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遭遇


 青年は驚きを隠せなかった。いくら欲望に猛っていたとはいえ、騎士の家名を汚さぬため周囲には常に気を配っていた。その警戒をいとも容易く破る者が、このスラムの辺境にいるとは。


 勢いよく振り向くと、そこには長身痩躯の人影が悠然とたたずんでいる。暗い裏路地で、僅かに空より差し込む月光が、その男の胸元付近までを何とか視認出来るレベルに照らし出している。


 だが、顔を見なくとも青年にはその人物が何者なのかが解かった。男の獲物である通常よりも長い槍が、暗闇の中で銀色に鈍く輝いていたからだ。以前出会ったマノンという亜麻色の髪のませた少女。獲物として二番目に位置付けた少女の、その想い人である男。名前は確かマークスといったか。青年も一度突っかかられ、反撃に口撃を加えたことがあった。そのときの印象はスラムのゴロツキやチンピラとは一線を画すぐらいの強さはありそうだということぐらいで別段興味も惹かれなかった。


 何故、そのような男がこんなところにいるのか。あの兄妹の仇を討つため毎晩この近辺を見回っていたとでもいうのだろうか。大人になるにつれ獣心を露にする様なスラムの住人に、そんな殊勝な心があるとは思えない。それともよっぽど親しい関係だったのだろうか。


「ここは法の庇護がない場所だ。こんな夜中にご丁寧にフードまで被ってうろついていたら、背中から刺されても文句は言えんぞ」


 まるで知人にでも語り掛けるように軽口をたたきながら、男はゆっくりとこちらに近づいてくる。青年は目の前の男をどうするべきか逡巡する。騎士として精鋭である自分が負けることはないだろうし、殺すべきだろうか。だが、多少手間取りそうだし、自身の力を使って逃走する方が面倒ではなさそうではある。


 だが、それには一つの懸念がある。この男はそもそも今ここに居る自分が、あのときの男であると気付いているのだろうか。スラムの連中にそんな捜査能力はなさそうではあるし、自分があの兄妹を殺したという証拠もない。何か理由をでっち上げて言い逃れを出来ないかとも考えたが、こんな場所でこんな風体でうろついていた以上、説得力は皆無だろう。


 それに相手はスラムの住人とはいえ、それなりに腕は立ちそうだし、冒険者稼業をしている可能性もある。もし、そうだったら身内の伝手などで自分を探し当てることが出来るかもしれない。ならば自身の正体を明かすのは得策ではない。


「それはすまない。ここには迷い込んでしまっただけなんだ。すぐに立ち去るから勘弁してくれないか」


 意図的に声を低くし、軽く両手を上げて見せる。だが、警戒は最大限に引き上げた。急な攻撃にも対処できるようにわずかに半身となり、瞳に魔力をあつめ暗視の能力を行使する。果たして闇が払われた視界の中で、精悍な顔立ちに獰猛とも言える笑みを浮かべて、マークスがこちらを睥睨していた。


「動いたな。その身のこなし方、足取り、そして背格好。やはり間違いない。お前、以前ここに来ていた奴だろう。名前は確か……そう、ユリウスだったな」


 その瞬間、青年の内を様々な衝動が奔った。それは下手な芝居をしても、あっという間に自身の正体を言い当てられた驚きや羞恥、自身の正体がバレてしまった際に地に落ちるだろう実家の名誉への危惧。そしてたった半歩体をずらしただけで己の正体を看破したと言い切るマークスの武芸者としての実力と、それを見誤っていた己の不甲斐なさ。


「こんな日の落ちた時間に、騎士様とやらが何故顔を隠してこんなところにいる。騎士としての仕事、というなら嘘だな。ここには何もない。弱いガキばかりのスラムの辺境だ。そんなガキたちが必死に積み上げようとしてたものもこの前呆気なく崩れた。だから、ここには何もない。もう、何もな」


 マークスはゆっくりとこちらに近づきながら、手にした長大な銀槍を虚空へとくるりと旋回させる。


「ッ⁉」


 いくら普段見ないくらい珍しい長さの槍とはいえ、それは到底届きえない距離だ。だが、鍛え上げた騎士としての直感がいまの一閃はただ無雑作に振り回したものでなく、届かせようと思えば届きえたものなのだと悟っていた。


――ユリアン


 途端に脳裏に優しく可憐な声が響く。それは自身の最愛の女性の声。幼き頃より愛を確かめ合い、それが汚れぬように美しく磨き上げ、護り育ててきた。彼女は自分を一片の曇りもない高潔な騎士と信じている。もし、己の正体を知ったのなら優しい彼女はどれ程ショックを受けるだろうか。誇り高い貴族の令嬢として育った彼女だ。最悪、自害ということもあり得る。


「僕はッ‼」


 自身の愛する者を護らねばならない。愛しい婚約者、崇敬する厳格な騎士の祖父や父、暖かく見守ってくれた母や仲の良い兄妹たち。獣のような外道に身を堕としてしまったが、今ならまだ間にあう筈だ。


 何故なら自分が凶行を行ったのは、国が庇護を与えぬアストリアの大スラム。殺めたのは法も王権も一切及ばぬ化外の民。いかに子供が無垢であろうと、育ったなら男は賊に、女は売女になるに決まっている。そう、ここは天上の神々がユリアンという汚れた欲望を持つ男を救済するために与えたが如き場所だ。己の未来に立ちふさがる男がいるなら、それがどんな強敵であろうと排除しなければならない。


 腰に掛けた騎士剣にそっと手を添える。言葉は発さない。どう言い逃れしても、目の前の男は欺けないだろうし、何より神と王に恩寵を与えられし王国民である自分が、いくら強かろうがスラムの、しかもこんな最果ての場所に住む男に腰を屈めるわけにはいかないのだ。その選ばれし者である自分の未来を壊そうとする目の前の棄民は、故に必ず殺さなければならない。


「言い逃れは諦めたか。うん、半端に粘られるよりも手っ取り早い。最初からこうする予定だった。痛めつけた上で、お前の口から真実を吐かせよう」


 ユリアンの殺気を察知したのだろう。マークスも両手にて長槍を構え、真っすぐこちらに向けてくる。いままで顔面に貼りつかせていた笑顔をスッと消し、鋭い眼光を放つ。その研ぎ澄まされた殺意が、ユリアンの肌を何度も貫いた。それに耐えるかのように、静かにユリアンも騎士剣を闇夜に抜き放つ。


「……」

「……」


 互いが押し黙り、己の距離を保とうとにじり寄る。永遠に続くような緊張感の中、膠着状態はしかし短かった。特になんの合図もなかったが、両者はほぼ同時に互いの獲物を振るった。

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