諦観
アゼルさんたちと別れてから、俺はモーラのことが気になり会いに行くことにした。以前訪れた際は語り掛けても反応すらないくらい自失呆然としており、何も会話できなかった。そのときは時間が解決してくれるかとも思ったが、それ以降も状況は悪化の一途を辿っている。今回のクリスとセティの死は、モーラに立ち直れないぐらいのダメージを与えたのだ。
家族を殺されたのだからそうなってもおかしくないとは思う。特にクリスとセティはモーラが一番初めに迎え入れた子たちだ。モーラの絶望はきっと、それを経験していない自分には計り知れない程の深さなのだろう。打ちのめされていても踏みとどまっているアンナやギギ、そしてセティが拾ってきたという幼い子たちの庇護を放り投げてしまう程に。
「そういえば俺も一回死んだんだよな」
家族を喪うということを考え、俺は前世での父や母、妹夫婦や甥姪のことを想う。優しい人たちだったからな。きっと俺が通り魔に刺されて死んだあと、泣いてくれたに違いない。だが、老親が心を痛めて深く悲しんだとしても心配はしていない。何故なら妹夫婦は傑物であり、きっと二人を励まし支えてくれている筈だからだ。可愛く素直な孫たちの成長もその助けになるだろう。
この場所に住む者たちにもそんな頼れる存在がいればいいのだが、いかんせん孤児たちだけの集まりだ。弱いからこそ寄り添い、集って疑似家族のような関係を形成しているが、一度折れるとやはり脆い。ここの未来を考えたとき、ここにいる者全てにとって、そうなりうる存在がいてくれればと思う。以前はモーラがそうなりうると俺は考えていたが、あの子もまだ少年なのだ。年齢を感じさせないその聡明さに頼り切り、もっと力強く支えてやれなかったことを今心底悔いている。
己の殻に籠り、生きることも投げ出しているモーラを立ち直らせることが果たして俺に出来るだろうか。俺にあるのは多少の魔法と、他人の力を見抜く目だけだ。でも、それでも己の秘密を打ち明け、助け合っていた同盟者を見捨てることはできない。救いにはなれずとも、モーラが立ち直る一助になれれば。そう思いながら、俺は足を進めた。
モーラの家につくと、アンナが俺を出迎えてくれた。蒼白い顔で疲れた様子だったが、それでも勝気な笑顔を浮かべたアンナを見て、俺はホッと安心した。聞くとギギも元気はないが、マノンと一緒に子供たちの面倒を見ているという。そしてモーラの部屋の側まで案内してくれたが、部屋の取っ手に手をかけたとき、「お願い」と今まで聞いたことのないか細く震える声でアンナが俺を送り出した。俺はそれには何も答えられないまま、部屋へと足を踏み入れる。
「モーラ、入るよ」
部屋へ入ると、そこは光射さぬ暗闇の空間だった。窓の木組みから差し込む光もない。土魔法で意図的に塞いだのだろうか。
「……この前より暗いね」
以前来た時も窓を閉め切っていたが、それでもここまで暗くはなかった。この暗さはモーラの絶望が深まったことを表しているのだろうか。俺が語り掛けても何も言葉は返ってこず、ただ沈黙だけが部屋を支配する。その静けさは誰もいないかのように思わされる。だが、開け放したドアから差し込む光が僅かに中央に伏す人影を足元まで映していた。
「……暗い方が落ち着くんだ。悪いけどドアを閉めてくれないか」
「モーラ⁉ ……ん、わかった」
以前はただ無言で、何を言っても反応がなかったモーラ。だが、今普通に冷静な声で俺に語り掛けるその態度に俺は驚いだ。その声音には悲しみや怒りは一切なく、立直りかけているのではないかと希望が胸に湧いてくる。
モーラの訴えに頷くと、俺はドアを閉める。だが、その前にモーラの顔を一度ちらりと見やった。そこには目の光を失い、魂が抜けきったかのような少年がいた。以前は西洋人形のように華やいだ少女のような美貌はやつれきってその面影もない。この前よりも痩せてしまっているのが一目見てわかった。
「ありがとう。こうやって暗闇で静かに自分の心臓の鼓動を聞いてると、何も考えずにすむんだ」
誰に聞かせるでもないように、独り言のように淡々とそう呟くモーラ。
「そ、そっか。でも、ご飯食べてないんでしょ。アンナやギギが心配していたよ」
「食べないんじゃなくて、食べれないんだ。自分でスプーンを持っても口にまで運べないし、アンナに無理やり口に入れられたら吐いちゃったんだよ」
「……そう」
嘆くでもなく無感情で話すその姿に、俺は小さく頷くだけしかできなかった。会話自体は出来るようになったが、その態度は病的であり、モーラの声を聴く度になぜだか背筋が寒くなる。立ち治るどころか悪い方向に行っているのではないか。こんなモーラを励まそうとしても、どう励ますべきなのか。この子の深い絶望に触れれば触れる程、生半可な行為は慎むべきと己の分別がそう告げるのだ。
「……リコ。ちょうどいいときに来てくれた。君にどうしても頼みたいことがあったんだ」
「頼み⁉ モーラの頼みなら何でも聞くよ」
だから、モーラのその言葉に俺は飛びつかんばかりに驚喜した。
「ありがとう。本当は君のところまで出向くべきなんだろうけど、億劫ばかりが募って体が動かないんだ」
「気にしないでよ。私たちは盟友でしょ‼」
これをモーラが立ち直るきっかけに出来るかも。そう思った矢先――
「僕との同盟を解消して欲しいんだ」
「えっ⁉」
それは想像だにしない言葉だった。初めてこの世界で対等に話し合える存在となったモーラという少年。前世などないだろうに、大人顔負けの頭の良さに、その外見からは想像できない魔法での強さ。なにより、困った子供たちに対し迷わずてを差しのべるその優しさに俺は内心憧れていたのだ。そんな少年のその言葉に、俺はまともに言い返すことが出来なくなってしまった。
「そ、んな……だって」
「僕はもう駄目だよ、リコ。もともと一度心が折れていたんだ。クリスとセティに出会ってなんとか立ち上がれたけど、もう僕の心は粉々なんだ。僕は三度も立ち直れない」
「でも、クリスとセティは皆が幸せに生きられる場所を」
「――そもそもそれがいけなかったんだ」
今まで無感情だったモーラの言葉に感情がこもる。
「あの子たちのあの無垢さを僕は愛した。僕もそうありたいと思った。でも、僕は同時にあの子たちを庇護する存在だったんだ。だから、本当にするべきだったのは中途半端に善を為して悦に浸ることじゃなく、卑怯と謗られようとあの子たちの命を守りきることだった。少しばかり強引でも力に物をいわせてあの子たちを従わせて、他者になど施すことなく安全な田舎にでも避難しておけば、あの子たちは死なずにすんだ」
そこには怒りや憤りという感情はなかった。あるのはただひたすらに深い後悔と悲しみのみ。
「僕は後悔している。あまりにもあの子たちの純粋な優しさに惹かれてしまった。あの子たちが喜ぶ姿が見たくて、正義きどりで余計なしがらみを抱えてしまった。それを護るために、本当に大事な存在を失ってしまった」
そこで一度、モーラは深いため息を吐いた。
「失望しただろう。僕はもう君の同盟者足る資格はないんだ」
「い、いや、そんなことは」
モーラの今の言葉はむしろ俺自身に当てはまる。俺も自身の保身を第一に今まで動いてきた。今でも頭の片隅には、平和な田舎の村を紹介してくれるというフィーネさんの提案があり、絶えず俺の心を誘惑してくる。途中までとっととこのスラムを退散しようとしていた俺の方こそ、モーラの同盟者失格であっただろう。なにより今素直その誘惑に乗らないのは、モーラがクリスやセティたちと築いたここの小さな平和が眩しかったからだ。
「君は大事なものを失う前にすぐにここを離れるべきだ。君にはその力がある。僕みたいに後悔はしないでほしい。でも、出来ればこの家の皆は連れ出してあげて欲しいかな。そのためのお金はあるんだ。後は君の伝手さえあればなんとかなるだろう。金はアンナに預けてあるから受け取って欲しい。余った分は報酬にしてくれ。二人分余ったからかなりの額になるだろう」
「他の皆は?」
今、ここを護ってくれてるアゼルさん達。モーラと同じように心痛めながら、必死に弓を作りあげているウィル。他にもセティのお気に入りだった生まれたばかりのライカや、それを必死に養うラナさん達。炊き出しをよく手伝ってくれるジャンゴたちのグループ。他にも仲良くなった子たちがここには多くいる。
しかし、モーラは俺の言葉をすぐさま否定する。
「そんなに多くのものを抱えては駄目だ。僕たちは寄る辺のないスラムの孤児だということを忘れちゃいけない。そして、このスラムはこの国で最も大きな暴力が渦巻く場所であるということも。僕もクリスとセティの復讐を考えないでもなかったんだよ。でも、僕は知ってるんだ。その暴力を身をもってね。もし犯人が奴らの身内だった場合、ここに住む者たち全員皆殺しにされるだろう。ここではどれほど懸命に自分の居場所を築いても一瞬で崩されるんだ。そんな場所にいつまでもとどまってはいけない」
「ッ⁉」
モーラが常に恐れていた存在。殿上人のようなそいつらは滅多なことでは会わないというが、モーラは遭遇してしまったという。皆殺しという言葉が俺の胸に冷たく刺さる。
「……君のすべきことがわかっただろう、リコ。君は賢い子だ。いいね、本当に大事なものだけを護るんだ。それ以外のものはかなぐり捨てるぐらいでいい」
「それは……」
「喋り過ぎて少しばかり眠くなってしまった。出て行ってくれると嬉しいかな」
突き放すような言葉に突き動かされるように、俺は気付くと部屋の外へと向かっていた。ドアを開けると光が差し込み、緊張感からドッと疲れが全身を襲い、膝から崩れ落ちそうになる錯覚に襲われる。
「……また来るよ」
「もう、ここに来ない方がいい。立ち上がれぬ者を救うな、リコ。引きずり倒されるだけだぞ。僕のことはもういいから」
優しさを湛えたその声に振り返り、差し込む光の中で僅かに捉えたモーラの顔。そこには、ただただ静かな微笑みがあった。しかし、その笑みには喜びもなにもなく、諦めのみが浮かんでいるかのように見えた。
何かを言おうとしたが何も言えず、俺はただ静かにドアを閉めた。




