第92話 飛んで火にいる夏の虫
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「え、ウィル……」
突然の事に、想像もしなかったことに、俺はそんな言葉しか出せずにいた。
深紅の騎士は苦悶の表情を浮かべ、宙づりとなっている。
黒き姫は顔色を何一つ変えず、片手一つで騎士を締め上げている。
「知った風な口を……、そんなに死にたいのか。ゆっくり焼き殺してやろうと思うたが……やめじゃ」
黒き姫は遠くから見ても分かるように少しづつ首をつかむ手に力を込めていく。そして、あれほど近づいているのだ発する熱も相当なもんだろう。
騎士の両手は無気力に垂れ下がっている。その手に先ほどの剣はなくなっていた。
「クッ…………」
騎士は苦しみながら彼女を見つめる。と同時に黒い少年を視界の端に収める。
「さあ、命乞え、そうすれば考えてやらんこともないぞ」
黒き姫はまた、さっきのように笑う。
情緒不安定かよ……。それより、何かおかしい。雰囲気もそうだがまず喋り方が違う。どうなってるんだよ。ローズの中に入ったやつが出た来たのか? いや、それなら最初のおかしな言動の辻褄が合わない。
……一旦それは考えないようにしよう。まずはウィルをどうにかしないと。
この剣を渡したいのだが、それを許してもらえるのか怪しい。先ほどまでの炎はすべて、騎士に向かったものだった。だが、雰囲気が変わった今、また許されるかどうかは分からない。それ以前にあの熱の中近づくのも相当に厳しいだろう。体中の火傷は覚悟しなければならないだろう。
そんなことを考えて一歩踏み出した時だった。運悪く、その一歩に小石が当たり、ほんの小さな音を出してしまった。そんな小さな音は静かな部屋を当然のように木霊する。
ヤバイ……
もう遅い。
黒き姫はこちらを見つめていた。その黒瞳は真っすぐ俺を射抜いていた。
「我が英雄よ。待っていろ、今度は私が守って見せる」
黒き姫はまた俺に優しく微笑みかけたのだ。その笑顔は温かく、自然と一筋の涙がこぼれていた。俺は確かにこいつの事なんか知らないはずなのに……。そんな思いは一瞬だった。その思いを一蹴し俺は走る。この剣を渡す。俺はそう誓ったんだ。
一歩一歩と近づくたびに温度が上がる。これこそ飛んで火にいるというやつなのだろう。
手や顔、肌が露出している個所が熱い。息をするたびに喉が、肺が焼ける。――――でも、足を動かす。
俺に出来ることは頑張る事ぐらいしかない。剣を振れなきゃ魔法なんてものも使えない。そんな俺を信じてくれたから、諦めるなんて言葉は浮かばない。
あの日のようには絶対にしない。そう決めたんだ。
「レン……」
騎士はそんな姿を見て、小さく笑ったのだった。
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もうすぐ一章が終わりそうですが、書き終えると少し更新を休んで最初の話をもう少し読みやすいように書き直そうと思っています。




