かわいいもの
かわいいもの
可愛いものが好きだ。可愛くあるために自分は生まれてきたのだと本気で思っている。星屑をこぼしたアイシャドウ、モンシロチョウの羽を盗んだワンピース、背伸びしたハイヒールと口紅。母の持っていたそれらが羨ましくてたまらなくて、勝手に使っては叱られることを繰り返していた。地面に散らばったちらりと輝くかけら。自分を取り巻く「可愛い」をすべて集めて身に着けたい。
「可愛い」は努力とお金を餌として生きる獰猛なイキモノだ。その努力は時にして精神をむしばみ、痛みを伴う。耳に残る痛みがそう教えてくれた。安全ピンでピアスを開けた痛みの跡だった。手元に転がるハートのピアスは、イヤリングとの区別が分からずに買ったものだ。自分にとって、痛みを据え付けてでも身に着けたい代物だった。
「シノ、何やってんの。ピアス開けるなら皮膚科行かなきゃだめだよ」
「でも、つけたかったから」
「感染症になっちゃうよ」
「サヨとお揃いのピアス、つけたかったの」
「なにいってんの、もう」
そういって複雑な顔で笑う女の子は、同棲中のサヨだ。つやつやでまとまりがあるパーマは星屑をまとって、自分の太い髪の毛とはまるで違う。長いまつげ、透き通る瞳、細い指。彼女は「可愛い」の権化だ。
「ほら、お化粧したげる。おいで」
サヨは自分のメイク道具を並べる。彼女は美容の専門学校の学生で、信じられない量のアイシャドウや口紅を持っている。お金は読者モデルをちまちまとやって貯めたというが、「可愛い」はこんなにもお金になるのだろうか。いや、「サヨの可愛い」だからこそできたんだろう。
「シノはきれいな目してるから、シルバーのシャドウが似合うかな」
「シルバー?」
「うん。ピンクが良かった?」
「まあ、ピンクのほうが可愛いかな」
「まあでもちょっと、だまされたと思ってつけてみてよ。シノのこと、絶対可愛くするから」
そういって笑う。サヨはこだわったらヒトの意見を聞かない。
「お化粧、これで何回目?」
「小さいころに、一度だけ。お母さんの化粧品勝手に使って怒られた」
「あはは、私もやったよ、それ」
細やかな手つきで化粧品たちを踊らせるサヨは、あこがれだった。愛おしい、アコガレの女の子。
「できたよ」
サヨの作品になった自分は鏡の中できらめいて、涙が出た。涙は「可愛い」を洗い流してしまうから、必死で耐えた。それを見てサヨは笑った。
「サヨ」
「なあに」
「僕、かわいいね」
「ほんとだね。わたしのおかげだ」
「うん、君のおかげだ」
そういって二人で、鏡の前で手をつないだ。君の手が暖かくて、僕はやっぱり涙が出た。
僕の記憶は、「可愛い」が地面に投げ捨てられていた。それは母が僕から引きはがしたたくさんのものだった。お願いだからやめろと僕から奪い投げ捨てて、それは足元にむなしく転がる。捨てられた宝石を僕は、母に見えないようにこっそり拾い上げては奪われるを繰り返す。かわいいね、シノ。そういって僕の手を握ってくれる日は来なかった。
「サヨはさ」
「なにさ」
「僕が隣にいていいの」
「…何言ってんの。怒るよ」
私はシノが好きよ。そういって笑う僕の「可愛い」は、どんなアイシャドウやワンピースよりも魅力的だった。