第十一話 1
時間は蘭がヴェノムジェスターに誘拐された。という知らせが麗華の元に届く少し前。
その事件は大型ショッピングモールで、蘭と友人が服やアクセサリー、コスメを買い漁っているに起きた。
「はぐー、次どの店行こっか?」
他人と壁を作りがちな姉と違って、蘭は交友関係が広い。
今日、一緒に買い物をしている友人である田中かずみも蘭の事を「はぐー」とあだ名で呼ぶ程に親しい仲。
《《《蘭ちゃん、わたし次あっちのお店行きたい!》》》
「あー……えっとぉ……」
だが、対する蘭の反応はどこかぎこちなく、もじもじとした様子だ。
「おっ?なに?なにその反応??なんか言いにくいもの買いに行くのぉ?」
《《《いいじゃん!行こうよ!ケバブ食べたーーい!》》》
「と、トイレ……」
「ってそっちかーい!しょーがないなー。あたしもちょっと休憩したかったし、ゆっくり言っトイレ」
「ごめーん!すぐ済ませるー!」
《《《あんまり遅いと先に食べにいっちゃうよー?》》》
慌ててトイレに駆け出した蘭を、友人は笑いながらモール内のベンチに腰掛けて見送った。
「はぁ……」
用を足す為に個室に入り、便器に座って孤独になった時に不意にため息が漏れる。
友人との楽しいひと時にまったく不満が無いのに、憂鬱な気分に襲われる。
その理由は、かつて喪った一番の友人の事を思い出してしまったから。
――戦いに巻き込みたくない、あなたの友達のような事はもう起こってほしくない……
姉と晃が喧嘩していた時に、久々に姉の口からその時の事が出てから度々思い出すようになってしまった。
今の友達との会話の隅々に、焼きついた過去の友達の声が被さって聞こえてくる。
「葵ちゃん……」
耐えきれずに呟いた、かつての友人の名は嶺岸 葵。
サラサラの長い髪と小さなリボンのついたカチューシャがトレードマークの、上品な雰囲気とワイルドな行動力を併せ持つ蘭の幼馴染。
二年前に晶獣に連れ去られ、行方知れずになった親友の名前と共に、思い出したくもない過去が蘭の脳内にフラッシュバックする。
嘉地鬨市における晶獣絡みの事件はJRICCとシルバーセキュリティが未然に抑え、カバーストーリーを用意されて表沙汰になる前に処理される事がほとんどだ。
だが、全てを防げるわけではない。
葵は、未だ不完全な人類防衛機構の取りこぼしだった。
表向きは詳細不明の失踪事件として、一時はニュースを騒がせた。
しかし、JRICC所長の娘である蘭は裏の事情を知っている。
晶獣に連れ去られた者が帰ってきたケースは無く、葵もおそらく二度と帰ってこないであろうという事を。
事情を知る立場でありながら、葵に対して何も出来なかった自分を責め続け、しばらくの間塞ぎ込んだ。
友人を奪った晶獣と、よりにもよって大事な親友を守りきれなかったシルバーセキュリティーを恨んだ。
八つ当たりめいた憎しみは姉にも向けられた。
二年前はまだアーマライザーが完成しておらず、麗華自身の調整も実践段階にない状態だった事は蘭も頭ではわかっていた。
――特別だってみんな言ってるのに、これからの希望だって特別扱いされてるのに!!
何も出来てないじゃん!!姉ちゃんの役立たず!!!
心の奥底に眠っていた劣等感が愛情を裏返す。
母が必死に蘭を止める中、麗華は何も反論する事なくただ俯いて批難の怒鳴り声を聞いていた。
弱さという罪を全身で受け入れるように。
その後、母が何度も仲裁に回った甲斐もあり姉妹の仲は普通に会話できる程には修復された。そうであるように見えた。
麗華から蘭への庇い方はやや過剰になり、蘭は麗華を愛しているはずなのにどこかで距離を置く。
心の中の蟠りは双方に残り続け、お互いを思いやっているはずなのに何かが噛み合わず、ぎこちなくなる。
後に晃が「あまり仲良さそうに見えない」と看破したのは、そんな過去から生まれたものだ。
――いつも言っているように、あなたにはずっと平和の中にいてほしいのよ。
世界の裏側を知っているのに自ら戦う力は無く、故に姉は自分を危険から遠ざけるべく気を使う。
葵に纏わる真実と内に秘めた悲しみを逃す先は無い。
後からやってきた晃と二人で話せる機会が訪れてようやく誰かに打ち明ける機会が訪れたと思ったのに、悪意なき姉の介入によってそれも叶わなくなった。
戦士と一般人の狭間で、蘭の心はずっと曇り続ける。
「はぁ……ダメダメ、いい加減切り替えないと」
手洗い場の鏡を眺め、蘭は暗い顔をなんとか元に戻そうとする。
過去から現在に意識を切り替えた時、蘭の心中には自己嫌悪と罪悪感が満たされていた。
構成要素は未だに葵の事を振り切れない弱さ、現在の友人と葵を無意識に並べて比べてしまっている醜さ。
そして心の奥底の小さな憎しみと混じり合って歪んでいく姉への愛情。
「こんな顔じゃかずみちゃんに何言われるかわかんないもんね〜……」
これらをなんとか心の奥にしまい込み、いつもの自分に戻るために鏡に向けて笑顔を作る。
心が沈んでいるせいなのか、十分な照明があるはずのトイレが妙に薄暗く見える。
「………え?」
蘭が気づいた時、自分しかいなかったはずのトイレにもう一人の気配がする。
いつのまにか鏡に映り、蘭の後ろに立っていたのはここにはいないはずの人間、さっきまで心の中で疼き続けていた傷――嶺岸葵だった。
「あ……葵……ちゃん……??」
慌てて振り返ると、確かに葵の姿がある。
二年前と同じ姿、同じ服装、同じ笑顔の親友が実体を持ってここにいる。
「なんで……どうしてここに……!?」
そんなはずはない、葵がここにいるはずがない。
震える唇で言葉を紡ぎ、混乱する頭で思考を巡らせるが蘭にはもう冷静な判断は出来ない。
視界がどんどん暗くなり、自分と葵以外の全てが黒い霧に包まれた状況を把握する事も出来ない。
笑顔と共に伸ばされる葵の手。
二度と戻ってこないと思っていた、求め続けていたそれを前にして蘭のできる事は一つしかない。
「――葵ちゃん!!!」
蘭がその手を掴んだ時には既に、全てが黒い霧の中に覆われていた。
人の行き交うショッピングモール、平和で文化的な日常の象徴。
同じく平和で文化的な一般人の象徴であるかずみは、なかなか戻ってこない蘭を心配してトイレの入り口をじっと眺めていた。
「はぐー、時間かかってんなぁ……もしかして今日体調悪めだっ――
突然トイレから煙のような霧が勢いよく噴き出し、そこに非日常が潜み牙を剥いていた事を主張する。
「うぇ!?なんコレ!?ちょっ、はぐー!!大丈夫!??」
野次馬が群がるよりも早く、かずみは未だ霧の残るトイレの中へと駆け出した。
友達のためなら臆さず異変へと突き進むことができる。
JRICCの持つ裏を共有できる仲ではないが、それでもかずみは蘭にとって良き友だ。
「……ウッソでしょ、一体どうなってんのこれ……!?」
霧はまるで獣が逃げるように掻き消える。
かずみが鏡の前で見たものは、ただ一つ残された異変の爪痕。
持ち主が消えて残された、蘭の学生鞄だけだった。
「成程ね」
騒然とする群衆を遠巻きから眺めるのは、ヴェノムジェスターに指示を与える立場にある謎の女、ロミルダ。
この世界を非日常で染めようとする女は異様な眼球を色の濃いサングラスで隠し、此方の人間の中に紛れている。
ロミルダは、以前着ていた高貴なドレスと全く異なる装いをしている。
キャップを被った頭にウェーブのかかった長い髪を後ろで二つに纏め、上はチューブトップ、下はややサイズの小さいショートジーンズ。
人に紛れるにしてはあまりにも派手で刺激の強い服装だが、本人は気に入っているようで少し機嫌が良い。
これから侵略する世界のファッションを余す事なく楽しんでやろうという、彼女自身の趣味と舐め腐った性根が強く現れる。
「アオイを貸せ、なんて言い出すものだから何を仕出かすと思えば……ジェスターがこういう使い方を知っているとは」
ヴェノムジェスターが仕掛けた今回の策がここまで上手くいくと思っていなかったロミルダは、独りで素直にジェスターを評価し直す。
「そろそろ廃棄の時期かと思ったが……ゴミはゴミなりにまだ使えそうだな。あれは」
ただし、あくまで下等な生き物として。




