第三話 3
「主任は地下3階のラボにてお待ちです!」
森川さんは何事もなかったかのように規定の立ち位置に戻り、ごく普通の受付嬢のような顔をして本来の業務を行う。
この女がごく普通の女でない事を身をもって味わった晃は、その落差にドン引きする。
「わかりました、今から向かいます。父さ……所長は?」
麗華は森川さんの痴態には慣れているようで、こちらも何事もなかったかのようにテンションを切り替えた。
「所長は社長としての業務が忙しいので、芽吹さんの件には立ち会えないみたいですね……」
「……そう」
表情も声色も変わらない。
だが、晃にはその一言が少し寂しそうに聞こえた。
エレベーターで地下二階まで降り、機械室の狭い通路の先に隠れた階段からさらに下に降りる。
存在を知らない人間ではまずたどり着けない、隠された道の先にある扉。
「えらく入り組んだところに連れてくるじゃねえか。いよいよそれっぽくなってきたな」
「そうね、この先か羽黒コーポレーションの真実の姿。私の父が社長であり、所長である理由」
表向きは立派な一般企業。普通の社員がまず通らないような隠し通路。表示上存在しないはずの地下三階。
漫画やアニメにある秘密基地の存在を目の当たりにして、晃の少年心は高鳴りを抑えられない。
「ド、ドキドキしてきたなあ、現実に秘密基地みたいなもんがあるなんて……」
「……羽黒コーポレーションだけじゃない。孔雀院グループに関する全ての企業が裏に本来の顔を隠している」
外部のものが絶対に介入できない深度に来た、誰に聞かれる心配もない。
扉の前に立った麗華が振り返り、ついに自らの所属する裏の詳細を語り始める。
「古来より人間社会の裏に隠れた脅威、剣晶と晶獣にまつわる全てを極秘裏に処理し、人々の営みを守る為にある裏の防衛機関」
「私達に加わるのであれば、これから見る光景にも慣れておくことね。これがあなたの言う秘密基地――」
麗華が守衛に見せた認証用カードを扉に設置されたデバイスにスキャンすると、認証成功を知らせる音声に続いてゆっくりと扉が開き始める。
「――特防省直属、日本剣晶研究所よ」
「うおお……マジか!!」
扉が開ききった先に待ち受けていたのは、壁一面に嘉地鬨市全体の地図を写した巨大モニター。
何の役割を果たしているかよくわからない機械。乱雑に散らばった書類の束。切り取られた晶獣の身体の一部を薬品と共に詰めたガラス容器。
剣晶を解析していると思わしき装置。アーマライザーの試作品と見られる装置や武器。
「マジか……マジかこれ……!マジだこれ……!」
想像通りの怪しい秘密基地にたどり着き、晃の感動は止まらない。
モニターを見つめる、主任と思われる人物の風格も相まってテンションは最高潮だ。
「やぁ!!遅かったじゃないか麗華くン!そしてニュゥ〜フェイス!晃くン!!」
「は?」
振り返った主任はピンクに染めた髪を悪趣味な飾りのついたヘアゴムでツインテールに纏めた、森川さんより一回り年上と思わしき小柄な女性。
まるでヘリウムガスを吸ったかのような甲高い声と満面の笑顔で晃達を迎えるその女は、絵に描いたような危険人物だった。
威厳のかけらもない主任の登場で晃の感動は消え失せ、テンションは最低まで落ちる。
「おい羽黒。こいつヤバいぞ、マジでヤバいぞ」
「たから言ったでしょ、慣れておくべきだって」
森川さんを遥かに上回る奇人の登場に真っ青になる晃。
一方の麗華は慣れきっているのか、感情の無い声で晃に返す。
「日本剣晶研究所《Japan Research Institute for Cross Crystal》。通称JRICCへようこそ!!ワタシがここの主任研究員にしてこの物語の主人公にしてメインヒロイン!桃代 篝火さ!!クンクン!いい匂いだ!若い男の匂いがするぞ!!」
篝火と名乗った変態は小走りに近づくや否や晃の匂いを嗅ぎ始めた。
「何言ってんだこいつ……?嘘だろ……主任ってもっとこう……博士的なやつだろ……?」
「慣れるべきよ。言動はともかく彼女は国内において最も優れた剣晶の研究者なのよ」
失望と困惑が混じり合った、心底げんなりした顔で篝火を引き剥がす晃。
一方の麗華は慣れきっているのか、感情の無い声で晃に返す。
「いかにも!ワタシは実際に博士的なやつだ!君達の使っているアーマライザーを完成させたのだって私さ!故に想定外の使用者である晃くン!!君に興味があるンだよ!!ぜひぜひぜひぜひ我々の仲間になってほしい!!」
「ハラくくったとは言ったがよ、ちょっと嫌になってきたぞ俺……」
「慣れるべきよ」
心底げんなりした顔で目の前にいる狂った女を指差す晃。
一方の麗華は慣れきっているのか、感情の無い声で晃に返す。
「…………お願い、慣れて」
絞り出すように呟いたその一言にだけ、麗華の疲れがにじみ出ているように聞こえた。
「ノリ気じゃないかい?馴れ馴れしい年上女子は嫌いかい?性欲を掻き立てられないかい?君は本当に健全な男子高校生なのかい!?もっと過激なサービスが欲しいのかい!!??実はワタシ結構エグいパンツ履いてるンだけど見るかい!?それとも脱いだ方がいいのかい!??!?どうなンだい!!!?」
「マジでやめろ!あんたじゃ無理だ!!!」
「やめてください」
ろくでもない内容を一息でまくしたて、白衣の下のスカートを脱ごうとする篝火。
そんなわけのわからないものを見たくない晃は、表情を凍らせた麗華と共に左右から制止する。
止めに入る際の麗華の動きはとても慣れたもので、晃の知らない彼女の苦労を垣間見たような気がした。
「いやね?キミと一つ肉体関係でも結ンでズブズブのズブになってしまえば逃げられなくなるだろうし都合が良いと思ったのだけれどォ……」
篝火は子供のように拗ねた様子で口を尖らせ、脱げかけのスカートを履き直す。
「それ未成年にする話か!?サツにチクっていいか!!?」
「我々は特防省の直下、つまりお国がバックにいるンだゼ?ポリ公なんて怖くないし、ポリ公が怖くてマッドサイエンティストは務まらンのだよ!」
「自分からマッドって言ったぞこいつ……」
篝火がろくでもない事を言う度に、縋るように麗華に話を振る。
常識の裏とも言える未知の空間、常識の外とも言える未知の狂人。
麗華も常識の裏側にいる人間だとわかっていても、彼女に縋るほかに未知の恐怖に対抗する手段がない。
「フゥン?じゃいいよ。肉体ズブズブは麗華くンがヤってくれたまえ。若い男女だしぃ?仮眠用のお布団あるしぃ?」
麗華に対する晃の態度を見て何かを感じ取った篝火は、イジりのターゲットを晃から麗華へと切り替える。
「やめてください」
麗華の顔は変わらず無感情だが、顔色は羞恥で赤くなり、声色は怒りで震えている。
「なっ、なな何言ってやがんだ!ばか!ばか!!えっち!!!」
麗華と肉体関係を結ぶ、という内容を想像してしまった晃。声は上擦り、耳まで真っ赤になった顔を両手で覆う。
麗華が服を脱ぐ、麗華がシャワーを浴びる、麗華と布団に入る。想像力が貧困な晃に出来る妄想はその程度だ。
しかし、女性への免疫が無い晃はこれだけで羞恥心に支配され、麗華に横から睨みつけられている事に気付かない。
「若い子だからエッチなノリがウケる思ったのだが……どうしてもお気に召さンようだね。ではアプローチを変えよう」
晃からの拒絶の態度が変わらない事を把握すると、狂乱の言動と表情が一瞬で冷たく変貌した。
晃の想像していた、アニメや漫画によく出る「博士的なやつ」。
冷静な研究者としての顔がそこにあった。
「立ち話でやることではない、まぁ座りたまえ」
「お、おう……」
篝火は部屋の隅からパイプ椅子を二つ用意して、横に並べて晃と麗華を座らせた。
狂人が一瞬で仕事人になる。森川さんの時にも感じた、必要に応じて表と裏の顔を自在に使い分ける力。
この女達の素の顔ってどっちなんだろう、と晃はぼんやり考えていた。
「結論ぶっちゃけるとだ、我々は今割と危機的状況にあるンだよ」
篝火はモニターの方を向き、接続されたキーボードを叩きながら説明を始めた。
大きく表示された嘉地鬨市の地図に複数箇所、汚れにも似たマークが滲み出る。
「なンだかわかる?この嘉地鬨市でここ数年の間に発生した晶獣に関する事件の現場さ」
大都市ではないが、国内でもそこそこの面積がある嘉地鬨市。
十箇所から二十箇所ほどに広がる汚れの中には、晃と麗華が出会った場所も含まれている。
「これが多いか少ないかで言うと、かなり多い部類になる。そもそも晶獣ってやつの本質は自然災害みたいもので、古今東西に伝説として伝わる妖怪やモンスターの元ネタみたいなものだ。人型に姿を似せているのは我々人類が地球の支配種族である事を理解しているからで、危害を加えて何処かに連れ去ろうとしているのは、異次元にあると言われている彼等の巣穴に引きずり込ンで捕食するためだと言われているね」
篝火が再びキーボードを叩くと、モニターの映像が嘉地鬨市の地図から木の晶獣を映したものに切り替わる。
「世界が、国家が、人類が。昔から秘密裏に戦い続け、発生のメカニズムや対策を研究し続けて来た。現代に妖怪がいないのは何故か?その発生を未然に防ぎ、時には国家の力を持って極秘裏に処理しているからさ」
「じゃあ、俺が一昨日と昨日襲われたのっておかしくね?ヒミツリに処理できてねえじゃん」
「いい質問するねぇ、晃くン」
晃が素朴な疑問をぶつけると、篝火は振り返って晃の方に視線をやり、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「この嘉地鬨市って場所は昔っから曰く付きでね。晶獣や剣晶絡みのインシデントが特別多いのさ。故にJRICC本部が此処に建てられ、ド天才のワタシが此処に配置されてるってワ・ケ」
「対策や駆除、それと一般ピーポォーへのカバーストーリーの為にシルバーセキュリティがあるンだが、嘉地鬨の晶獣は力の強い個体が多くてね。アーマライザーや麗華くンのような存在を造ったりしなければならなかったのサ」
麗華のような存在を〈造る〉。
その言葉で麗華の表情が暗く沈んだ事に、晃は気付かなかった。
「晶獣の出現は事前に察知できるものであり、JRICCには対応できるだけの戦力がある。ではなぜ君が襲われる事を防げなかったかというと、だ」
篝火がもう一度キーボードを操作すると、モニターの表示が変わる。
そこには麗華と交戦していた時の、銃を手に持ったヴェノムジェスターが映された。
「君への襲撃は、おそらく晶獣を使役できるこいつが人為的に起こしたンだ。そンな事の出来る晶獣は……そもそも日本語を話し、道具を、それも我々の技術と全く異なる機械を使用するなンて事は今まで研究されてきた晶獣の生態から見てもあり得ない。つまり、だ」
振り返ってモニターから視線を移す。
今度は晃と麗華の二人を向き、真剣な顔つきで結論を告げる。
「――このヴェノムジェスターの正体は、人間である可能性が高い」
一方その頃、それぞれの目的の為にゲームセンターに行った賢治と宏。
人が多過ぎる為に目当てのゲームを満足に遊べなかった賢治と、目当ての女子大生にフラれた宏は隅のベンチで項垂れていた。
「結局二回しか遊べなかったンゴ……すまぬレイシスたそ、人が落ち着いたら必ずねっとりとプレイし尽くしてみせるからね……」
「聞けヨ賢治!!流れは絶対にあったんだって!!俺の方がもう少し早けりゃ、あの子に彼氏出来る前に声かけてりゃ絶対……ウウーッ!!」
「いやー、最初から脈無かったんじゃね?」
口では冷たい事を言いながらも、賢治は無様に泣きじゃくる宏の肩を叩いて慰める。
「なんでだよぉ……なんで俺イケメンなのにモテねぇんだよぉ……なんで晃の方にフラグが……イテッ!?」
宏の懐が突然、吐露した哀しみに呼応するように痛み出す。
痛みのする箇所、制服の胸ポケットを弄るとそこには小さな十字形の水晶を内包した、不気味なアクセサリーのようなものが入っていた。
「ん?宏どったん?なにそれ?」
「わっかんねェ。なんだコレ、見覚えネーナ」
見覚えのないアクセサリーを手のひらに乗せ首を傾げていると、埋め込まれた水晶が光を放ち始める。
それは宏の心にある負の感情を吸い上げて膨らみ、剣晶としてのサイズを取り戻した。
「LIGHTNINGYELLOW」
そのまま剣晶が起動して包んでいる物体に力が流れ込むと、まるで心臓のように脈動し始める。
「なんじゃっこりゃあ!?気持ちワリィィィ!!?」
「やばない!?なんかこれやばない!!??」
賢治と宏に備わる生物としての本能が危険を伝えるが、既に手遅れだ。
「HolD」




