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「私にどんなご用件でしょうか?」
マリアは落ち着かない様子で私を見た。
「マリア、ゼフィロウで核外に出してはならない特殊な電脳チップ、メヌエットが盗まれました。それはここハルタンにある。それを追ううちに、不思議な存在を知りました。盗んだ者たちはメヌエットを使ってその人物を操り、その体を利用する気です」
「まあ……」
マリアはそれだけ言って黙り込んだ。しばし、待つ。やがて、マリアは聞いた。
「でも、何故私にそんなお話をなさるのです?」
「マリア、あなたはP1で、かつてバナムで会った運命の人の話をしてくれた」
「何のことかわかりませんわ」
マリアの手が震え出した。
「マリア、昨日ナオミとの約束を破ってリジエに行きましたね? 何のために?」
「それは……」
「彼がトゥヌ・クルヴィッツを殺したのではないかと疑ったからでは?」
「何の事だか」
マリアは目を伏せた、ならば、マリア、悪い。ここは挑発させてもらうぞ。
「トゥヌ・クルヴィッツが死ぬ直前に面会に来た人物がいる。彼がクルヴィッツを殺したのですね?」
マリアはぱっと顔を上げた。
「そんなことないわ。そんなことができる人じゃないの」
ひっかかった。
「それでも、あなたはクルヴィッツの自殺したことを知ってリジエ療養所に行った」
「それは……」
「マリア、答えていただきたいのです。彼を追い詰めるつもりはない。この騒ぎに決着をつけねばならないのです。彼を、カノルをハルタンの研究者に利用されていいのですか?」
「カノル……あなたは……そうだわ、あの家に行ったのね?」
「そう、彼らはリンを理解し、受け入れていた。君もだ、マリア。我々はハルタンでリンを追っている者たちとは違う。信じてほしい。このままでは、いずれ彼は捕まる。彼らには権力がある。彼らはもうそこまで来ている」
「そんな……」
堪えていたマリアの目から涙がこぼれた。
「……彼が、彼がモルモットにされてしまう……それが、何より怖い。ああ、でも、私一人で何ができるというの……?」
「マリア、私はハルタン当局よりも先に、彼の身柄を保護したい。彼にとっては、我々もハルタン当局と同じに思えるかもしれない。だが、私には彼をモルモットにする考えはないし、あなたを苦しませるようなことはしたくないと思っています」
マリアは私を見つめた。痛いほどに。震えていたその手が固く握られている。
「セシルさん、いいえ、ラビスミーナ様、わかりました」
マリアはそう言うと、庭を見下ろす赤いソファーに座った。水色の薄手のワンピースがマリアのほっそりとした体をやさしく包んでいる。私はマリアの前の椅子に腰かけた。
「私、クルヴィッツが自殺したと聞いた時、とにかく確かめなくてはと思ったのです」
「クルヴィッツが自殺する前にリジエ療養所を訪れたのは、リン・メイなのですね?」
「そうです」
マリアは小さく頷いた。
「リンは最近クルヴィッツがリジエにいることを知ったのです。リンはエバを殺したクルヴィッツを憎んでいましたわ」
「エバ・メイはリンの母親だ。それをクルヴィッツが殺した? いったいなぜです?」
「リンの体は、あの、変わっているんです」
「そのようですね」
「エバも初めは気が付かなかったのです。リンの左脇の下に胡桃のようなしこりができた時、エバはかかりつけの医師に相談したの」
「それがトゥヌ・クルヴィッツ?」
「ええ。初めはそれこそただのしこりだと思われていた……だけど、リンのしこりはあっという間に大きくなって、拳大の大きさになって……それを調べたクルヴィッツは慌てたの。だって、あの……その中に小さな胎児がいるのがわかって……こんなこと信じられます?」
マリアは恐る恐る顔を上げ、私を見た。
「不思議な話だ。でも、こうして聞いていますよ。続けてください」
マリアは頷いて話を続けた。
「クルヴィッツはリンを使ってクローンの研究をしようとしたの。エバはそのことを知って仕事を辞め、リンと二人でひっそりと暮らすことにした。胎児が入ったしこりがひとりでに取れると、エバはそのリンのクローンともいうべきものを、用意していたカプセルに入れ、クルヴィッツの目を盗んでリンを連れて実家の薬草園に戻ったの。電脳で調節されたカプセルでは生命維持のための養分だけでなく、感覚機能や運動能力を鍛えるため、重力の負荷や、神経系や筋力への刺激も加えらるらしいわ。胎児はカプセルの中で順調に、というか、急速に、成長した。一方、大人のリンの体は弱っていたのだけれど、その頃少し元気を取り戻したそうよ。それで好きな音楽をやったの」
「それでバナムにも行き、マリアに会ったわけだ」
「ええ、そうなの。でも、クルヴィッツはエバの後を追ってきて、あの胎児を見せてくれと言ったわ。もういない、腐ってしまったと答えると、クルヴィッツはエバを責め、今度は何とかしてリンを手に入れようとした。何を言っても耳を貸さないエバに、クルヴィッツはそれでも食い下がった。エバの御両親も何とかクルヴィッツを近づかせないようにしていたらしいけど、エバは体調を崩してしまって、クルヴィッツは、ここぞとばかり、やって来るたびにエバに薬を処方していたそうよ。そして、やがてクルヴィッツは薬だと偽ってエバに毒を盛り始めたの。少しずつね。ひどい話でしょう? 邪魔なエバがいなくなれば、リンを思い通りにできると思ったのね。エバは途中でそれに気が付いたけど、薬を飲み続けた……」
「何故?」
「自分の先が短いと知ったエバには考えがあったの」
「考え?」
「ええ。リンが死ぬのを見届けると、その後を追うようにしてエバも死んだわ。でも、エバは自分が亡くなる前に両親に頼んでいたの、自分が死んだら密かに、そしてすぐに自分とリンの葬儀を一緒に上げてくれと。遺体は分子化される。リンの情報は残らないわ。そして、それを知る彼女もいなくなるの。全てを承知して成長した次のリンは、カプセルから出ると、自分の育ったカプセルや、エバが遺した資料をすべて隠した。そうして次のリンはクルヴィッツや、リンのことを知った研究者の目を逃れたの。クルヴィッツがやって来たときには、二人の葬儀は終わっていた。でも、今のリンは言っていたわ。『あの時の胸の傷が、治らない』って。彼らは別々のリンじゃないの。まったく同じなの。そして記憶まで受け継いでいる。体だけが新しくなるのよ。だから、私心配で……」
マリアは息を継いだ。もし、本当なら、研究者にとって、いや、ハルタンにとって、どれだけ魅力的だろうか、このリンというサンプルは。




