3話 特異な存在
自分の人生はいつも色々な人に助けられ支えられ、本当に幸せだと思っている。
両親、故郷の村の人たち、食堂を経営する夫婦やそこの客、学院時代の友人たち。
大好きな父親が亡くなった時もそうだった。一目でこの国の人間ではないと分かる父の美しすぎる容貌に、それでも村の人々は偏見の目を向けることなく接していた。父と母はグリュップの村で恋に落ちたのだと聞いている。
元々それほど健康ではなかった父は、エヴェリンが高等課程を修了する間際に流行り病で亡くなった。
父の死がショックで何もかもがどうでもよく、村に帰って家の仕事を手伝おうと思い立ったエヴェリンに、母は笑いながら拒絶を示した。母の目に涙は無かった。
思えば昔から気丈な人だった。穏やかで優しく声を荒げない父に代わり、自分を叱るのは大抵が母だった。
王立図書館に勤めることが決まっていたエヴェリンに、恩ある人間に礼を返さないのは失礼だとエヴェリンを諭し、周囲に迷惑が掛かるからと王都での生活を続けさせた。そして今でも一人で畑仕事を続けている自慢の母。
それでも畑仕事を父の生前の頃と同様に続けることは難しく、エヴェリンは家計を助けるために僅かばかりのお金を母に送っている。今こうして自分の好きな仕事に就けているのも、やはり父と母のお陰だと分っているから。
そして大好きだった父が亡くなり、かなりの勢いで気落ちして王都に帰ってきたエヴェリンを慰めて支えてくれたのは、友人たちと食堂の夫婦だった。
『ちゃんとした格好すればとっても可愛いのに』
貸出しから帰ってきた本を片付けながら、エヴェリンは先ほどのギゼラの言葉を思い出していた。
それでも、出来る限り母親の生活を助けながらここで働き続けたい。結婚してしまえばそれは不可能だ。だから恋なんてしなくてもいい。結婚なんてしたくない。
恩のある色々な人たちに、独り立ちした今ようやくそれを返すことが出来るのだから。
物思いに耽りながら最後の一冊を棚に戻し終わると、それと同時に入り口の重厚な扉が開く音が聞こえてきた。
受付の方に向かうと、最近よく見かける少年の姿が目に飛び込んできた。
「こんにちは」
「こんにちは」
濃紺の騎士団指定の制服に身を包んだ少年と、通りすがりに挨拶を交わす。
少年と呼ぶには彼はいささか完成され過ぎているかもしれない。
それでも間違いない。彼は数ヶ月前までは王立学院の高等課程に在籍していたのだから。
彼を初めて目にした時は、その身長の高さに驚いた。王立学院の高等課程の制服に身を包んだ少年の身長は、エヴェリンの頭二つ分以上高かったからだ。
初めて彼を目にした一ヶ月後、今度は騎士団の制服を着てこの図書館を訪れた。それ以来、毎週一度はここへ来て古書を一冊借りてゆく。
この国の女性の平均的な身長のエヴェリンの頭二つ分以上というと、それは相当な高さだ。それでも武骨な印象を受けないのは、熟練の騎士の様な一目で筋肉質とわかる身体ではなくしなやかな少年時代特有の身体つきを残しているということと、品が良く優美な立ち振る舞い、本を差し出す時の細く長い指のせいだ。
ここ王立図書館の別館は古書を専門に取り扱っている。一般国民が見るような書物はすべて、数年前に建て替えられえた本館に蔵書されているのだ。そして歴史的価値が高い別館の蔵書の閲覧、貸し出しには国の審査に通り使用許可証を提示する必要がある。
よって、別館への人の出入りは本館に比べ極端に少ない。大抵は国の機関や研究所、学者などの専門職に就く人の利用が大半を占め、彼のように若く、それも騎士という立場の人間が利用することは異例中の異例だった。
彼が何度か利用するうちに、エヴェリンは物珍しさに負けて彼を観察するようになった。
長過ぎず短か過ぎず常に一定の長さに切り揃えられている黒髪、瞳の色は濃茶で一般的なラヴィーナ国民の特徴だ。だがその目元は切れ長で涼やかさを醸し出している。細面にスッと通った鼻筋で、その端正な容姿とじっと相手の目を見て話す様は、騎士というある意味武骨な職業に就いているにも関わらず、どこか清廉で知的な印象を受ける。
さぞかし女性に人気があることだろう。
古書の貸し出し台帳の名前はノルベルト・ミューエ。王立学院を卒業後騎士団に入団した、恐らく十七歳。彼に関するエヴェリンの知識はこれですべてだ。
彼は週に一度書物を借りに来る図書館の利用者で、エヴェリンはその図書館の受付。ただそれだけの筈だった。