ダークヒーロー参上
その日も俺は花を売り、いくらかの糧を得て家路へとつく途中だった。そろそろ日も暮れようとしていた。完全に暗くなるまえには帰りたいので、俺は駆け足で秘密基地へと戻る。
「いやあ、大漁大漁」
屑野菜を得るため野菜売りのおっさんに「ママに栄養のあるものを食べさせたいの。ここに落ちている野菜、持っていってもいい……?」って上目遣いで言ったら、感動したおっさんが大きな野菜を丸々一つくれたのはデカかった。これも全て、リコの美貌があってこそだなあ。帰ったら、早速スープにでもしようか。いや、最近は余裕のできた金で買った塩などの調味料もあるし、凝った料理にでもチャレンジしようかな。よし、今夜はチートデイや――
「やめろ! 妹に手を出すなっ‼」
その途端、スラムに響く大声。女の子らしき悲鳴も同時に聞こえた。ん、大分近いな。スラムでは日常茶飯事だが、これほど近くで荒事というのは初めてかも。……どうしようか、声の様子から襲われているのは幼い子供だろう。関わらないのが正解だと思うが、最近の俺は心が安定していない。ふと、ことあるごとに未来への展望を考えすぎてしまい、夢追い人モードに入ってしまっているのだ。こういうときに何かをすると、あまり上手くいかないというのが前世からの定石だが――
「……まあ、覗くだけ覗いてみようかな」
声の場所はかなり近い。少なくとも、手遅れになることはないだろう。スラムのチンピラであるなら、魔法の一つや二つ見せれば驚いて遁走する。だから、様子だけは見ておいてもいいな。
おそるおそる現場へと近づく。そして、路地裏から怒鳴り声が響く現場の様子をコッソリと窺う。うん、いた。なんか小さな男の子を数人のチンピラが囲んでるなあ。木の棒を剣のように構える男の子の後ろでは、女の子が壁に背を預けて座り込んでいる。あー……そういえばスラム生活の二年間で、こういった場面に出くわすのは何気に初だなー。基本一人でコッソリ活動してるから、何かあってもソレは遠くの出来事だったし。
「――ん?」
そこで俺は、チンピラに囲まれる子供たちに見覚えがあることに気付いた。あれは、数日前に法神の神殿の炊き出しで出会った兄妹だ。確か、アレクとエリスだっけか?
「頼むっ! 妹は熱があるんだ、通してくれっ!」
アレクが暴漢たちに、そう懇願する。アレクが言う通りなのだろう。この事態にもエリスは反応せず、壁に背を預けてぐったりとしている。
だが、アレクの懇願は駄目だ。ここで自ら暴力に染まった連中が、そんな情に訴えるだけでは止めてくれるわけがない。
「へえー。泣かせるねぇ、お兄ちゃーん」
「俺たちも、妹さんにだけ用があるンだわ」
「妹さん渡してくれるんなら、お兄ちゃんボコるのやめたげるよぉ」
案の定、男たちは嗜虐的な愉悦を隠さずニヤニヤとアレクを挑発する。アレクは男たちの言葉に思い当たる節があるのか、激高し叫ぶ。
「お前らァ‼ やはり、あいつのっ!」
やっぱり、アレクは男たちに何か思い至るところがあるらしい。だが、そんなアレクの剣幕にも男たちは全く怯む様子はない。むしろ、男たちの嗜虐心を煽っただけのようだ。
「詳しいことは知んねえけど、まあ大人しく渡しとけや」
「なあ、コイツは俺らで好きにしてもいいんだよな? 妹ほどじゃねえけど、キレイな顔してやがるしよお」
「かぁ~! お前も好きだねえ!」
余裕綽々なマウンティング。何故、チンピラという連中は残念な三下かませ犬感を出すのだろうか。俺という観客にも気付いていないし、完全に自己満足な行為だろ、ソレ。
「じゃ、やりますかねえ」
男の一人が少年へとにじり寄る。
「来るなあッ‼」
弾けるように動き、寄ってきた男へ木の棒を振り下ろすアレク。だが、それは呆気なくよけられてしまう。所詮は子供と大人。同世代では高い能力も、成人男性の前では特に意味をなさなかった。
「おおっとぉ」
避けざまに男の膝が、アレクの腹へとめり込む。
「ぐうぅ⁉」
だが、それでもアレクは男の足にしがみつく。妹を護ろうとしているのだろう。妹のエリスは壁に寄りかかったまま、ぐったりとしている。見た限り、かなり体調が悪いらしい。兄の窮地にも起きる様子はない。
「しつけえぞっ、オラッ!」
「ぐッ!」
男はアレクを足蹴にするが、それでもアレクは必死に男の足へとしがみついている。他人の修羅場なのに、それを見ている俺の心臓は当事者のように高まってしまっていた。
……ここで助けるべきなのだろうか。しかし、ここは過酷だ。平和だった俺の国の倫理など、通用しないほどに過酷だ。子供だって毎日死んでる。リコという少女一人の命を考えたら、関わるべきではないのは明白だ。俺には、この子の命を護る責務がある。魔法が使えるといっても、幼いこの身で乗り出すのはとても危険な行為だ。だが――
「いい加減離せやァ」
「……」
「オイオイなにやってんのお」
文字通り、必死にしがみついているのだろう。仲間に揶揄された男は見てるこっちが痛そうに思えるほどアレクを蹴りつけると、髪を鷲掴みにして首がのけ反るほど引き上げる。だが、それでもアレクは離れない。
――ねえ、叔父さん。正義の味方ってどうやってなるの?
ふいに、そんな言葉を思い出す。俺が買ってやった変身ヒーローのグッズを身に着けた甥の健ちゃんが、まっすぐな瞳で俺を見つめていた。
――正義の味方は強く、優しくなければならないからね。いっぱいご飯を食べて、お父さんとお母さんの言うことをしっかり聞くんだよ。
かつては自分も同じ気持ちだったなと苦笑しつつ、俺は健ちゃんにそう言った。子供の頃は誰もが憧れるヒーロー。でも、そんなものは現実じゃ叶えられないと皆いつしか知るのだろう。だって、そんなに人は強くなれない。自分と、そしてその家族を護るだけでもいっぱいいっぱいなのだ。それ以上に家族すら作れなかったり、自身を護れなかったりすることだって多い。
――だから、それこそ魔法でも使えなければ。
「テメエ、いい加減にしろやぁ!」
しがみつくアレクに堪忍袋の緒が切れたのか、男が地面の石を拾いあげて頭に打ち付けようとする。その時、俺は咄嗟に男の顔面へ風の弾丸を撃ち込んだ。
「ぶべっ」
派手にのけ反り、地面へと倒れ伏す男。俺は、自分の心に踏ん切りが付いたのか付かないのか分からないまま懐の仮面を取り出し装着する。そして、ゆっくりと前へ歩み出た。……やれやれ。スラム街の闇に住まうダークヒーロー、銀髪鬼へと変身だ。いきなり倒れた男に動揺する仲間たちは、突如現れた俺に凄まじい敵意を向けてきた。
「なんだぁ、テメエ⁉ 変態みたいな仮面しやがって!」
「フム、ワレヲシラヌカ」
もし知っていてくれたら、もうちょっと楽なんだけどなあ。アレクは、突然現れた俺を少しばかり呆けた表情で見つめてくる。
「やんのか、テメエ!」
「ヒクノナラ、イノチダケハタスケテヤロウ」
その警句に、男たちは黙って腰のナイフを取り出す。うっひょう、殺る気マンマンだ。どうやら引く気はないらしい。……ここにはアレクとエリスもいるし、火は危険かな。
「カゼヨ、ワガトイカケニコタエン」
練り上げた魔力で、風の弾丸を放つ。複数同時に放ったそれは、見事に全員の顎を撃ち抜き吹っ飛ばす。かなりの威力があったのだろう。男たち皆、ボクシングのKO集動画みたいにビクンビクンと暫く地面をのたうち回る。
「ッベエ! なんだあコイツ⁉」
比較的軽傷だったらしい男が、跳ね起き叫ぶ。そんなに期待通りのリアクションをしないでほしい。……ちょっと、気持ち良くなってきちゃったじゃないか。
「サレ。サラヌナラ……」
そう言って、俺は威嚇の意味合いも兼ねて焔を出し見せつける。やっぱ威嚇にはコイツが一番。人間がお猿さんだったころからの定番だね。
「ヒィィ⁉」
「コイツ、知ってる‼ 魔法を使う銀髪ゴブリンってやつだッ!」
……だから銀髪鬼な。
俺の思惑通り、男たちは生まれたての子鹿みたいにフラつく足取りで必死に遁走していく。後に残されたのは、俺とアレク、エリスの兄妹のみ。アレクは、眼を見開きながら俺を凝視している。まあ、平民なら魔法を見る機会はないだろうからなあ。……さて、ここからどうするべきか。