1話
私は大昔から生きている。
もう何歳になったのか、覚えていない。
それ程長い時を生きている。
そんな私は人間ではない。
だから誰かにひかれるなんて、ありえないと思っていた…。
人里離れた森の中に私の棲みかはある。
少しだけ湿っていて、少しだけ寒い。
そして、昼なのか夜なのか分からないくらい、一日中暗い森だから、誰も寄り付かない。
そんな森に長らく腰を据えている私の元に訪れる客人は、まともな人などいない。
常に憎しみや怒り、妬みに心を奪われている者ばかり。
「ラミ、私の願いを叶えてくれまいか。」
私の棲みかをどこで知ったのか、今日も一人の客人が訪れた。
「報酬は?」
私も生活するにはお金がいる。
客人の依頼を受けて、報酬を受け取り、生計を立てている。
「2000リルでどうだ?」
客人はニヤリと笑いながら答えた。
2000リル…まぁ、妥当なところか…2000リルあればこの棲みかの一ヶ月分の家賃と私の食事代になる。
「良いだろう。」
私がOKを出すや否や、客人は鼻息荒く、私に言った。
「ナビル国の王子、ラキュアを殺して欲しい。」
またか…。
私は心の中で呟いた。
「了解した。」
私は手短く答え、客人を私の棲みかから追い出した。
私の元に来る依頼はいつもそうだ。
物騒な物ばかり。
でも仕方がない。
私の仕事は、魔女なのだから…。
「ナビル?…あぁ、最近力を付け始めている国の一つよね。」
私の友人、魔法使いのタナは人間との接点が多く、なかなか森を出ない私のために情報をくれる。
タナは綺麗な顔立ちとくるくると巻かれた金髪が少女の様で、彼女の表情には愛嬌がある。
魔法使いの彼女は人間に希望を与える存在として活動している。
例えば、傷付いた人間がいれば、その傷を治してくれる。
私のように、誰かを傷付けて生計を立てている魔女とは真逆な存在。
「その国のラキュア王子が今回のターゲットなの。」
私は伸びすぎた長い爪を邪魔だなと感じながら、タナが出してくれたコーヒーを飲む。
「確か、ラキュア王子って、もうすぐ結婚するじゃなかったかな?」
それを聞いて、私は落胆した。
思わず、コーヒーをこぼすかと思うほど、うなだれてしまった。
「最悪…幸せの絶頂の人を殺めろと言うのね、あの狸親父。」
私は、私に依頼を持ち掛けた、あの客人の顔を思いだし、その顔を忌々しく感じた。
「まぁ、それが魔女の仕事だしね。」
タナは運命に逆らえない私に追い討ちを掛けるように呟いた。
しかしタナに悪気はない。
だって、私もタナも、それぞれの肩書きに付いた運命からは逃れられない。
「で、決行はいつ?」
タナは業務的に私に尋ねた。
私はコーヒーカップをソーサーに置いて答える。
「次の満月の夜。」
「そう。」
こうして、私達のお茶会はお開きになった。
棲みかに戻った私は、準備に入った。
年期の入った大きな黒色の鍋を火に掛け、トカゲの尻尾やカエルの頭、匂いのひどい薬草などを煮詰めていく。
ちょうど色がどす黒い、闇のようになったら火を止め、それを杓ですくって、布でこしていく。
こしたものを小さな小瓶に詰めたら、毒の出来上がり。
準備は出来た。
あとは、ナビル国に行き満月の夜を待つだけだ。
ナビル国は砂漠地帯にある国だった。
見渡す限りの砂の大地に、私は途方に暮れた。
「嘘でしょ…。」
長いこと生きてきたけど、ヨーロッパ地方からまさかこんな砂漠地帯に仕事で訪れることになるなんて、思ってもいなかった。
「私、引きこもりなのに…。」
しかし魔女の運命には逆らえない。
私は砂漠の大地を歩き始めた。
歩いて数分。
私の歩みは止まってしまった。
照る付ける太陽に逆らうように、私は真っ黒のロングのローブを着ている。
「あ、暑い…。」
流れたことのなかった汗が私の体を濡らしていく。
だんだんと目の前が湾曲し始めた。
「あれ?…あれ?…。」
するとまっすぐ前を向いていたはずの私の体はいつの間にか、太陽が真上に見える位置に変わっていた。
ザクッ
ザクッ
ザクッ
遠くに聞こえる砂を踏みしめる音を聴きながら、私は目を閉じた。
(冷たい…。気持ちいい…。)
私の額にひんやりとした感触。
そして体を吹き抜けていく風を感じる。
私はゆっくりと目を開けた。
「大丈夫ですか?」
そう言いながら、私の視界に入ってきたのは、浅黒い肌に優しげな瞳を灯らせた若い男の人だった。
この砂漠の国の人だろう。
彼は起き上がろうとする私に手を差しのべてくれた。
「すみません。ご迷惑をお掛けして。」
私が感謝と申し訳なさを込めてそう言うと男の人はにこやかに笑った。
「いえ、大丈夫そうで良かったです。あなたは砂漠の真ん中に倒れていたんですよ。」
そう言われて思い出した。
私は暑さで気を失ったのだ。
「気分はどうですか?おばあさん。」
「おばあさん?」
突然男の人に年寄り呼ばわりされて、私は一旦動きが止まってしまった。
「あの…。」
私がなかなか返事をしないからか、男の人は心配そうに私を覗き込んだ。
その人の瞳は綺麗で透き通っていた。
私は思わずその人の瞳を見返した。
すると、その人の瞳には、年輪を感じさせる皺を幾つも刻み込まれた私の顔が映っていた。
(そうか…私は、おばあさんになっていたのか。)
自分の姿をもうなん百年も見ていない私は、彼の綺麗な瞳を通して、初めて今の自分の姿を知った。
「大丈夫ですよ。すみません。」
そう言って私は寝かせてもらっていたベッドから降りようとした。
すると、使いなれていないベッドだったからか、降りようとした時に、ベッドのシーツがずれて、足元に絡まってしまい、私の体はそのまま地面を目指して倒れ始めた。
「おっと。」
そう言って私の体を大きくて暖かい腕が支えてくれた。
私は倒れた勢いのまま、その腕の中に身を投げていた。
浅黒い肌からは太陽の匂いがする。
森の中では嗅いだことのない、新鮮な香りだった。
(いい匂い。)
私は夢見心地だった。
「ラキュア!何してるの?!」
そんな慌ただしい声が聞こえてきて、私は我に返った。
声の主は私と彼の前に仁王立ちしてこっちを睨んでいる。
しかしその顔はとてもかわいらしく、一瞬子供かと思った。
「ティアラ。」
彼がその子の名を口にした。
「誰?そのおばあさん。」
ティアラと呼ばれた少女はつかつかと私の前に来て、私を覗き込んだ。
「こら!失礼だろ。」
そんな彼女を彼がたしなめる。
何て紳士的な人なのだろうと改めて感じた。
「だって、見たことない服着てるし…。」
ティアラと呼ばれた彼女は口を尖らせた。
そして、いつまでも彼の腕に支えられている私に向かって、イラついた声で言った。
「いつまでそうしてるの?!おばあさん!」
怒っているのに、彼女の可愛らしさは変わらない。
その事になぜか私はショックを受けた。
「すみません。」
そう言って彼から体を離すのが精一杯だった。
「いえ。ところで、あなたはどこに向かわれるおつもりだったのですか?」
彼にそう聞かれて、私はふと、さっきティアラという彼女が呼んだ名前を思い出した。
(ラキュア、確か、さっきそう言っていた。)
私は暑さでどうにかなってしまっていた頭の中をぐるぐると思考を巡らせた。
「あ!」
私は大声を出してしまった。
「どうしたんですか?」
突然の事に、彼は驚いて私を見た。
その彼を私はしっかりと見返した。
(この人が…ラキュア王子。)
私がそう認識した時、彼は爽やかな笑顔を私に向けた。
その彼の笑顔と、先程の彼の香りが、私の体の中に熱をもたらした。
その熱は、今まで生きてきた中で感じたことのない位、砂漠に照りつける太陽よりも私を火照らせた。
ラキュア王子は、私をこの国にとどまることを勧めてくれた。
それは私が年老いた老人だから、心配してくれたのだ。
しかし目的の分からない私をよく引き留めてくれたと思う。
普通なら見たこともない姿をした老人など、気味が悪いだろうに。
(彼は一体どんな方なんだろう?)
そんな彼に私は興味を持ち、暫くの間、彼の様子を見ることにした。
ラキュア王子の一日は早く、太陽が登り始めるともう外に出て仕事を始めていた。
彼の住む王宮には大きな噴水が幾つもあり、その回りには背の高いヤシの実がたくさんある。
彼はその木に登り、ヤシの実を取る。
家臣たちも加わり、たくさんのヤシの実を取ると今度は
、その実をラクダがひく荷車に載せて出掛ける。
彼が向かったのは、砂漠の中にある、小さな村だった。
そこにはオアシスの様な水場が見当たらず、村人たちは日陰に入って座り込んでいる。
朝早くにヤシの実をとり、村へ向かったはずがつく頃にはもう太陽は高い位置に来ていた。
「待たせてすまない。」
彼はそう言って、村人に声を掛ける。
すると、さっきまで座り込んでいた村人たちが、彼に向かって頭を下げ始めた。
「いいから、早くこの実を。」
彼は荷車に載せたヤシの実を、村人一人一人に手渡していく。
「ありがとうございます。」
そう言って村人たちは彼からヤシの実を受け取り、また日陰に入って受け取ったヤシの実から水分を得ていた。
「すまないな。ここに水を引くにはもう少し時間が掛かる。辛抱してくれ。」
そしてたくさんのヤシの実を村に置いて、また王宮に戻って行く。
「暑くはないか?」
彼、ラキュアは荷車の端に座る私に声を掛けてきた。
「はい。」
私もヤシの実を与えられ、水分を補給していた。
ラキュアも私と向かい合う形で、荷車の後ろに腰を下ろしている。
ラクダは家臣の人が連れて歩いてくれている。
「しかし、私の仕事を見てみたいとは、変わった人だ。」
ラキュアはそう言って、笑う。
私は朝早くに出掛けようとするラキュアに声を掛け、同乗することを願い出たのだ。
「私は森の中しか知りません。ですから、外の世界を見てみたいのです。」
私は自分が引きこもりの老人であることをラキュアに伝え、外へ興味があることを理由に彼の仕事に同行させてもらっている。
「私は逆に森を知らない。どんなところだ?」
「暗くて湿った場所です。こことは正反対。」
「そうか、私もそんな場所に行ってみたいがな。」
そう言って彼は爽やかな笑みを見せた。
お昼になると今度は王宮に入り、たくさんの書類に目を通し、家臣たちと会議をしたり、来客に応じたりしている。
彼の一日は休む暇などない程に忙しく過ぎていった。