第五話 3
「ウソだろ……これ乗って会社行ってんの……?」
「はい!大事な大事な私の愛車ですよ❤」
晃は絶句した。
予めロータリーに停められていた森川さんの車は、ピカピカに手入れされた4シートの高級スポーツカー。
ボディカラーはワインレッドで、辛うじて上品さを演出してはいるが
それは、通勤車両と呼ぶにはあまりにも派手過ぎた。
4シートながらもコンパクトで速く軽く、そして気合が入り過ぎていた。
それは、まさに走り屋の車だった。
「恵ちゃんありがと〜。これめっちゃ乗り心地よくて好き」
「森川さん、公道だから、道も混んでるだろうから、スピードは法定速度で……」
「大丈夫ですよ!安全運転には自信があります!それに嘉地鬨市は私の庭のようなものですから、混まないルートだってばっちりですとも!」
「本当に大丈夫かよ……」
慣れた足取りで後部座席に座る羽黒姉妹に続いて、晃は助手席へと案内された。
車内のあちこちにぶらさげられた、日本各地の土産屋で買ったと思わしき多種多様なお守りやキーホルダーがこの車の走行距離を物語る。
「シートベルト締めましたね?ではしゅっぱーーつ!」
見た目に反して意外にも静かなエンジン音を鳴らし、夜の街には一際目立つ赤い流星が走り出した。
過去に森川さんの車で何かあったと思わしき麗華は怯えていたが、日本の公道を普通に運転するにあたり猛スピードを出す機会などあるはずもなく、穏やかなドライブが続く。
ようやく落ち着きを取り戻した麗華は、蘭と談笑している。
「そんでさ〜、お母さんも姉ちゃん帰ってくるって聞いてから慌てて食材買い足してたんだよ。姉ちゃんいっぱい食べるし、ふひひひ!」
「……そうね、急な事で母さんには悪いことをしたと思う」
「でもお母さんすごく喜んでたよ!姉ちゃんと一緒に食べるの久しぶりだもんね〜」
やはり、麗華の言葉はどこかぎこちない。
助手席から二人の会話を聞いている晃は、軽い眠気に誘われながらぼんやりとそんな事を考えていた。
蘭は麗華を慕っているように見えるし、会話から想像できる母親との関係も悪くなさそうだ。
自分にはないものを全部持っているのに、麗華の心はどこか家族から一歩離れている。
晃にはそれが不思議で仕方がなかった。
「お兄ちゃんの家にも行ってみたいな。今度遊びに行っていい?」
考えても答えなんか出ない、麗華に直接聞くような事でもない。このまま眠ってしまおうかと思っていた矢先、蘭の会話の矛先が晃に向いた。
「ん……?おう、うちは定食屋だ。姉貴みたいにバクバク食いまくりてえんならいつでも来な」
「うわあー!姉ちゃんお兄ちゃんの家でもアレやったんだあ!!身内以外誰も知らなかったのに!!」
「ちょっ……!め、芽吹くん!!それは言いふらさないで!!」
昨日の麗華の様子を何気なく話した途端冷たさが飛び、彼女の体温が一気に上がるのを感じた。
食欲に溺れたみっともない姿は、妹に対しても見せたいものではないようだ。
「姉ちゃんめっちゃ焦るじゃん……珍しいの見れた」
「ら、蘭!違うの!激しい戦闘の後の事で……」
「めっちゃでけえハラの音鳴ってたぞ」
「芽吹くん!!!」
顔を真っ赤にして慌てふためく姉を見て、蘭は心底楽しそうに笑い転げる。
森川さんはそんな一同の会話を聞き、ただ静かに微笑みながらハンドルを握っていた。
騒がしいやりとりをしばらく続けているうちに、車は羽黒家の駐車場に到着する。
社長とその家族に相応しい、広く立派な家だ。
晃は自分の古臭い作りの家との差に驚き、呆然とした顔で眺めている。
「恵ちゃんありがと!お兄ちゃん、またね〜」
蘭は森川さんと晃に笑顔で手を振り、のそりとした動きで下車する。
「お疲れ様でした。失礼します」
「お疲れ様でした!おやすみなさい」
蘭に続いて麗華も森川さんと晃に声をかけ、車を降りた。
「おやすみ、芽吹くん。また明日」
「……おう。またな」
晃と麗華の間のやりとりは、蘭と対照的にそっけない。
二人で戦っている時は、なんとなくだが気持ちが通じ合っているように思えた。
しかし戦いを終えた今、晃は自分と麗華との間に身分の違いのようなものを感じずにはいられなかった。
裕福な家柄、人懐っこい妹、生きている両親。
麗華を支える光のようなそれらが、晃の心に小さな壁を作っている。
先に車を降りた蘭は、外からその様子を見て何か考えるような様子を見せた後、晃の座っている助手席の方へと駆け出した。
「お兄ちゃんお兄ちゃん。お兄ちゃんお兄ちゃん。」
車の窓をコンコンと叩き、窓を開けて顔を出すように促すジェスチャーを見せる。
ほぼ接点のない蘭が自分に構ってくる事が不思議に思えた。
「おい、まだなんか用か?」
「……姉ちゃんを助けてくれてありがとね、お兄ちゃん♪」
促されるままに窓を開け、顔を出した晃。
蘭は晃の耳元に寄り、色気を込めて感謝の言葉を囁いた。
「ちゅっ❤」
そして、蘭は畳み掛けるように晃の頬へとキスをする。
「……キャーーーーーッ!!」
「な゛っ……!!!」
一瞬の静寂の後、自分が何をされたか理解した晃はまるで女のように甲高い声を上げてしまう。
妹が突然仕出かした悪戯を目の当たりにして、麗華の表情に強いショックが現れる。
「ふひひひ!やっぱ兄ちゃん面白いな〜!!」
「こ、こ、こ、こらーーーーーーーっ!!」
ケラケラと笑いながら家の中へと走り去る蘭を、麗華は今まで聞いた事のない焦った声を出しながら追いかけた。
「な、な、なんなのあいつ!!マジなんなの!!ハレンチだ!!!」
「アハハハハハ!!」
森川さんはキスされた頬を必死に拭う晃を盛大に笑い飛ばしながらアクセルを踏み、車を晃の家の方へと動かし始めた。
晃の家に到着するまで後わずか。
すっかり眠気が飛んでしまった晃と森川さんの和やかな会話は続く。
「蘭ちゃんはああいう子なんですよ、芽吹さんは特に反応が面白いですからねぇ」
「面白いってなんだよ……ナメられてるだけじゃん」
「芽吹さんを絡めると麗華さんの反応も良いですから、それも楽しいんでしょうねえ。これも蘭ちゃんなりの愛情表現の形、仲良しの証です」
「……仲いいのかな、あれ」
羽黒姉妹のいなくなった車内。
晃はずっと気になってきた違和感について零し始めた。
「え……?」
「妹の方はまあ、森川さんが言う通りなんだろうけどよ。羽黒はなんか……」
「俺が持ってないもんいっぱい持ってて、光の中にいるみたいに見えるのに……家族との間に壁置いてるみたいに見えるんだよな」
晃の話を聞いている間、森川さんはずっと前を向き運転を続けている。
しかし、フロントガラスに反射する表情からは笑顔が消え、神妙なものに変わっていったのが見えた。
「意外と他人の事をよく見るタイプなんですね、芽吹さん」
「森川さんはあいつの家の事、なんか知ってんのか?」
「知らないわけではないですね。でも教えてあげません」
ここまで喋ったあたりで、ようやく森川さんの顔に微笑みが戻った。
何を喋るか、どう答えを出すかを考え、決意したようにも見える、
「な、なんでだよお!」
「第三者が知ったような口ぶりで話す事では無いからですよ。芽吹さんの耳で直接、麗華さんから聞いてください」
「で、でもよお……それ本人にズケズケ聞くのも気がひけるぞ」
仮に麗華の家庭に何かがあるとして、それを他人に触れられるのはきっと耐え難い苦痛である、
戦闘前に晃が篝火にされた尋問の事を思うと、麗華の事情について自分から踏み込む気にはどうしてもなれない。
「麗華さんともっと仲良くなってください。一緒に戦って、乗り越えて、彼女を守る光のひとつになってあげてください。彼女自身から、貴方に話す時が来るまで。来てからもずっと」
「俺みたいなバカに出来りゃいいんだけどな」
賢治や宏という友人がいる、昨日今日で知りあったJRICCの構成員達は、概ね信用できると思っている。
子供の頃よりは丸くなった自覚もある。
しかしお互いの生まれ育ちという、抗えない事象から生まれた光の壁を取り除ける自信は無い。
「……大丈夫、きっと大丈夫。貴方なら、麗華さんの心を溶かせますよ」
車が晃の家の前に辿り着き、談話の時間も終わりを告げる。
森川さんの言葉の意味を晃が理解するのは、まだ先の出来事。




