リコとして
夕暮れの中、俺は家へと急いで駆けていた。背負ったずだ袋には食べ物の他に、寝藁が入っている。これでベッドを広くすることができる。きっと、二人とも喜んでくれるだろう。今日の早朝に二人へと留守番を頼み、俺は一般街へ出稼ぎに来ていた。二人にも街で稼げる物乞いスポットを教えようかと思い誘ったのだが、二人は外出するのを渋っていたため無理に誘うのはやめた。もしかしたら、親と出会うかもしれないのが嫌だったのかもしれない。
今度、そこらへんの事情を聴いてみようか。もう十日ほど同じ屋根の下で暮らしているのだから、これぐらい踏み込んでも図々しくは思われないだろう……たぶん。
「ただいまー」
秘密基地に帰り、帰宅を告げるが返事はなかった。……おかしいな、いつもならエリスがすっ飛んできていたのに。二人とも疲れて寝ているのだろうか。階段を下りて、ベッドを見るが誰もいない。ガラリとした空間。――突如、俺は胃がせり上がりそうな圧迫感に突き動かされて基地内を探す。
「アレクー、エリスー! いないのかなー?」
おどけたように声をかける。そうすれば、二人がひょっこりと現れてくれるような気がしたからだ。だが、くまなく探すも二人の姿は見当らない。
「……まさか」
俺は再び基地を出て周囲を探す。基地を出る前、危険だから外に出るのは俺が戻ってきてからにしてほしいと二人に頼んだ。そしたらアレクもエリスも笑顔で頷き「行ってらっしゃい」と快く送り出してくれたはずだ。それは明確に覚えている。それから暫く探すも、二人の姿は見付からなかった。もうすぐ完全に日が暮れる。もしこのまま待っていたら、二人は戻ってくるだろうか。
「たぶん、ないかなあ。……結局、こうなるか」
確信にも似た予感。笑顔の合間に見せる、少しばかり真剣な二人の表情を思い出す。時折、二人で深刻そうに話していた姿にも気付いていた。だが、俺は時間が経てば何れ話してくれるだろうと鷹揚に構えているだけだった。
今思えば、あれはここを出ようとでも話し合っていたのかもしれない。そんななか、俺は二人との出会いや二人と仲良く過ごせたことを、物語のイベントか何かのようだと呑気に喜んでいただけに過ぎなかった。だがそれは成り行きを受け入れたに過ぎず、積極的に二人と向き合っていなかったということなのだろう。二人とも無力で小さな子供だから、自分に頼らざるを得ないだろうという驕った気持ちがあったのかもしれない。……俺は結局、あの二人の信を得られなかったのだ。
前世でも俺はそうだった。小学校で仲の良い親友だと思っていた男が、中学に上がってからは他の仲良しグループを見つけて疎遠になってしまった。そして大学生時代、初めてできた女友達に淡い恋心を抱きつつも消極的態度から進展せず、その子に彼氏ができると一切会話をしなくなった。いずれも繋がりを深める機会はあったのに、俺は何もしなかった。もしそれでどうにかなるのなら、自分の価値など所詮はその程度なのだろうと割り切っていたのだ。
それから歳も30を過ぎ、色々な可能性というものが自分の中で減っていった。こうして大分人というものを割り切れるようになったとき、ふと思ったのだ。あの時もう少しだけ相手との関係に踏み込んでいたら、今とは違う結果になっていたのだろうかと。……だが、既に一人でいることに俺は安堵し、孤独の心地良さに慣れてしまっていた。
「……まあ、これで無理してまで生計を立てる必要はなくなったかな」
一人なら、物乞いだけでも十分生きていける糧は得られる。無理をしてダンジョンへ行こうかなんて悩む必要もないのだ。俺は少しばかり軽くなったように感じる体を引きずり、基地へと戻る。そして椅子に座ろうとしたとき、テーブルの上に手紙らしきものが置かれているのに気付いた。俺はそれを右手で持ち、左手からは火の明かりを出して手紙を読む。最初の手紙は、アレクからのものだった。
『リコへ。貴重な紙を勝手に使ってごめんなさい。エリスと色々話し合った結果、ここを出ることにしました。僕たちは母の再婚相手であるオーレン商会の会長から逃げるために、ここへ来ました。義父は豪商であるナブコフ商会の会長に気に入られるため、彼の元へエリスをメイドとして奉公に出そうとしていたのです。だけど、ナブコフ商会の会長はエリスみたいな幼い子供を弄ぶのが好きだという悪い噂もありました。そしてオーレン商会は騎士崩れの不良などを雇い、自分たちより弱い同業者を暴力で支配している連中です。奴らは、このスラムにまで自分たちを探しに来ていました。このまま一緒にいたら、助けてくれたリコにまで迷惑がかかるかもしれません。今すぐ恩を返せないのは悔しいですが、いつかリコが言ってくれたような凄い男になって、きっと返してみせます。いままで本当にありがとう』
アレク……。そして、俺は次にエリスからの手紙を読む。それは意外なことに、アレクよりも簡潔にまとめられていた。
『リコちゃんへ。リコちゃんのおかげで、すっかり元気になれました。作ってくれた料理も、とっても美味しかった。一緒にお風呂にも入れて楽しかった。リコちゃんは私たちよりも一つ下だけど、もしお姉ちゃんがいたらこんな感じかなって、とっても幸せでした。ありがとう。いつまでも元気でね』
手紙を読んだ俺は、しばらく声が出なかった。
「ばかやろう……。狙われてるなら、尚更俺の側にいるべきじゃないか……!」
二人は自分の身を案じてくれていた。魔法も使えない非力な子供である二人が、俺に迷惑をかけまいと危険なスラムへと出ていった。それなのに俺は、つい先程まで二人が信用してくれなかったと不満を胸に渦巻かせ、裏切られたと勝手に思い込んでいたのだ。信用していなかったのは、むしろ俺の方だったのに。
途端に、無性に情けない気分に襲われた。俺は手紙をそっと置くと拳を握りしめ、ギュッと目を瞑る。……答えは既に決まっていた。必要なのは、覚悟することだ。俺は目を開くと、テーブルの上に置かれている割れた鏡を手に取った。この鏡を使い、エリスと互いの髪を梳きあった時のことを思い出す。だが、そこには銀色の髪をした少女が一人映っているだけだった。そして、その紫紺の瞳が真っすぐと俺を見据えている。
「――リコはさ、どんな子になりたい?」
前世の記憶は、確実にリコの命を救った。だが、その在り様も歪めてしまった。愛は得られず、心の平穏を拠り所にして隠れるように生きることへ喜びを見出す隠者の生。……でもそれは、目の前の少女には似つかわしくない。
「一人は寂しいよね」
リコは天真爛漫な子供だった。可能性に満ちた幼い少女。この子が、これから先もずっと一人で生きてくなんて似つかわしくない。アレクやエリスが隣にいてくれたら、それはとても嬉しくて喜ばしいことだろう。
「迎えに、行かなきゃね」
そして護らねば。そんな俺に、鏡の中のリコが微笑んでくれたような気がした。俺は鏡を置くと、二人を探すべく外へと向かった。二人には伝えなければならない事も沢山ある。今のリコである俺なら踏み込んでいける。――もう、迷いはなかった。




