第九話 3
篝火に連れられて入った実践訓練室は、床も壁も真っ白いタイルに覆われた広い空間。
壁の一面だけは隣の計測室から観察できるように強化ガラスで出来ていて、その中には篝火と芝浦が立つ。
「本来なら多様なシチュエーションに対応した訓練が出来るようになってるンだけど、まだアップデート済ンでないから今はその殺風景で我慢してネー」
部屋の上部に据え付けられたスピーカーから、計測室でマイク越しに話しかける篝火の声が聞こえる。
「お前とマジでやんのは、これが初めてだな」
「これで最後よ、二度と私に歯向かえなくなるから」
部屋の真ん中に晃と麗華が向かい合って睨み合う。
それぞれの左腕にはアーマライザーが装着され、右手にはそれぞれの剣晶が既に握られている。
「始めろ」
「ON-SLOT」 「ON-SLOT」
「EVERGREEN」 「FROSTYWHITE」
芝浦の口から試合開始の合図を聞いた二人はそれぞれの剣晶をアーマライザーに装着し、戦闘開始の体勢を整える。
「「セットアップ!!!」」
拳を握ると、それぞれ自分の剣晶が造り出す鎧の装着が始まる。
「「ONSLAUGHT!!」」
お互いを睨む顔が全て鎧に覆われ、装着完了の音声が鳴るのが決闘開始の合図。
晃はすぐに突撃して剣を抜こうとした麗華の腕を両手で掴み、その初撃を封じ込めた。
「お前みたいな長物振り回す奴はな、間合い封じりゃこっちのもんなんだよ!!」
右手だけを離し、抵抗する麗華の手首を攻撃して剣をはたき落とす事に成功する。
「なめてんじゃね……ハゴォッ!!」
麗華はすかさず左手で手刀を作り、晃の首に向けて背刀打ちを叩き込んだ。
「返すわ、その言葉」
「グエッ!」
右手に作った手刀が、不意を突かれ怯んだ晃の鎧の隙間に貫手を捩じ込む。
「剣を封じれば勝てると思った?正面から殴り合えば勝てると思った?」
不意の激痛に苦しむがそれでも堪え、その場から一歩も退かない晃。
しかし、そこに出来た小さくない隙を麗華は見逃さない、
少し後ろに間合いを取った後に晃のこめかみに左手で手刀打ちの追撃を仕掛け、反撃に出られない時間をさらに伸ばす。
「……舐めてるのはあなたでしょ?」
トドメの掌底打ちによって晃は大きく吹き飛ばされて仰向けに倒れてしまう。
「ハッ、上等だあ……そんならこっちもマジで行くぞ!!」
晃はすぐに起き上がって構え直し突撃。
小細工のない渾身の拳を叩き込み一撃で圧倒する……そのはずだった。
「甘い!!」
麗華は身体を横に捻って回避。
伸び切った晃の腕を右膝と右肘で勢いよく挟むと、まるでへし折られるかのような痛みが襲いかかる。
「グゥッ!!……返すぜ、その言葉!!!」
今度は怯まない。
痛みをものともせず、姿勢を崩さぬまま大きく右手を振り払い、避けた麗華に追撃をかける。
「しまっ……!!」
片足立ちになっていた麗華は大きくバランスを崩す。
転ぶまいと慌てて体勢を整えるが、間を置かずに晃の左拳が迫る。
「オラッ!!オラァァッ!!!」
「ゴッ……ガハッ!!!」
左の後は本命の右ストレート。
生半可な痛みでは止まれない晃の猛攻を二発まともに受け、今度は麗華が大きく吹き飛ばされた。
「フタ開けてみりゃなんて事はねえ、チマチマした小細工みたいなもんじゃねえか。それじゃ俺は止まらねえぞ!!!」
「…………じゃあ、そのチマチマした小細工に負けたらさぞ愉快でしょうね?」
麗華は倒れたまま動かないが、その声には勝利を確信した余裕が見える。
鎧の下に勝ち誇った笑みが浮かんでいる事が、晃にも想像できた。
「ハァ?……うわっ!?なんだ!!?」
首筋、こめかみ、腹部、胸部。
晃が麗華から攻撃を受けた部位がじわりと凍り始め、体温と身体の自由を奪っていく。
麗華が剣を用いて斬った晶獣の身体が凍りついていく現象と全く同じだ。
「主任、あれは?」
計測室から黙って事を見つめていた芝浦が、急に口を開いた。
「攻撃が命中した箇所を凍り付かせる強制凍結。剣でも徒手でも行える、フロスティホワイトの性能を自然に引き出せる麗華くンの固有能力みたいなもンですな。しかし人間相手にやるたぁ麗華くン、マヂだなあ……」
「それくらい本気でやってもらわねば困る。学生の喧嘩を見に来たわけではないのだからな」
芝浦はすらすらと麗華のスペックを解説する篝火の方を向かないまま返答する。
二人の感情などに興味を持っていない様子が見て取れる。
「ア……ガ……なんだこれえ……!!」
「ハァ……ハァ……そのままだと全身凍りつくけど……どうするの?」
痛みと共に身体が凍りつく現象に晃が狼狽えている間に、麗華は起き上り落とした剣を拾う。
しかしその足取りは重くふらふらとしたもので、息は荒く声の威勢も弱まって聞こえる。
晃から受けた二発の拳が麗華に大きなダメージを与えた事は明らかだ。
「クソッタレ……こんなもん効くかよ!!」
晃は凍結しつつある身体の部位を自らの手で殴り、氷を破壊する事で強引に立て直す。
「そう、ではこれで終わりよ」
「FROSTYWHITE」 「RE-IGNITION」
一方で麗華は剣晶を押し込み、剣先を晃に向けた。
出来上がったブライニクルランチャーが、しっかりと狙いを定めている。
「ああ、これで終わりだ!!」
「EVERGREEN」「RE-IGNITION」
負けじと晃も剣晶を押し込み、必殺技の準備を始める。
右手の装甲が展開して巨大化し、今までで一番強い拳を作り上げる。
「ブライニクル……」
「ウルトラドラゴン……」
互いを見据えて睨み合うと、鎧に隠れて見えないはずの表情が浮かんでくる。
互いをぶちのめしてやろうという鋭い目つき。
そして確かな充足感から笑みが溢れる口元。
何故、互いが怒っていたのか。何のために争っていたのか。
それを譲れないが故に意地を張り続け、蘭や篝火、森川さんや芝浦までもを巻き込んで大喧嘩を仕掛けたはずだったのに。
どうでもよくなっていた、既に重要な事ではなくなっていた。
どんな言葉で言い合うよりも、力で心をぶつける事がこの二人には向いていた。
「ランチャー!!!」 「ダイナマイトパァァァンチ!!!」
突き出された晃の拳と麗華の剣の力は拮抗し、その間には爆発のような衝撃波が走る。
互角の釣り合いはしばらく続いたが、やがてブライニクルランチャーにヒビが入り、先端から粉々に砕け散った。
「そんなッ………アアアアーッ!!!」
「俺の勝ちだ………ウゲッ!!!」
麗華は拳の勢いを殺しきれず、吹き飛ばされて壁に激突する。
ダメージが許容限界を超えた鎧が解除され、麗華はぐったりとその場に倒れ伏した。
戦いの終わりを見届けた芝浦と篝火は各種計測装置を停止させ、正式な試合終了を宣言する。
「ここまでだな。主任はこの結果をどう見る?」
「引き分け……でしょうなァ」
一見、晃の拳に圧倒されたように見えた麗華だが、砕けたブライニクルランチャーの破片は勢いを失わず、冷気と共に晃に襲いかかっていた。
「フフッ……やっぱり……全身凍りついたわね……うっ……」
全身が氷に包まれ完全に身動きが取れなくなった晃の無様を見届けた麗華は、満足そうな笑みを浮かべて気を失った。
「一から!一からロマンスを構成し直しましょう!芽吹さんにはこれから女心をくすぐる男に……」
「いやいや恵ちゃん、姉ちゃんって女はつまりさぁ……」
晃と麗華が激闘を繰り広げている一方。
森川さんと蘭はいかにして二人の仲を修復するかを議論していた。
業務時間真っ只中の受付カウンターで行うような事ではないが、皆に好かれる受付嬢と社長令嬢のやる事に誰も文句を言える空気ではなかった、
「へエッグシャン!!!ズズッ……あー、ちくしょうまだ寒ぃ……」
「ちょっと、ちゃんと口を押さえてよ」
議論を割って中断させるような大きなくしゃみの音は、晃のものだった。
横には麗華もいるが、晃から受けたダメージが響いているのか足取りはまだフラフラとしている。
「ヒャッ!?姉ちゃ……ん……?」
「えーっと、芽吹さん?一体何が……?」
森川さんと蘭の前に現れたのは寒さに震える晃と、痛みに苦しむ麗華。
どう見ても何かあった二人だが、その様子先ほどまでの険悪なものとはまるで異なる。
むしろ以前より近い距離にいるように感じられた。
「まあ、その……色々ありまして……」
「こいつとの口喧嘩めんどくせーからよ……殴り合っちゃった」
「「……はいぃ???」」
気まずそうに話す晃と麗華。
森川さんと蘭は、何故その手段を用いて何故関係を修復したのかがさっぱり理解できず只々困惑する。
「いや、なんかギスギスして悪かったよ。結果としちゃほぼ俺の勝ちみたいな引き分けだったけどな」
「そうね、私も頭が冷えたわ……実質私の勝ちと言える引き分けだったけど」
引き分けの結果を受け入れつつ、なおも意地を張り続ける二人だがその顔は晴々としている。
「おお、そうだ。おい妹!約束してたな。今からお前の話聞いてやっから、どっかいい場所知らねえ?」
「え゛ッ!?いや、お兄ちゃん……姉ちゃんと仲直りしてほしいからお話聞いてもらいたかったんだけど……」
姉の生い立ちを知り、心の造りを把握する事で仲直りのきっかけにしてほしかった。
しかしそんな気持ちを理解しないまま、理屈を放置したまま二人が和解してしまった。
「……それでもいいならお話、する?」
それでもなお、自分にも向けられた優しさが変わらない事は嬉しかった。
良くない事だとは思いながらも、晃の心を姉だけが独占していない事実に薄暗い喜びを覚えていた。
「ま、待ちなさい!あなたを蘭と二人きりにするわけにはいかないわ……私も同行する!」
そんな蘭の心情を知ってか知らずか姉のいないところでするはずの話に当人が乱入し、もはやどうするべきかわからなくなった蘭は混乱して頭を抱えた。
「って……あ゛ーもぉ゛!!姉ちゃん本人が聞いてる前で姉ちゃんの話するのハードル高いって〜!!!」
「あ、あはは……まぁ、終わりよければ全て良し。これはこれで良い結果、かな?」
理想的な男女関係とは言い難い、力と力で繋がりあった不恰好な絆。
思い描いていたものとは程遠く、これから起こるであろう歪みや問題の数は想像すらできない。
それでも、今はそれでいい。
この二人はきっとこれで良いのだと、遠巻きに見ていた森川さんは思った。
「私も、ああ出来ていれば違ってたのかな」
脳裏に過去の過ちを思い浮かべながら。




