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「多分?」

「ちょっと変わっているのですわ、彼。彼に会ったのは十代の頃、デザインの勉強のためにバナムに行っていたときのことなの。父が芸術の核バナムで感性を磨くことを勧めたのよ。あ、セシルさんはバナムに行かれたことがあって?」

「ええ」

「素敵なところね。そして、刺激的なところだった」

「そうでしょうね、特に、あなたのような方には」

 マリアは夢見るように頷いた。

「バナムの芸術大学は、一つの町のよう。その大学の外には、いたるところに工房があり、アトリエがあって……辻は小さな、広場は大きなコンサートホール、屋根のある歩道は展示場で……それを見て回るのにどれほどの時間がかかるか見当もつかない……」

 マリアは幸せなため息をついた。

「そうそう、あの時、私は力強い彫刻作品に圧倒されて、当てもなく大学の庭を歩いていたのですわ。そうして……」

「彼に会ったのですか?」

「ええ。大学の庭は広くて、その芝生に整えられた庭をどこまでも歩いて行きました。すると、その先に木々が生い茂っていたわ。その森の中には何があるのかしら? 私は歩き続けたの。退屈でしょう、こんな話?」

 マリアは心配そうに私を覗き込んだ。

「いいえ、全く」

 私は首を振った。

「バナム大学の森の中は……」

「どうでしたか?」

 マリアは言葉を切って、少し考える風だった。

「森の中は……美しく、そして、少し怖くもありました。誰もいないことに気が付いたのです。迷いましたわ、この先に行っていいものかどうか。私は戻ろうと思いました。でも、その時、音が聞こえた気がしたのです。ピアノの音でした。その音に惹かれて、私はもう少し進みました。すると、辺りが開けて、小さな音楽堂がありましたの。尖塔がある、石と木材でできた古い建物でした。窓には時代物のガラスまで入っていたのです。私はさっきまでの心細さも忘れて、その建物の中に入って行きました。点々と続く小さな窓から入る光だけの薄暗い廊下に、ピアノの音がポツリポツリと響きました。その音の一つ一つが訴える孤独が私の身に染みました。それが繋がってメロディーになると、絶望で胸が苦しくなりました。いいえ、美しい音楽なのです。バナムでも聞いたことがないくらいに……それでも、美しくて、苦しいのです。誰が弾いているのだろう? 私は、その音をたどらずにはいられませんでした。そして……ピアノを弾く彼を見ました。美しい人だと思いました。子供のような人だと思いました。小さな子供が泣いているように思いました。彼は、私よりもずっと年が上なのに……」

「それで?」

「私は、ただ聞いていました。やがて、彼が私に気づいて……驚いた顔をして、それからにっこり笑って言ったのですわ。『迷子かい? 途中まで送ってあげるよ』と」

「それからずっとその彼と付き合っている?」

「いいえ。私は、彼のことを調べられるほど大人ではありませんでした。それでもずっと忘れられなかった。ところが、その彼に最近偶然出会ったのです。あら、もう時間だわ。行かなくては。つまらない話をごめんなさい。でも、あなたに話せて、なんだかとても胸が軽くなったわ」

「それはよかった」

「今まで誰にも話したことがなかったのに。不思議ね。ああ、そうだわ、この話は誰にも言わないでね。いい大人が、笑われちゃうわ」

「黙っていますよ」

「ありがとう、セシルさん。では、また」

 マリアは急ぎ足で去って行った。その後姿が人ごみに紛れて行く。私も歩き出した。P1正面出口。人混みに目をやる。その時、人混みに紛れていたマリアの姿が、そして、その先で待つ青年の姿が、はっきりと目に映った。


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