12話 彼の望み
「エヴェリンさんは私のことが嫌いですか?」
黙り込んだエヴェリンに、ふいに投げ掛けられたノルベルトの言葉。
そのあまりに真っすぐな問い掛けに、エヴェリンは俯いたままで首を何度も横に振った。
ノルベルトと一緒の時を過ごしたいと思っているのは、誤魔化しようのない本当の気持ちだった。
決して、彼のことが嫌いで一緒に居たくないわけではない。
そのことを彼に勘違いされたくなかった。
「良かったです。ほかにも色々と聞きたいことや聞いて欲しいことはあるのですが……」
そう言ったノルベルトの声は少しだけ笑っているようだった。
不思議に思い、エヴェリンはゆっくりと顔を上に向けた。
そこには、慈しむように優しく笑うノルベルトの端正な顔があった。
「今はそれだけで我慢します。きっと私がここで何を言っても、エヴェリンさんを更に悩ませ追い詰めてしまうでしょうから。ただ知っておいて欲しいのは……」
そこまで言って、ノルベルトはエヴェリンの手を柔らかく握り締めた。
真っすぐ見つめてくる形の良い涼しげな瞳は、出会った時と同じような真剣な眼差しで。
手を包む温もりと逸らすことのできないその視線に、エヴェリンの鼓動は再び早鐘を打ち始めた。
「あなたが何処の誰でもいい。そんなことは関係ない。あなただから、私はこうして共に居たいのです。あなたでなければ駄目なのです。あなたが私を嫌いでないのならば、私は決してあなたのことを諦めることはしません。ですから覚悟しておいて下さい」
「…………」
「もう既にお分かりだとは思いますが……エヴェリンさん」
名を呼ぶノルベルトの声は、緊張感を滲ませたような低い音だった。
それが伝染したかように、奇妙な圧迫感がエヴェリンを襲う。
けれどそれは決して不快感を覚えるようなものではなかった。
瞬きもせずじっと見つめてくる、突き刺さるような視線。
その瞳の奥は熱を孕んでいるかのようにゆらゆら揺らめいている。
まるで、逃げることを許さないとエヴェリンに告げているかのようだった。
「エヴェリンさんが好きです」
二人の時が止まったような錯覚に陥る。
それとも止まってしまったのは自分だけだろうか。
確かにはっきりと聞こえた声は、けれどもどこか現実味がなかった。
エヴェリンとて途中で、話の流れでもしかしたらと、彼の自分に対する気持ちを考えなかったわけではない。
その度に、まさか、そんな筈はと何度も心の中で繰り返していた。
けれど、先ほど自分との格差を持ち出し遠回しに否定した筈だった。
それでもなお、彼が自分にその情熱を晒してくるのはなぜだろう。
「あなたが私のことを嫌いでなければ、僅かでも希望があるのであれば、私はその一縷の望みにかけます。少しでもあなたに好意を持って貰えるように努力します。ですから、騎士のノルベルトではなく、ただのノルベルトという人間を知って下さい。お願いします」
重ねられた手が熱かった。
それはまるでノルベルトの激情を表しているようで、エヴェリンにはそれが少し怖かった。
握られた手一つで逃げ道を完全に塞がれてしまったような感覚に陥ってしまう。
それでもその熱に、その掌に自分の心を委ねてしまえたらと思わずにはいられなかった。
ノルベルトはエヴェリンの答えを予想していたのではないか。
恐らくノルベルトの出自が貴族だろうが平民だろうが、自分の答えは変わらなかっただろう。
騎士という選良な職階に就いていること自体に引け目を感じているのだから。
何者でもない、ただ一人の人間として見て欲しいと願うノルベルト。
それはエヴェリンがずっと以前から心の中に宿してきた願望と同じものだった。
貧しい家の娘ではなく、異国の血が混じった異端でもない。
ただのエヴェリンとして接して欲しいと。
奇異の目を向けられる度に膨らんでいった切実な望み。
ノルベルトの求めるものを知り、エヴェリンは意を決して口を開いた。
「どうしたらいいのか正直わからないんです。でも……それでも私でいいんですか?私のことを知りたいと思ってくれますか?」
込み上げるものを押し殺して、震える声で問い掛けた。
「はい。あなただから知りたいんです」
手を握る力が少しだけ強くなる。
それはまるでノルベルトの強い意思を表しているようで。
それに後押しされるように、エヴェリンはノルベルトに微笑んだ。
「私もノルベルトさんのことをもっと知りたいです」
エヴェリンの言葉に、ノルベルトは今まで見たこともないほどの満面の笑みを浮かべた。