グッドプロテイン
目を覚ますと、まず肌寒さを感じた。そして、遅れてやってくる汚物や生ごみのないまぜとなった凄まじい悪臭。まどろみの中でも、その二つが耐えがたい苦痛として襲ってきたため、俺は覚醒を強いられてしまう。周囲を警戒するため浅く眠ろうと意識したが、熟睡してしまったらしい。だが、幸運にも襲われなかったようだ。
「くさっ」
うっすらと目を開けると、火は完全に燃え尽きてしまっていた。だが、空には日が昇り始めており、うっすらと明るく周囲を見るのに苦労はしなかった。体を起こすと、少しばかり楽になっている。即席暖炉のお陰でよく眠れたみたいだ。しかし、体の調子を意識した途端に腹が勢いよく鳴ってしまう。
「次は食いもんか」
空腹が強いと痛みがあるということを、俺は初めて知った。次に必要なのは食事だ。だが、体調は依然としてよくなく、あまり歩きまわることはできないだろう。前途は多難といえる。選択肢を間違えば、即デッドエンドだ。
「よく眠れたみたいだなあ」
「ッ⁉」
如何にして糧を得ようかと思案している俺に、唐突に話しかけてくる声。人の気配はしなかったのに⁉ 頭の中でアラームが鳴り響く。声がした方向へ急いで視線を向けると、そこには人がいた。男が一人、ゴミ山の中に埋もれるようにしてこちらを見ていた。
「うっ」
その男をしっかりと視認してしまった俺は、うめき声をあげた。その男の顔は皮膚病にでもかかっているのだろうか。皮膚が赤黒く爛れ落ち崩壊していた。そして、両足はパンパンに膨れ上がり、絶えず蠅が集っている。おそらく壊死しているのだろう。凄まじい悪臭のもとはコイツだったのか。
「しっかし、昨日のアレは凄かったなあ。お嬢ちゃん、貴族か魔術師の落胤かなんかかい」
「……」
どうやら、魔法を使うところまでしっかり見られていたらしい。俺は最大限に警戒心を引き上げながら、何かあった際に対処できるようにリコの特別な瞳で能力を確認する。
【マルコ】
種族 :人間
性別 :男性
年齢 :56歳
HP : 9
MP : 2
力 : 12
防御 : 8
魔力 : 7
早さ : 8
器用さ: 27
知力 : 75
魅力 : 39
うん、なかなかに低いな。HP一桁とは……。見た感じ、あの足ではまともに立てないだろう。この男は死にかけている。おそらく警戒の必要はないはずだ。
「……たぶん、違うと思う。一応、俺の父親は羽振りのいい商人ではあったけど」
そう。そして、リコの母を金に物を言わせて妾とし、それが正妻にばれて呆気なく捨てた。リコにはすごく甘い顔をしていたが、窮地にはなんの手も差し伸べなかったところを見ると、その程度の愛着しかなかったに違いない。ペットのように子供を扱う。別に、この世界に限らずよくあることだ。
「……そうかい。でも、嬢ちゃん変わった喋り方すんね」
「ん、まあね」
自然に出た一人称は男のものだった。幼いリコは自分を名前で呼んでいたが、今の俺を構成する要素は、日本で38年生きた山田哲也のものが大半。一応リコとしての記憶もあるが、それでも圧倒的に前者の記憶量が上回ってしまっている。故に精神性も男そのもの。もう、戻ることはおそらくないだろう。
「昨日の火はありがたかった。ここんとこ冷えるからなあ。こうやってゴミに埋もれてても、さみいからなあ」
なるほど。ゴミに埋もれているのはそういう理由もあったのか。確かにホームレスって色々ゴチャゴチャしてるところで寝てるけど、そんな理由があったのか。俺は目の前にうつったホームレスの男を観察しながら、この男なら食べ物のこともなにか知っているかもしれないと思い、尋ねてみることにした。
「ねえ、マルコ……さん。ここらへんって何か食べるところってある?」
「ん、オイラお嬢さんに名前言ったっけか?」
ヤバッ。眼でみえた名前をなんとはなしに言ってしまった。だけど、マルコは首を傾げた後、結局は気にしないことにしたらしい。そして、クツクツと笑いながら俺の顔をまじまじと見て、うんうんと頷いてみせた。
「うん、あるよ」
「本当にっ⁉ できれば教えてほしいんだけど。どこにあるの?」
「クク……。それはねえ、ここさ」
は? マルコが指先で周囲をくるんと指し示す。周囲を見回すが、周りは当然ゴミしかない。怪訝な表情をする俺が面白いのか、マルコは愉快そうに声を上げて笑う。
「ここはごちそうの宝庫さ。ほら、ごちそうがきた」
「はああっ?」
そう言ってマルコが指さした先にいたのは、デカく肥えたゴキブリであった。マルコは「しっ」と俺が声をあげるのを制止し、じっとゴキブリを凝視する。そのゴキブリは警戒心もなくマルコの側をうろつき、そしてヒョイとあっさり捕獲される。
「えっ、マジで?」
「ああ、こんなもんでも食わねえと生きられねえ。オイラはもう、まともに歩けねえしな」
マルコは己の肌にごしごしとゴキブリを擦り付け始める。
「こうすると汗の塩気がいい塩梅にきくんだ」
「ひえぇ……」
俺が絶句する中、マルコは生きたままゴキブリを口に放り込み、ガリガリと咀嚼し始める。
「うん、うめえ。命の味がする」
「うぐぅ」
なんということでしょう。このホームレスは、こうやってこの世界を生き延びてきたのだ。確かにセーフティネットのないこの世界で両足の壊死した男が生きていくには、これぐらいしないといけないのだろう。そして7歳の幼女は悲しいことに、この男と同じぐらいの強さしかないということだ。
「まあ、オイラはもうすぐくたばるが、それでも腹はすいちまう。こんなもんでも口にするのとしないのでは雲泥の差さ。ひもじいと苦しいからなあ。こうなって分かったけど、人間綺麗には死ねねえもんだ」
朗らかに笑うマルコは、自身の境遇を淡々と受け入れているように見えた。だが、俺には到底真似できそうにない。なんせ今の俺は7歳だからね。
「……他に食べる手段ってないの?」
「まあ、あるにはあるけどなあ。教えてやるけど、その代わりといっちゃなんだが、昨日みたいに火をくれねえか。今年は春が大分遅くてなあ」
そう催促された俺は適当にゴミを集めると、昨日のように火を出してみる。一度使って要領を得たのか、あっさりと火を出すことができた。
「おお、凄えなあ。魔法をこんな目の前で見るなんて初めてのことだ」
「そうなんだ」
魔法による疲労感から俺は手短に答える。情報を得るためとはいえ、まだ万全じゃない状態でこれを使うのは失敗だったかもしれない。立っているのがつらくなり、地べたに腰を下ろす。
「そうさなあ。まあ俺たちみたいのがまず食えるといったら、神殿や豪商の炊き出しかなあ」
マルコは次々とスラムの宿無したちが食いつないでいる方法を俺にレクチャーしてくれる。お陰で神殿の位置などもバッチシと覚えることができた。ただ、一つの問題が――
「立てねえ」
まだ、体調が万全でないのだろう。マルコに教えてもらった場所まで歩いていける気が毛頭しない。だが、何かを口にしないと体調が回復することはないだろう。俺には栄養が足りてない。
「他に、この側で食べられそうなもんってないの?」
俺は、必死になってマルコへ教えを乞う。だが、マルコは苦笑いをしながら辺りに這う虫を指さした後、己の足に巣くう蛆を一匹取り出して俺へと差し出す。
「ここらには、こいつらぐらいしかねえ。食うか」
差し出された蛆を、ブンブンと首を横に振り拒否する。マルコは「そうかい」と短く呟くと、その蛆を口に入れ、くちゃくちゃと噛みしめながら食べる。
「うめえ」
やばい。現実離れした光景に頭がクラクラしてきた。今日の移動は無理に違いないが、それでも何かを口にしなければデッドエンドだ。この異世界、難易度高ァい!
そんな時、思い悩み逡巡する俺の頭にとある言葉がよぎった。
――これは貴重な蛋白源です。
グッドプロテイン。そうか、今この状況はサバイバルだった。以前、ネットで見たサバイバーの言葉が鮮明に思い出されてくる。生きるためには食わねばならない。リコを殺すわけにはいかない。
「……よし」
俺は覚悟を決め、警戒心ゼロのデカいクロビカリンを素手でつかみ取る。そのカサカサともがくキショイ感覚も、不思議と今は気にならなくなっている。前世では虫に触れなかったんだけどね。頭がボウッとしていることも幸いしたのだろう。近くにあった小さな枝で突き刺して殺すと、火にくべる。
「焼くと味が落ちるぜ。お勧めは生だ」
「いやだ」
せめて焼く。病気とか怖いしね。しっかりと焼いたそれは、黒光りする憎い奴のくせに俺の食欲中枢を刺激してきた。……空腹って凄いね。
「いざ……」
覚悟を決め、焼きゴキ肉を一気に口へと放り込む。一瞬、胃がせり上がるが意思の力で抑え込み、一思いに噛みしめる。
「……食える」
動物や昆虫は、生きている限りタンパク質なのだろう。こんがりと焼けたそれは、炭の味以外にほのかな脂や肉の味がした。一度口にすると嫌悪感もぐっと減る。そもそも国によっては食文化に組み込まれてるしね!
「だろ。ついでにコイツもどうだい」
「それはいらない」
マルコの差し出す自家製蛆を全力で拒否し、俺は黒光りするたんぱく質を食するのを継続した。今は栄養が足りない。アニメの主人公のごとく、ガツガツと飯をかっくらいたい気分だった。しかし、今現在食せるのはコイツのみ。今日からは、ひ弱な文明人と罵られても「ゴキブリ? 食ったことあるよ!」ってドヤ顔で言える男となった。
ゴキハントをして小腹を満たした俺の体は、再び睡眠を欲したため寝ることにした。マルコが側にいることが少し懸念ではあったが、不思議とマルコは優しく敵意が感じられない。それ以上に、死を迎える者特有の悟った感じすらある。なので、俺は少し離れた場所で蹲り体を休める。人が側にいるというのは、不思議と安心するということを感じながら。




