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鉄拳の騎士  作者: sui
第十話 過去は楔、未来への楔
31/84

第十話 2

***


 今からおよそ一年前、嘉地鬨高校に入学した当初。

賢治や宏とつるむようになり、角が取れる前の晃の放課後はずっと屋上だった。


 小学、中学時代に喧嘩を繰り返したせいで普通の生徒や教師には避けられ、自分と同じようなガラの悪い輩には絡まれ、時には仲間に誘われる。


 全てが鬱陶しかった。自分がろくでもない人間だという自覚はあるので放っておいて欲しかった。

人目が少なくなる時間まで隠れる場所として、この屋上は最適だった。


「あ〜、いけないんだ〜」


 ロケーションは現在と全く同じ。

寝転んで空を見上げている時、晃を覗き込むように話しかけてきたのは陶子だった。


「……チッ、こんなとこにまで先公いんのかよ。めんどくせーな」


 寝ていた身体を起こし、不快感を露わにする。

晃と陶子の初めての会話は、舌打ちから始まった。


「なーんで一人でこんな所居るのかなあ、ここ何にもないよ?」


「どいつもこいつも鬱陶しくてやってらんねえからだよ」


 お前もその一人だという気持ちを隠さずに陶子を睨みつける。


「そんなウザそうな顔しないでよー」


「いやウゼーよ、どうせ生活指導の中西でも呼んで来るんだろ」


 施錠はされていないが、屋上に生徒が立ち入る事は基本的に禁止されている。

目の前の女教師は規則などお構いなしの自分を職員室にでも連行するのだと、晃はそう思っていた。


「ううん、そんな事しないよ」


 剥き出しの敵意を受けても動じない陶子は、にっこりと微笑んで晃の隣に座る。


「あぁ……?ウソついてんじゃねえぞ。だったらなんであんたはここに……」


「ここはね、私の特等席なの。誰も来ないと思ってたんだけど、見つかっちゃったかー」


 誰もに避けられ続けた晃に対して嫌悪を向けず飄々とした態度で接し続け、ついには横で寝転び始める。

教師といざこざを起こすよりはずっとマシだが、それにしてもまったく想定していなかった展開に晃は只々困惑するばかり。


「私も中西先生のこと、あんまり好きじゃないんだよね。いちいち言い方ねちっこいっていうか、嫌味っぽいでしょあの人?私の事もだらしないとか、怠けてるとかいっつも言ってきてさー」


「お……おう、そうか。先公にも嫌われてんのなあいつ」


「だから、私がここにいることはあの人にも内緒にしてね。サボってるのバレたらまた嫌味言われるから」


「あんたが怒られる側かよ!?」


 突然始まった他愛のない会話。

最初は内心くだらないと思っていた晃だが、久々に……もしかしたら初めて赤の他人と談笑しているうちに、不思議と笑みが溢れる。


「へぇー?キミそんな風に笑うんだ。初めて見たかも」


「あーうるせえうるせえ。サボりの邪魔して悪かったな。俺はもう行くぞ」


 笑顔の事を指摘されて顔が赤くなり、ふと我に帰った時に年頃の女性と談話している自分がなんとなく恥ずかしくなる。

居心地が悪くなってきたので起き上がって腰を上げ、この場を去ろうとするが同じく起き上がった陶子に抑えられる。


「ダメー。もう少しお話付き合って」


「なんでだよ!?」


「キミ、芽吹くんでしょ?芽吹晃くん。中学の時は相当悪さしたみたいね」


「……俺の事知ってんなら、なおさら近づかねえ方がいいぞ」


 目の前の女があまりにも気さくに話しかけてくるので忘れかけていたが、本来晃は教師に嫌われる存在だ。

どうせこのまま話し続けたところで嫌悪され、気まずい結果に終わると思い距離を離そうと思った。


「本当に噂通りの極悪人がどうか、直に確かめてみたくなったの」


「マジかよ……」


 しかし、陶子の柔らかい態度は晃の垣根をスッと乗り越えて心と身体の距離をグッと近づけてくる。

自分がどうしようもない奴だと知っているはずなのに、ひとつも警戒心を抱かず微笑みかけてくる。

今まで出会ってきた教師達とは全く異なるタイプの不思議な女。

だが、不快感は全く感じなかった。


「いいでしょー?話してくれないと私諸共中西先生の指導室送りにするぞー」


「そんな自爆テロみてえな指導があるか!!」


 陶子のゆるい言葉にツッコミを入れる度、あまりのくだらなさにまた顔が綻んでしまう。


「ほら、また笑った。思ったより全然怖くない、普通の子だね。これならもっとお話できそう♪」


「はぁ?……ったく、変な女だよあんた……おい!ベタベタ触んな!!」


 大人、教師、他人……晃が常に抱いてるそれらへの警戒心は、いつのまにか溶かされていた。

気安く手を握ってくるなど近すぎる距離感には苦手意識があるものの、観念した晃は陶子に心を許し、たまに屋上で語り合う仲になる。


***


「最近は羽黒さんとばっか遊んでたのに……もしかしてフラれた?そんで私を求めに来た??」


「違えーし!つーかそういう関係でもねぇーし!!」


「顔、真っ赤!わかりやすくてカワイイ〜❤」


「うるせー!!!……まぁ、なんだ。特に理由ねえけど、たまにはこっち来たくなる日もあんだよ」


 後に賢治や宏と関わり、さらに麗華とも知り合ってJRICCに協力しはじめた今、こうする機会はすっかり減ってしまった。

しかし、晃の心が友人を作れるようにまで柔らかくなったのは陶子との出会いがあったからだ。

その事に対しての感謝は気恥ずかしくて口には出来ないが、こうして屋上で陶子とぐだぐだと語り合う時間は、晃にとって賢治や宏、そして麗華と過ごす時間と同じくらい大切なものだ。


「……私の事、忘れてたわけじゃなかったんだね。嬉しい」


 一呼吸置いてから呟いた言葉。

この一言だけには普段と様子の違う、熱と重さがが籠る。


「あ?忘れられるキャラしてねえよあんたは。毎回毎回ベタベタして来やがってよお……」


 晃はその言葉に少し違和感を覚えはしたものの、その奥に秘められた感情までは察する事が出来ない。


「ふぅー……つまり私ってさあ、晃くんにとっての運命の人、だよね❤」


晃に軽く聞き流された後、深いため息の後に放たれた軽口はいつもの陶子のそれに戻っていた。

わざとらしく頬に手を当て、顔を赤く染めていつものように奥手の晃をからかう。


「あの後あんな事が無けりゃそうだったかもな!!!」


***


 それは晃と陶子が初めて心を通わせた少し後の話。

その日は登校する必要のない祝日で、定食屋あきかぜも休店日だったので紫織にとっても貴重な休日。

自分が家に居ると祖母がゆっくり休めないのではないか、と余計な気を回した晃は家を離れて独りで出歩いていた。

当てもなく彷徨き、ただ時間を浪費しているうちに中学時代の晃を知る不良に絡まれ、いつものように殴り返して大喧嘩に発展する。


「次、俺に絡んできやがったらブッ殺すぞ!!」


 殴られた痛みを怒りで燃やし、殴った全員を全力で殴り返す。自分の身体がズタボロになろうが知ったことではない。

避けない、怯まない、容赦しない。今の晃の戦い方に通づる狂戦士のような喧嘩スタイル。

心が落ち着く最初のきっかけは先日の陶子からもらったものの、この時の晃にはまだ余裕がなかった。


「な、なんだこいつ……イカれてやがる!!」


「おい逃げるぞ!!」


 常軌を逸した晃の戦いぶりを恐れた相手は一目散に逃げ出し、人目を避けるために連れ込まれた路地裏には静寂が戻る。


「あ……あ……」


 一呼吸ついてあたりを見渡すと、晃の足元には喧嘩相手が落としていったと思われる財布。

そして、顔をボコボコに腫らしながら隅に追いやられ縮こまっている少年の姿に気がついた。


「それ……オレの……!」


 足元の財布を拾うと、中学の制服を着たその少年は反応して声を上げる。

晃より先に絡まれてここに連れ込まれ、暴行を受けて財布を奪われた事が察せられる。


「あ、ああああの、助けてもらってありがとうごさぃました!そ、そそれ差し上げます!!」


 少年は晃に睨まれると震え上がり、奪われた財布を晃に差し出して深々と頭を下げた。


「テメェの金なんかいらねえんだよ!ボケが!!」


 少年のその態度に激昂した晃は、手に持った財布を力一杯握りしめて少年の顔面に勢いよく叩きつける。

怒りに身を任せただけの事なのに、自分が少年を救うために行動したと勘違いされた事。

自分がさっき叩きのめした連中と同じで、金銭目当てに暴力を振るう人間だと認識された事。

そして奪われたくなかったであろう財布を差し出し、悔しかったであろう気持ちを押し込み、自分に媚を売る少年の態度が何よりも腹立たしかった。


「痛え!!な、なんで……!?」


「さっさと失せろや。さっきの奴らみてえにブン殴られてえのか!あぁ!!?」


「ヒィィィ!!すんません!!あとありがとうございました!!」


 晃の行動の意図が読めない少年だったが、再び吼える晃に身の危険を感じ、財布を持って逃げ出した。

路地裏に自分以外の気配は無し。晃は今度こそ独りの静寂に包まれる。

 

「……ケッ、くだらねえ」


 嵐のような怒りが通り過ぎた後、晃の心に残ったのは虚しさだけだった。

先日の陶子との出会いによって少し心に変化が生まれたと思っていたのに、結局激情がなにもかもをボロボロにしてしまう。

そんな自分が、ただ不甲斐なかった。

 

 あたりは既に暗くなり始めている。

今更痛み始めた身体を引きずるようにして、晃は帰路についた。

路地裏を出た先は飲屋街。色とりどりの光を放つ看板の間を抜け、うんざりとした気分でふらふらと歩く。


「ウヘヘェ〜〜イ……も一軒行ってきまぁ〜〜❤」


「お客さん危ないって!今日はもうやめときな!」


 突然、晃が横切った一軒の呑み屋の戸が開いてご機嫌な声と共に酔っ払った何者かが飛び込むようにぶつかって来た。

後を追いかけるように聞こえてくるのは慌てた様子の若い店員の声。


「うわっ!!テメェ!!何しやが……!?」


「誰ぇ?タクシィ……!?」


 絡れるように倒れ込む晃と酔っ払い。

覆い被さるようにのしかかった酔っ払いとのしかかられた晃は訳もわからないまま、至近距離でお互いの顔を確認する。


「臭っせえ!!……って先生!?」 「晃くん!?❤」


 間近にいるのは先日屋上で出会った不思議な教師、翡翠陶子。

しかしあの時と違いあからさまに酔っ払っている顔は真っ赤に染まり、涎の垂れた口から漏れる尋常ならざる酒とつまみの臭いが襲いかかる。

キムチ、ニンニク、チーズ、魚……そして多種多様な酒の香りが口内でミックスされた地獄のような吐息は怒りに満ちた晃の頭を一瞬で落ち着かせ、泣きたくなるほどの絶望に染めた。


「キミ、この人の知り合い?すまないんだけど後は任せていいかな?もう手がつけられなくて……」


「ちょ、ちょっと待てよ。なんで俺が……」


「他のお客さんの事もあるからさ〜……ごめん!頼んだ!会計はもう済んでるから!!」


 晃が陶子と知り合いだと見るや否や、若い店員はこれ幸いと陶子をレシートと共に晃に押し付けて店に戻り、ピシャリと戸を閉めた。


「運命の出会い〜❤晃くんぎゅー❤」


「ウソだろ……なんでこんな事に……!?」


 まるで嵐のような出来事の後に残されたのは、悪臭と共に身体を引っ付けてくる酔っ払いと相当な量の酒を呑んだと思われる長いレシート。

置かれている状況を理解できない晃は、ただ途方に暮れた。




「あぁ……臭えし重えし痛え……」


 陶子は自力では歩けないほどに酔い潰れ、家に送ろうにもその所在を知らず、聞き出そうにもまともに会話が成立しない。そこらに捨てておくと明らかにまずい事になる。

祖母に怒られる事を覚悟しながら、晃は陶子を背負い自宅へ向かう事にした。

何も知らない者が見れば、その姿はまるでダメな姉と弟のようだ。


「晃くん怪我してるぅ〜……またケンカぁ?ダメよ〜??」


「っせえなぁ、あんたには関係ねえだろ。触んな!痛えから!!」


 色々な意味で足取りの重い晃の気持ちなどお構いなしの陶子は、背負われながら晃の頬に出来た傷を指先で撫でる。


「そんな事ばっかしてたらさぁ……身体ボロボロになっちゃうよ?」


「あんたに言われたかねえよ。酒飲みすぎたら身体ダメになるってお婆ちゃん言ってたぞ」


「別にいいもん、いいもーん」


 陶子の口から、突然陶子自身を軽視する言葉が出る。

いつもの軽い口調だが、自分なんてどうにでもなってしまえばいいという、破滅願望が漏れ出たように聞こえた。

不意に現れた陶子の闇に対してどう返すべきかわからなくなった晃は、言葉を失い押し黙ってしまう。


「……ねぇ〜、笑ってよー。晃くんのためにもさ〜」


「やめろって!笑えるわけねえだろこんなん!」


 晃の沈黙が面白くなかったのか、陶子は指で無理矢理晃の口角を押し上げて笑わせようとする。


「おこっちゃやー❤……笑ってよぉ〜、私のためにさ……」


「笑えねえ理由の七割あんたなんだけどな……」


 陶子の望むように笑う気分にはなれない。

しかし、呆れと疲れで一杯の晃の頭からは長らく晃自身のなかに巣食っていた、あらゆるものへの怒りと虚しさが少しづつ消えていく感覚があった。



「ただいま……」


 意を決して玄関扉を開ける。

祖母にどう言うべきなのか、背中の酔っ払いをどうすればいいのか……答えは未だ晃の頭には浮かばない。


「晃!ただいまの前に言う事あるんじゃないのかい!?」


 紫織の部屋からはおかえりの代わりに怒気の籠った言葉が返ってくる。

晃が外で喧嘩をして来たことなど、紫織にはお見通しだ。


「お婆ちゃん助け「こんばんわ〜❤家庭訪問れすぅ〜❤」


 弱りきった晃の声を遮るように聞こえて来たのはとんでもなく泥酔した、聞き覚えのない女の声。

異常事態を察した紫織は慌てて部屋から出ると、聞こえた声から想像できた通りの奇妙な光景が繰り広げられている。


「……ええと、その人は?」


「ハハ……嘘みてえだろ?これ、学校の先公……なあ、一体何があったんだ??」


「あんたがアタシにそれ聞くのか……」


 傷だらけの晃を見て喧嘩をしてきたという確信はある。

しかし今まで見たことのない疲れ方と困惑しきった様子から、その後相当不本意な目に遭った事を察した紫織はひとまず叱る事を止めた。


「……とりあえず落ち着いて、酔いを醒ましてもらわなきゃ話にならんね。水でも持ってくるよ」


「しょー❤ちゅー❤ぷりーず❤」


「あんたまだ飲む気か!やめろ!!」


 水を汲みに台所に向かう紫織に対し、陶子は図々しくも焼酎を要求する。

ほぼ初対面の相手に対してここまで図々しくなれるのは酒の力か、或いは本人の気質なのか……いずれにせよこれ以上飲ませてはいけない事は晃の頭でも理解できる。


「オラ、シャキッとしやがれ」


「ちょ、晃くんゆすらないでぇ!そんなにされたら私もう……」


 とりあえず背中から下すために自立を促すように軽く揺すってやると、陶子に妙な緊張感が走った。


「やば❤出る❤」 「あ?」


 嫌な予感がする――しかしそれに気づいた時にはもう手遅れだった。


「っぷ……オ゛オ゛ッ❤オ゛ェェェェェェッ!!!」


「イヤァァァァァァァァァア!!!!」


 ――その後、酔いから覚めた陶子の平謝りによって自体は無事(?)収束。

晃と陶子の関係にヒビが入ることはなかった。

しかし、最初の出会いで生まれた淡い憧れは晃に降り注がれた尋常ならざる吐瀉物と共に流れ落ちてしまった……


***

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