これからの展望
眠りから覚め、ベッドから上体を起こしたエリス。その大きな瞳が、キョロキョロと周囲を見渡し俺を捉える。俺のことを覚えていたのだろう。その瞬間、エリスはパアッと頬を紅潮させた。
「あっ! リコちゃんがいる⁉ うわあ……リコちゃん、妖精さんだったんだ!」
「エリスは、わかるの?」
アレクが驚いてエリスを見る。
「うん。だって、目が宝石みたいだから」
どうやら目で分かったらしい。まあ、俺も最初にリコの瞳を見たとき、思わずその鮮やかさに吸い込まれそうになったのを覚えている。もしかして、眼の力と何か関係があるのだろうか?
「耳は尖ってないけど、エルフさんなの?」
「いや、俺は人間だよ」
少なくとも、そんな話をリコの母親から聞いたことはない。母自身も、普通の人であったはずだ。まあ、確かにリコの容貌なら、どっかで妖精的な何かがコッソリ混じっててもおかしくはないが。
「リコちゃん、自分のこと俺っていうんだね」
「うん、男の子みたいだ。面白い喋り方だよね」
エリスが興味津々に、俺の一人称について尋ねてくる。アレクも気兼ねして尋ねられなかっただけで、気にはなっていたのだろう。話に身を乗り出して参戦してくる。……さて、どう答えようか。実は前世を思い出した、ほぼ中身がアラフォーおっさんの幼女なんですとは言い難い。
「……色々あってね」
俺は悩んだ挙句、お茶を濁すことにした。この件については、まだ自分の中でも折り合いがついていない。転生なんて、そうそうできることじゃないしなあ。今も時折、コレはあっちの俺が病院のベッドで見ている夢なんじゃないかって思うこともある。……夢落ちエンドは大嫌いだけど。
「そっかあ……」
「リコも大変なんだね」
エリスとアレクは、そんな答えにも素直に感心してくれる。……子供って、やっぱ素直だなあ。まあ、俺の喋り方は置いといてエリスにも食事を取らせないと。しっかりと栄養を取らないと、治るものも治らなくなってしまう。
「ところでエリス、お腹空いてない? スープがあるんだけど」
「えっ、本当! リコちゃんが作ったの⁉」
「僕も食べたけど、すごく美味しかったよ、エリス」
俺がスープを手渡そうとすると、エリスの手からスルッと零れ落ちそうになる。
「うわっ⁉」
おっと、あぶねえ。危うく零すところだった。石の鍋に入っていたため、まだスープはかなり熱い。危うくエリスに火傷をさせるところだった。
「……ごめんね、まだ少しフラフラして」
「それに、この碗もちょっと重いしね。仕方ない、俺が介助するか」
よくなってきたとはいえ、治ってはいないのだろう。目覚めた時はハキハキと喋れていたが、また少しフラフラと頭が揺れてきている。自力で食べるのは厳しそうだ。
「カイジョ?」
「俺が食べるのを手伝うよ」
「いいの……?」
「うん、慣れてるから」
俺の前世での妹は、成長後は女傑か猛女の類であったが、小さい頃はよく熱を出した。両親は共働きだったので、その度に俺が妹に食事を食べさせていたのだ。
「はい、あーん。熱いから気を付けて」
「うん、ありがとう」
フーフーして冷ましたスープを、スプーンでエリスの口へと運ぶ。エリスは熱がる様子もなくスープを啜り、その小さな喉をコクンと動かして飲み込んだ。
「うん、美味しい。優しい味がする」
「よかった」
ニコリと愛らしく微笑むエリス。ブロンドはくすんでしまっているし、顔も会ったころより大分煤けている。それでも、天性の美貌というものの片鱗が見えているようだ。大人になったら超絶美少女間違いなしだろう。だがそれは、ここではリスクにもなりえる。風邪が治ったなら、ここでの身の護り方も教える必要があるだろう。せっかく助けたのに、暴漢に襲われてしまっては元も子もなくなってしまう。
「……ふう、ごちそうさま。おいしかったあ」
スープを全て平らげたエリスは、満足そうに溜息をつく。満腹になったためか、その目はショボショボとしており眠そうだ。額に手を伸ばし、そっと触れる。エリスは全く拒むことなく目を閉じ、それを受け入れた。……うん、やはりまだ大分熱い。体温計が無いので分からないけど、38℃近くはありそうだ。
「まだ熱も下がってないし、もう少し眠るといいよ」
「うん、そうするね」
エリスは再び体を横たえる。栄養が体をめぐっているのか、結構な汗をかいている。
俺は水の入った桶に布を浸し、顔や首筋をそっと拭ってやる。あまり汗で濡れると、体が冷えてしまうからね。
「ありがとう。えへへ、なんだかリコちゃんって、お母さんみたいだね……」
エリスがこそばゆそうにしながら、笑い声をあげる。そして目を閉じると、一瞬で眠りへと入っていった。健やかに寝息をたてるエリスを見ながら、俺は苦笑する。……お母さんか。まあ、本音を言えばお父さんみたいと言われてみたいのだが、この外見では難しいだろう。
「リコ、本当にありがとう」
汗で張り付いたエリスの髪を梳いてやると、それを隣で見ていたアレクが改めて礼を述べてくる。
「本当に助かった。もし、できればエリスが治るまでここに……」
アレクは少し言いよどみながらも、そう懇願する。まだ10歳の子供だが、その立ち居振る舞いからは自立心の強さを感じさせる。もう少し俺が大人なら頼ってくれるかもしれないが、同年代の子供というのが引っ掛かっているのかもしれない。とっくに中身は大人なのだが、それを証明する手立てはないしなあ……。
「大丈夫だよ。乗り掛かった舟だ。途中で放り出すなんて真似はしないから安心して」
俺の言葉に、アレクはホッとした表情を見せる。そして気が緩んだのか欠伸をし、それを咄嗟に噛みしめるとバツが悪そうに俺の顔を窺う。アレクも妹を護るのに必死で、あまり寝ていなかったのだろう。目の下には少しばかり隈がみえた。
「アレクも寝るといいよ。疲れたでしょ。寝藁のベッドは一つしかないけど、シーツ代わりのボロ布なら、いくらかあるから使うといいよ。しっかり洗濯してるから綺麗だしね」
部屋の片隅から布を取りだし、地面へと敷く。あまり固い地面に対しては意味をなさないが、それでもあるとないとでは温かさが大違いだ。
「……ごめん」
「別に謝らなくていいさ。客人をもてなすのは家主の務めだからね。……あ、そうだ。トイレは外でしてもいいけど、誰かに見つからないように気を付けてね。暗くて不安なら隣の部屋に壺があるから、そこにしちゃってもいいよ」
「うん、ありがとう。何から何までしてもらって、本当にごめん」
アレクは急激に睡魔が襲ってきたのだろう。俺に頭を下げると、敷いた布へと体を横たえる。それからアレクもエリスと同様、一瞬にして眠りへと落ちた。そして、部屋には二人の寝息だけが静かに響き始める。
……しかし、一気に人口密度が増えたな。二年間一人だった空間に、今は三人もいる。先ほど聞いたエリスの可愛らしい笑い声が、今も耳にこだましているように思える。そして、それが途絶えてしまったことに対する名残惜しさも、胸に強く残っている。人と話すことの楽しさを、俺は今日久しぶりに感じていた。顎は少し疲れてしまったが、心は少し軽くなった気がする。
「さあ、これからどうしようか」
椅子に腰かけ、俺は思案へと暮れる。とりあえずはエリスの看病だろう。医療も受けられないこの場所で、小さな子の発熱は冗談抜きで油断できない。できるだけ滋養のあるものを食べさせなければ。それと同時に、スラムでの生き方をアレク達に教えなければいけない。俺がマルコから教わったように、この二年間で培った知恵を二人に。
それと、気がかりなのが加護というやつだ。滅多に見かけない加護というものを、この二人は持っている。それに幼い二人は気づいているのか? そして、気付いていないのであれば教えるべきだろうか。あと、アレクやエリスに魔法を教えるかどうかも悩みどころだ。加護や魔法も、それを持つ相手に対して社会や人々の反応が分からない。もう少し調べてみる必要があるだろう。
なんにせよ、俺にはこの眼がある。この子達のために出来ることは結構あるだろう。そう考えながら俺は、テーブルに頬杖をついて不思議と飽きることなく二人の寝姿を眺めていた。