5話 吹き込む新たなる風
今日も厳しい日差しが、数少ない窓から僅かに射し込んでいる。
一年を通して暑い日が続くここラヴィーナは、雨季が過ぎ年間を通して最も暑い季節に入っている。
この時期になると、日中出歩くのはかなり辛い。暑さに強いラヴィーナ国民の肌も、流石にこの時期に長時間日差しに晒されると火傷を負ってしまう。
父親譲りの北方の肌を持つエヴェリンは尚のこと、遮る物が何もない状態では一時間と続けて外に出ていられない。
エヴェリンは棚に書物を収めていた手を止めて、窓の外を眺めていた。
少年といつもより少しだけ多く会話をしてから数日が経っていた。今日は週末。来週と言っていたから言葉通り来るとすれば今日なのだろう。だが、閉館まであと一時間と少し。
本当に来るのだろうか。
いつも通りの作業をしているつもりでも、ここ数日は気が付けばノルベルトのことを考えている。なんだか来るのを待ち望んでいるようで、そんな自分が恥ずかしかった。
それでも、あんなにもまっすぐな視線でじっと見られることは初めてで、エヴェリンは自分の理解出来ない感情に戸惑っていた。
ただ、気紛れで名前を聞いただけなのかもしれない。
この国の民では持ち得ない肌の色をしていたのが珍しいだけだったのかも。
真っ直ぐに見つめてくるのは、私だけにではなくて彼の癖なのだろう。
きっと何も変わらないはず。
いつも通りに手続きをすれば、以前と変わらない平穏はすぐに戻ってくるだろう。
エヴェリンは窓際から移動して、中断していた作業を再開させながらそう自分に言い聞かせた。
「エヴェリン、なんだか近くで物取りがあったみたいだから、今日は寄り道せずに早く帰った方がいいわよ」
「えっ、そうなんですか」
受付に戻ったエヴェリンに、ケーテが声を掛けてきた。
「ええ、まだ犯人が見つかってないらしいわよ。私もさっき本館で聞いてきただけだから詳しいことは分らないけど」
「はい。じゃあ、暗くならないうちに帰りますね」
それでもエヴェリンにとっては当たり前のいつも通りのこと。どこかに立ち寄ることの方が珍しい。
見ると、すでに閉館まで一時間を切っている。急いで今日中に行わなければならなかった作業の最終確認をしている時だった。
静かな図書館に、扉を開ける音が響き渡った。
「こんにちは」
「こんにちは」
入ってきたのはノルベルトだった。
いつも通り濃紺の服に身を包んだ彼は、一冊の書物を片手に持ちながら挨拶を交わして書棚の方へと歩き始める。
今日は来ないかもしれないと思い始めていた矢先だった。
今まで閉館間際に来たことなんてなかったから。
訪れるのは大抵が午後の日差しが強い時だったから。
それでも言葉通りにやって来たことで、自分の鼓動が少し早くなったのを感じる。
受付に戻り書類の整理を始めてすぐ、ノルベルトは二冊の本を手に受付へとやって来た。
エヴェリンは少し緊張しながらも、それを気が付かれたくなくて平静を装い通常通りの手続きをする。
それでも意識は自然にノルベルトに向いていた。
いつもは埃一つ付いていない濃紺の団服が今日は少し汚れているように見えるのは気のせいだろうか。
「貸し出し期間は二週間なのでお願いします」
「はい」
本を手渡し手続きが完了したにも関わらず、やはりノルベルトは動こうとしない。
「あの」
「はい」
「エヴェリンさん、失礼を承知でお聞きしますが、おいくつですか?」
「十九、あっ、建国祭の日で二十歳になります」
初めてノルベルトの口から自分の名前が出たことに少し気恥ずかしく思いながら答えると、いつもの涼やかな相好を崩して柔らかく微笑んだ。
「そうですか。私は十七歳です」
「そうなんですか」
やはり読みは当たっていたようだ。それでも大人びた凛とした佇まいは、とても十七歳には見えない。
「では、また来週に来ます」
「はい」
ノルベルトは最後にもう一度エヴェリンの目をまっすぐ見つめながら微笑むと、来た時と同様に静かに扉から出て行った。
エヴェリンはしばらくのあいだノルベルトの消えた扉を見ながら、早くなった鼓動を鎮めようと何回も小さな深呼吸を繰り返した。
こうして始まった週に一度の一問一答は、三ヶ月経つ今も変わらず続いている。
住んでいる場所や生まれた場所、好きな食べ物に嫌いな食べ物、休みの日の過ごし方など、ノルベルトが投げかけてくる質問は尽きることがなかった。
身体に似合わない優しげな微笑みを向けられると、エヴェリンはどうしていいのか分らなくなってしまい、時には恥ずかしくて俯いてしまうことさえあった。そんな自分に、ノルベルトは再び顔を上げるのをじっと待ってくれていた。
ただ一週間に一度の一問一答。会話はそれだけ。
それでも、いつのまにかその時間を待ち遠しく感じるようになっていた。
こんな関係をなんと言うのだろう。
友人?
けれども友人と呼べるほど時間を共有していない。
知り合い?
なんだか少し寂しい気がする。
こうして言葉で括ってしまおうとするとしっくりこない。
いつからか、こんなにも自分の意識に入り込んでしまったノルベルトに戸惑いつつも、それを全く不快に感じない自分がいる。
とても不思議だった。
以前は、男性と接することは少し苦手で自分から近付きたいと思ったことはなかった。両親や食堂の夫婦、お客さんや友人たちがすべてで、それ以上は不要だと思っていた。
でも今はこうして少しずつ自分のことを知ってもらい、自分も少しずつノルベルトのことを知っていく。
それをすごく大切なことのように感じている。
もっとノルベルトのことが知りたいと思った。
そしてそれと同時に、ノルベルトも同じように感じてくれていればと願っている自分がいた。