大言壮語
「どうだった、リコ⁉」
モーラの部屋を出て、階段を下りるとすぐにアンナが駆け寄ってきた。きっと、ずっとここで俺のことを待っていたのだろう。期待に満ちた表情で俺を見るが、何も言えない俺の態度にすぐに結果を悟り、その表情を曇らせる。
「そう、駄目だったの……」
この一家の中で一番健気に振る舞っているアンナだが、さすがにその顔には疲労の色が強い。伏せた目元には隈が浮かんでいるのが見えた。この子もまた不安と絶えず戦っているのだろう。夜もあまり眠れていないのかもしれない。
「ごめん」
謝ることしかできない俺に、アンナはしかし笑って首を横に振る。
「謝らないで。モーラのことは身内であるあたしたちが何とかするべきことだから。あたしはあのモーラがこのままだなんて絶対信じてないから。今日はモーラの為に来てくれてありがとう。玄関まで送るわね」
そう言ってアンナは俺を玄関の外まで見送ってくれる。ちょうどそのとき、後ろからギギとマノンが出てきて俺達の下へとやってきた。
「な、なあアンナ。モーラ兄ちゃんは」
追いすがるようにアンナにそう尋ねるギギ。その弱々し気な姿は、俺の知っている怖いものしらずの悪ガキとは似ても似つかぬ別人のようだ。
ギギは何も言わないアンナに、その結果を悟ったのか黙って俯いてしまう。だが期待もしていたのだろう。その肩が僅かに震えている。
「ね、ねえリコちゃん。マー君ったら最近酷いのよ。私をここに預けっぱなしにしてるくせに、昼はいっつも寝てばっかりなの。レディにこんな扱いするなんて良い男失格よね。もう見限っちゃおうかしら」
その重い沈黙に空気を和ませようとしたのか、マノンが唐突にそんなことを言いだした。
どうやらマノンはマークスが今何をしているのか知らないらしい。場の雰囲気を和ませようとしての言葉とは解るが、その膨れっ面を見るに本当に不満らしい。まだ小学生とすら言えない年齢なのに、おませなこの子は本当に恋人のつもりでいるのだろう。
「そんなことはないよ、マノン。マークスさんは今皆の為に動いてくれているよ。彼は義理堅いいい男だ」
アゼルさん曰く、今マークスは夜一人でこの近辺の見回りをしてくれているらしい。そのぶっきらぼうな態度で誤解を招きやすいし、実際俺も誤解していたがマークスは想像以上にクールで恰好いい男だ。もし、今女としての性でなかったら、同性としてアゼルさんのように嫉妬していたかもしれない。
「むぅ、そんなのは私が一番わかってるけど」
マークスを褒められて嬉しいのか、マノンは何とも言えない表情となる。アンナもそのおませぶりに、ふふっと笑顔を漏らす。ギギは俯いたままだが、和やかになったまま立ち去りたいと思った俺は皆に別れを告げる。
「じゃあ、またすぐにでも来るよ。モーラも大分しっかりしてきたみたいだし、一人でいるより話し相手がいる方が気が晴れるだろうから」
「ええ、お願いね。私たちだと甘えがあるのか、どうにも上手くいかないのよね」
そう話す俺だが、モーラが冷静になった分、先ほど話したことは全て本心から出てきているのだろう。自暴自棄とはいえないだろうが、酷く自罰的な態度だ。どう説得すればいいか分からないが、あの衰弱ぶりからあまり時間はないかもしれない。悠長にはしてられないだろう。
本当に助けになれるのかと疑問が心を過る中で、手を振り去ろうとする。だが、そんな俺に突如ギギが叫び訴えてきた。
「な、なあっリコッ⁉ 本当に大丈夫なのか? モーラ兄ちゃん、何も食べてないし、本当はこのままモーラ兄ちゃんもクリスやセティみたいにいなくなって、その内みんなもっ‼」
「ギギッ、止めなさいッ‼ あんたのそんな姿、二人が見たらどう思うっ‼」
ギギの悲痛な叫びをアンナが強く遮る。一瞬、いつものようにアンナがギギを殴りつけるかと思ったが、アンナはただ黙ってギギを強く睨みつけていた。先程まで健気に振る舞っていた少女の眼には涙が浮かんでいる。
「あたしはあんたの大言なんか信じてないけど、クリスやセティは違うでしょ‼ 裏切るなッ‼」
「だけどよぉ、だけど俺はもう……」
アンナの言葉にがっくりとうなだれるギギ。この二人もクリスやセティとは実の兄妹のように育った仲なのだ。きっと、この二人にしかわからない強い想いがあるのだろう。
「ふ、二人とも喧嘩しないで」
おろおろと二人を交互に諫めるマノン。そんな少年少女の姿を瞳におさめ、俺は胸の奥にある異物感のようなものが強くなるのを感じた。それはクリスとセティを失ってから徐々に芽生え始めて何か。
(あれ?)
いや、これは重くなるといった方が正しいのか。それはふと自分の中に現れて、そして段々段々大きくなってきている。いいものなのか、悪いものなのかすら判断つかないそれに俺はいつしか恐怖心のようなものを感じていた。これはきっと凡庸な自分のような者が持っていていいものではないと、本能的に察しているからだ。
モーラに諭されて内心では実は安堵していたのだと気付く。どこまでも利己的で矮小な自分を肯定してくれたような気がしていたのだ。だからモーラには何も言えなかった。励まし助けになりたいなどといっても、結局は俺があの子に甘えてしまっていたのだ。だが、モーラの周囲は目の前に映る光景のように、今まさに崩壊しようとしている。
――立ち上がれぬ者を救うな。
全てを諦めてしまったあの微笑みが脳裏に浮かぶ。あの笑顔を見た瞬間、俺はもうここのコミュニティは限界だと悟った。なんだかんだいってここの未来の中核となるのは、俺の中ではモーラ以外の何ものでもなかったからだ。なら、俺の取るべき選択は――
「――大丈夫」
その圧迫感に負けたかの如く、俺は自然とそう言葉を紡いでいた。俺自身も自分の言葉に驚愕する。その凛とした声は、時折他人のようにも思えるリコという美しい少女を想像したときに、自然と発せられるものだったからだ。
「リコちゃん?」
なぜだかマノンが俺の方を驚きに満ちた瞳で見つめている。アンナやギギも同様に、俺へと視線を向けていた。俺は今一体どんな表情をしているのか。
「本当に? 本当に大丈夫なのか?」
信じられないように、縋るように声を上げるギギ。ドラマや映画の中でだって、こんな悲痛な声は聴いたことがないなと、心の中の静かな自分が冷静に想う。そして同時にこういったシーンの中で、誰かを助けるヒロインがどうするかということを。
「うん、そうだよギギ。今、皆がとてもつらいのは分かってる。そして、皆がそれを乗り越えようと必死に戦ってるのも。私は知っている。この苦境の中で、悔しさを耐えて出来ることを必死でしようとしている子を。力がなくとも、必死に牙を研ごうとしている子を。いなくなってしまった大事な家族を、友達を真摯に想って泣いてる子を。そして、皆と一緒に幸せになることを願いながら、逝ってしまった世界の誰よりも優しい子たちのことを」
止めるべきだ、と自分の心が訴えかける。待つのは無様な未来だけだと、嘲笑混じりに語り掛けてくる。いくら他人の資質が見える特殊な眼を持っているとはいえ、万難を排する力があるわけでもない。ましてや、その中身は何の成功体験もない凡夫の魂が宿っているのだ。期待させておいて、失望させたときのことを考えろ、と。
「皆、とてもいい子たち。優しくて、真っすぐで、常に明日を夢見ていて。私はそんな皆の日常を見ることがとても好きだった。だから、もう一度皆が笑いあって支え合う姿が見たいんだ。クリスとセティはもういないけど、託してくれた想いが一緒にある。だから、絶対取り戻す。私が絶対に」
なんとなく順風満帆にいくのではないか、と甘い憶測で生きてきた。実際、途中までは前世の知識も相まってかなり上手くいっていたと言っていいだろう。でも、それはただ本当に運がいいだけで、呆気なく非情な現実の前に打ち砕かれた。八方ふさがりなこの状況で、自分が賭けられるものなんて、既にわかってはいたのだ。ただ知らないふりをして。
「本当に? 信じていいの?」
いつしか涙を流しているアンナが、震える声で俺へと縋る。嘘だと叫びたい気持ちがこみ上げる中、それでも俺は必死にそれを抑え、アンナへと頷いて見せる。
「アンナは知ってるよね。私の、この瞳を」
「うん。うんっ!」
クリスの次に、俺の眼の力によるおまじないの対象に選ばれたのはアンナだ。そのお陰でアンナも法神の加護を得ることに成功したのだ。だからこそ、その言葉にアンナは泣きながらも笑みを浮かべて必死に頷く。
だが、この眼の力は長期的には力を発揮するがそれがどれ程の時間を要するかは未知数だ。実際、その力を詳細に知るモーラも、このスラムの頂点にそれが届きうるとは思っていなかったようだ。俺より数段聡明なモーラの見立てを無視して壮大なブラフをぶちまけることの不安に、強い吐き気がこみ上げてくるのを感じた。
「だから大丈夫。私を信じて」
「どうして……なんで……」
突き動かされるように大言壮語を吐いた後、俺はすっかり喜んだアンナやギギと別れ、いつしか細い裏道へと迷い込んでいた。絶えず強くなる心臓の鼓動はズキンズキンと脳まで届き、吐き気を催す。壁に手をつき、それを治めるために必死に息を吸い酸素を取り込んだ。
絶望的な状況で皆の願いを考えた結果、これが最適解というのは理解していた。最近、周囲が自分に求めていた姿がさっきのアレということも。俺自身もうっすらとこの場所で自身が望むような核となれる人物になったらと思わないでもなかった。でも、問題はリコというハードに宿る俺というソフトの問題だ。卑屈で矮小な自分にそんなことが出来るわけがない。
「なにをやってるんだ、哲也」
鼓舞しているのか、責め立てているのか。それさえ分からずに前世の自身の名を呼ぶ。
「くそがっ!」
モーラの忠告は痛い程理解できたはずなのに。失敗したらという想いが、脳裏にアレクやエリス、スタン、ノア、ナナの無残な姿を浮かび上がらせる。大事なものは選ぶべきなのだ。転生してここで孤独に生きていた俺は、異世界を満喫している体を装っていたがギリギリだったのだ。そんな中、いつも心に思い浮かべていた児童文学での孤児たちの友情や絆を夢想していた。そして、突如あの子たちが目の前に現れたのだ。
触れ合いに餓える孤独なおっさんの家族ごっこに真剣に向き合ってくれたあの子たちを危険にさらしてどうするというのか。モーラの言う通り恥も外聞もかなぐり捨てて、力づくでも平穏を与えてやるべきなのだ。例えそれで嫌われたって構わない。
「畜生……」
だけど、そう想う度に思い浮かぶのは、非道や不条理に勇敢に立ち向かうあの子たちの姿だった。モーラも言っていたように、俺も打算なく自身より強い者にも敢然に立ち向かい、決して諦めないあの子たちを愛しているのだ。それは前世で小さい頃から夢想して、そして叶えることのできなかった憧れだった。それを捨てたくないために、咄嗟に先ほどのような立ち振る舞いをしてしまった。
こうなったことをあの子たちは称賛してくれるだろう。だけど、失敗したら――
「うぅ」
誰もいない薄暗い裏道で、俺はその重圧に耐えきれず嘔吐した。




