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新たなる人生


「リコも天国に行けるのかな?」


 薄暗い路地の中で膝を抱えながら、そう呟く。もう、体は動かない。お母さんが死んじゃったのはいつだったっけ。いつも優しく頭を撫でてくれたお母さん。あの数値がゼロになると皆動かなくなってしまう。リコだけに見えるあの数値。ゼロになった人は死んでしまったのだと皆が言う。お母さんも例外じゃなかった。

 動かなくなってからも暫くは側にいたが、食べ物を求めて離れ、少しして戻ったときには何故かもういなくなってしまった。必死に探したけど見つからなかった。死んでしまったお母さん。他にも倒れている人を引きずって馬車に物のように積まれている人をみた。お母さんも連れていかれてしまったのだろう。でも、リコももう動けないよ。頭も熱い。多分風邪なのだろう。咳が止まらない。でも、不思議と苦しくなくなってる。ひもじさを抱え、毎日食べ物を探しに一日歩き回るのも辛いよ。このままお母さんの元にいけるならもう、それでいいよね。


「あぁ、でもご飯かあ」


 もう三日も口にはしていない。まだ、恵まれていた頃、セーサイとやらが乗り込んでこなかった頃、お母さんがよく作ってくれていたクズ野菜をじっくりと煮込んだ温かい味のあの特別スープ、あれがもう一度飲みたいなぁ。それと、贅沢をいうならラーメンかなあ。


「あれ、ラーメンってなんだっけ?」


 途中、ノイズのように割り込む欲望。途端に死に向かい始め、澄んでいた思考が混濁し始める。

――ラーメンなら背脂チャッチャッ系かなあ、やっぱ。でも、家系も捨てがたい。だが、コレステロールも気になるなあ。ここはあえてオーソドックスな中華そばもいい。煮干し系も悪くないぞ。


「なに……コレ」


 混濁する思考。リコの頭は更に茹だる。お母さんの作ってくれたスープみたい。




 そこで更に多くの記憶が流れ込んでくる。それは40近い男の記憶だ。その奔流にリコは容易く呑まれてしまう。そして口にでてきた言葉の主は、もはや以前のリコではなかった。


「いや、なんで生きてんだよ、俺。あれって夢だったっけ? でも、いままで見た夢の記憶も」


 商人の妾の娘として生まれ、嫉妬深い正妻がおり、7歳の時にそれが発覚し全ての援助を打ち切られ、貧民街を母とさまよった記憶。それが今、明確に脳裏に刻み込まれていく。それと同時に日本という国で、婚活パーティーに惨敗し、気分晴らしに街を散策している最中、通り魔に出くわして少女を庇い刺殺された山田哲也という38歳の記憶も思い出していた。


「なんだ……コレ」


 俺はリコという少女として生きている。その記憶も鮮明にあった。しかし、38年間、山田哲也という日本人として生きた記憶も確かにあるのだ。そして、今の俺はこういった事態に思い当たる節がないでもない。


「転生、ってやつか?」


 38年の山田哲也と、7年のリコ。すでに二つの意識は統合されている。だが、まだ自我もあまり確立できていなかった幼きリコという人格は、山田哲也というアラフォーおっさんの人格にあっさり取り込まれていた。


「つまるところ、どういうことだってばよ」


 誰に問うでもなく、俺は自問自答する。だが、答えてくれる者はどこにもいない。しかし――


――ごめんなさい、リコ。でもね、この世界にはきっと救いもあるわ。だから……生きて。先に天国にいってしまうけど、ごめんなさいね。


 母の言葉を思い出す。その思いもむなしく、どうしようもない現実にリコという少女は諦めてしまっていた。だが、今は違う。山田哲也という前世を思い出した、そんなリコがここにはいる。


「大丈夫だよ、お母さん。リコは……しっかり、生きるから」


 この胸の苦しみはリコのものだろうか。それとも山田哲也のものか。だが、そんなことは関係なかった。なぜなら、二人はひとつの存在なのだから。俺は路地裏から空を見上げる。


「うわぁ」


 そこには夜空に燦然と輝く二つの月があった。それはもはやこの場所が地球ではないということを示している。リコとしての記憶はあるが、今、山田哲也の前世を思い出した後では初めての光景だ。


「月が二つ、消えない空……か」


 ありえないことではなかったのだろう。現に今こうして俺の目の前にある。


「行こう、リコ」


 今生にて己の体となった、リコという少女。同一存在といっても、その折り合いは今は難しい。だが、山田哲也はあの時に確かに死んだ。そして、リコという少女はまだ生きている。この世界での母の痛切なる願いを、いい大人となっていた山田哲也の精神は無下にできるはずはなかった。


「さあ、鬼がでるか蛇がでるか」


 気怠さを宿した体を引きずりながら、それでも俺は歯を食いしばり立ち上がる。アラフォーのおっさんでもない小さな少女が、薄汚れたこんな場所で野垂れ死んで良い訳はないのだから。




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