1話 日常の風景
荘厳な二重の鐘の音がこの土地にしては珍しく涼しい風に乗せられて、古い歴史を感じさせる建物内に入り込んでくる。
エヴェリン・シュラムは昼を告げる鐘の音を耳にして、強張った筋肉を解すように軽く伸びをした。
古書のどこか懐かしさを感じさせる匂いを胸いっぱいに吸い込んで、それまで裂傷確認をしていた書物に栞を挟んだ。
王城の近くに建つ王立図書館別館。エヴェリンはそこで古書の山に囲まれて仕事をしている。
エヴェリンはこの王都から馬車で三時間ほどのところにあるグリュップという小さな村の出身で、村の家の大半がそうであるように、彼女の家もそれほど大きくない畑で細々と野菜を栽培して慎ましく生計を立てている。
親子三人の生活でさえ余裕がないにも関わらず、それでも両親はエヴェリンに家の手伝いを強要することはなかった。そればかりか地道に貯め続けた僅かな貯金を使って、王都にある王立学院を高等課程まで出させてくれた。
これからの時代は男性と同じように女性も一般的な知識を得ることが必要になってくる、そう言って。
エヴェリンが暮らすこのラヴィーナという国は、ノイゼス大陸で最も小さく、そして最も弱い国と言われている。
事実、国土の一部は一年中照り付ける厳しい日差しに因って砂漠化が進み、人間が住み続けることの出来る土地は限られている。新たに開拓出来る土地は皆無といっていいだろう。
誇れるような産業も無く、極稀に採掘されるソルライト石という希少価値の高い宝石を僅かばかり他国と取引しているが、隣国の採掘量に比べれば遥かに少なく、また採れる種類も光度の低い物が殆どだった。
大陸の国々を繋ぐ主要な街道はここラヴィーナには通っていないため、他の国の文化や動向、そして国々を渡る商人たちの出入りは極端に少ない。
それでも皮肉なことに、痩せた大地と発展途上の文化のお陰で他国からの侵攻はなく、国民たちは静かに平穏な日々を過ごしている。
そのラヴィーナの王都クラインリートでのエヴェリンの生活は今年で十二年目になる。両親と温かな村の人々に見送られ生まれ育った土地を離れ、九歳の時からこの王都にある小さな食堂の二階に下宿し始め既に丸十一年が過ぎた。
初等、中等課程の六年間で基礎を学び、高等課程の二年間で歴史学を専攻したエヴェリンは、下宿をしている食堂の常連客の紹介で卒業後この王立図書館の別館で働き始めた。
肉体労働でもなく、それほど難しい仕事でもない分賃金も安い。それでも、何より本を読むことが好きなエヴェリンにとっては、まさに理想的な働き口だった。
「エヴェリン、交代するわ。先に休憩にしなさい」
同じ別館で働くケーテに言われ、短く返事を返して受付を離れる。
少し前に雨季が終わり、今日はとても空が高い。
外の木陰でのんびりしながら昼食にしよう。
そう思い立って、エヴェリンは荷物が置いてある控えの部屋から持参した昼食を取り出し裏口から外に出た。