11話 隠すことのできない現実
エヴェリンはノルベルトに手を引かれて、王城の近くにある小高い丘の上を目指していた。
溢れかえる人混みから随分前に脱出したにもかかわらず握られたままの温かな感触に、胸の奥がくすぐったいような感覚に包まれる。
緩やかな坂ではあるものの、木々に隠されるようにある入り組んだ道のためか人気は一切無く、強い光を放つ雑貨店で買ったランプの灯りを頼りに歩いてきた。
「着きました。ここです」
ノルベルトが灯りを翳した先に広がっているのは、さほど広いとはいえない丘の上の草原。
けれども、そこにはヴィースヴァルトの花が所々群れを作るように咲いていて、まるで緑地に白の水玉模様の絨毯を敷き詰めているようだった。
暖かな風に煽られ、柔らかく体を揺らす白い花。
エヴェリンは父親と通った小川の土手以上の絶景に、薄茶の瞳を輝かせた。
「とても素敵な場所ですね」
「お気に入りの場所なんです。エヴェリンさんと一緒に来たいと思っていました。明るいともっと綺麗なんですが。ここからなら落ち着いて花火を見ることが出来ますから」
ノルベルトは胸のポケットからスカーフを取り出し、ヴィースヴァルトの花を避けて地面に敷いた。
「ここに座ってください」
「でも……」
「エヴェリンさんの綺麗な服が汚れてしまいますから」
「ありがとうございます」
にっこりと微笑むノルベルトの気遣いを無下に出来ず、エヴェリンはそこに腰を下ろす。
そろそろ花火が上がる時間帯だろう。初めて観覧する建国祭の花火にエヴェリンは胸躍らせて、花火の打ち上げられる方向を見つめる。
「エヴェリンさん」
横に腰を下ろしたノルベルトが、エヴェリンの方に身体を向けた。
「はい」
真摯な瞳で見つめてくるノルベルトに少し戸惑いながら、エヴェリンも僅かに身体をノルベルトの方向に向けた。
「先ほどのクルトの話ですが」
「は、はい」
「あの話は本当のことです。私が通っていたのは古書を借りるためではなく、あなたに会いたいがために通っていました。少しでもあなたのことが知りたかったんです」
真剣な眼差しで告げられる言葉に、エヴェリンの鼓動が早鐘を打つ。胸の奥が締め付けられるような感覚に、何と答えたらよいのか分からず少し顔を伏せた。
これまで容姿の引け目から男性との接触を避けてきたエヴェリンにとって、こんなことは初めての経験で、恥ずかしさと戸惑いに押し潰されそうになる。
「クルトの言うように私は話をするのは得手ではないですし、たいして面白みの無い男です。年も三つも下で頼りなく思われるかもしれません。それでも、あなたに釣り合うように、相応しいように精一杯努力するつもりです。だから、こうしてあなたの空いた時間の一部を、そしてあなたのことを知る権利を、どうか私に与えてくれませんか?」
ノルベルトの問い掛けに、エヴェリンは戸惑いながらもゆっくりと顔を上げた。
間近で見る涼やかな瞳は切なげに細められ、ノルベルトの想いの強さを顕しているかのようだった。
エヴェリンはその視線に耐えかねて、思わず弱々しく首を横に振った。
ノルベルトが釣り合うように努力するなどとんでもない。自分こそがノルベルトに不釣り合いだと感じているのに。
自身の出自を語ろうとしないノルベルト。それでも、優美な仕草や堂々とした立居振舞いは恐らく貴族特有のもの。そうでなければ、余程裕福な家庭で育ったのだろう。
そう、貧しい農家の出であるエヴェリンに相応しい筈がない。
エヴェリンは、決して自身の出自を卑下しているわけではない。汗水流して働いて自分を育ててくれた両親を、尊敬しているし誇りにも思っている。それでも、身分の格差はどんなに誤魔化そうとしても隠しきれるものではない。そう、エヴェリンの容姿と同じように。
苦しそうに柳眉を寄せるノルベルトに、エヴェリンは恐る恐る口を開いた。
「私……貧しい農村の出身なんです。ノルベルトさんのような立派な騎士の方に相応しい人間じゃないんです。亡くなった父は異国の出身だから、ラヴィーナの国民とは外見も違うし……」
貴族か裕福な家の子息であろうノルベルトに見合う身分は、この国の容姿と同じように、エヴェリンがどんなに努力したところで手に入れることが出来ないもの。
向けられる真摯な瞳を見れば、決してノルベルトが身分云々で人を差別するような人間ではないことは、エヴェリンにも分かっている。
けれど、周囲の反応は違うだろう。
自分は奇異な視線には慣れている。
実際に苦しい思いをするのは、きっとノルベルトの方だ。
いずれ、エヴェリンと一緒にいることを後悔する日が来るかもしれない。
ノルベルトの優しさに触れ、穏やかな微笑みに惹かれた。
けれど、そんな浮かれていた自分が恥ずかしい。
共にいることを望んではいけないのだ。
エヴェリンは今口に出して、改めてノルベルトと自分の格差を実感した。




