方法のなかったもの。
飲み込んで我慢できる現在の理性は、隣にいる麗華の言葉に後押しされて生まれる。
「安心しろ、これ以上裏はねえよ。しかしどういう経緯があったかは知らねえが、晃……まさかお前がそっち側に立つなんてな。もうお前のツラ見たくなかったのに俺にとって都合が良すぎるもんだから、困っちまうよ」
「うるせえ!結局俺ら何すりゃいいんだよ!?さっさと話続けろや!」
「単刀直入に言おう……晃、歌室真吾を倒して剣晶とやらを奪え。今までお前らがやってきたように」
「なっ……待ってください!倒すって、シンちゃんとケンカするってこと!?」
「そうなるな。だがこれが誰にとってもベストな選択だ、歌室にとってもな」
「やめてください!芽吹さんと喧嘩なんかさせたらただじゃ済まなくなる!今はイキがってるだけで、シンちゃんほんとはすごくケンカ弱くて……ただ足が速いだけが取り柄の……!」
暴力に走った真吾を止める解決策として提案された暴力。
真吾の身を案じて警察に助けを求めた里奈にそれが受け入れられるはずもなく、激しい反発を産む。
「逆よ。私達以外に対処させたら歌室くんが死人を出してしまうかもしれない。それくらい今の彼は危険な力を持っているのよ」
麗華の言葉には先程まで里奈に接していた時のものとはまるで異なる、戦士の視点からくる重みがあった。
「今までこいつらの活動が死人を出した事はねえ。それに晃はどうしようもねえバカだが、あの人の孫だからな……殺しをやるほど腐っちゃいねえよ」
「知ったようなクチ聞いてんじゃねえ!!……でもまあ、そうするしかねえわな」
船橋の言葉には、この中の誰よりも古くから晃を知る者としての説得力があった。
晃自身も船橋の言葉選びに苛立ちはするものの、他に手がない事はよくわかっている。
「ほ、本当に大丈夫なんですか!?それで本当にシンちゃん元に戻るんですか!?」
「俺に責任取れって言ったのはテメェだろ。これくらいしか能が無えんだ、あいつのためにしてやれる事は他にねえよ」
「最悪の場合、私が彼と歌室くんを止める役割を務める……それで納得してもらえないかしら?」
「…………納得できるわけじゃありません。でも、皆さんがシンちゃんの為に動いてくれる事はわかるから……」
それぞれの思惑は違えど、次々と決意を固める一同が真吾を助ける為に動こうとしている事実だけは信じたい。
そう思った里奈は不安と不信をモンブランと共に一旦飲み込み、彼らの戦いを受け入れる道を選んだ。
「それにな、言って聞かねえバカ相手ならそうするしかねえんだ。俺のマネしてんのも気に食わねえし……この話乗ったぜ、船橋」
「言って聞かねえバカ筆頭が言うと説得力が違うゼ……」
「ちょっ、宏、宏!声出てるよ、バレちゃうって……」
喫茶店の窓を少しだけ開けて覗く影から、小さな声が漏れ出す。
「よし決まりだ。じゃあさっそく行動に移ろうぜ、今すぐにでもな」
「わ、私も行きますからね!ケンカ始まる前に説得したら聞いてくれるかもしれないし!!」
「勿論だとも。というより、俺の描いてる作戦はあんたが要なんだよ。イヤでも来てもらう」
「……へ?」
船橋の書いた筋書きには、最初から里奈に付け込んで利用する事が想定されている。




