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レースのコースは楕円、スタートラインは九つだ。その先には壁、溝、泥濘、さらに高い壁、急坂、そして最後のストレッチが続く。選手はこれを三周し、順位を競う。単純なものだ。だが、自分のコースを走っていても、先を走っている単車が横滑りを起こしたり、転倒したりすることもありうる。それに巻き込まれないようレースを運ばなくてはならないし、一周目のストレッチからは自分のコースがないので、二周目から有利な位置を取るために駆け引きが行われることになる。単車には安全装置が付いており、危険な運転を制御することはできるし、選手の身に着けるヘルメットやレーシングスーツにも衝撃や事故に対する備えができているが、怪我は付き物だ。それを恐れていては、参加はできない。
「まず、個人のレースが十レース、それからチームのレースが十二レースですね」
「ああ、チームの場合はリレー式になる。二番手、三番手は前の走者が最後のストレッチに入った瞬間の順位でスタートする。リレーはマック、ジョン、アランの順だ」
「なるほど」
「そろそろ行くか」
「ええ」
私はバッグにプログラムをしまい、爺さんと一緒にスタンドに移った。アラン、マック、ジョン以外にも爺さんの知り合いの若者は多い。最初は中段でレースを見ていた爺さんだったが、やがて一番下の立見席に降りて声をかけに行った。私はそのまま中段で全体を見渡してレースを楽しんだ。端末が小さく鳴る。
「はい」
「今、大丈夫でしょうか?」
総領事マルト・サールだった。
「大丈夫です。何か?」
私は周りを意識しながら聞いた。
「大巫女ガルバヌム様が総領事館から神殿に連絡してほしいとのことです」
「総領事館から?」
「極秘事項でしょう」
「緊急?」
「いいえ。お時間のある時に、とのことでした」
「夕刻までにはそちらに顔を出します」
「わかりました」
端末を切った。
「グリン」
私はグリンを呼んだ。グリンはゼフィロウの治安部で私の副官を務めている。私より一回り年上で落ち着いた人物だ。
「ラビスミーナ様、変わりはございませんか? おや、何やらにぎやかですね?」
「ああ、ハルタンのUドームで単車レースを見ている」
「単車レースですって? 何故また?」
呆れている。
「流れだ。ところで……」
声を落とした。
「今朝以降、ゼフィロウで妨害電波を受けた画像の解析を依頼された者がいるかどうか調べてほしいんだ」
「わかりました」
「そちらは変わったことはないか?」
「あの、この大事な時に治安部の部長はどこにいるのかと最高会議の方々が直々にこちらに見えました。議長までいらっしゃいましたよ」
「パイアール議長が?」
「はい。しかし、規約に触れるわけではありませんし、いつでも必要な措置は取れると申し上げました」
「うん、そういうことだな。済まないが、もうしばらくその調子で頼む」
「はあ、他の部署の方々も気になっているようで」
「グリン、ぐずぐず言う方々には『そのために副官たる自分がいるのだ』くらいは言ってくれたのだろうな?」
「いいえ、そんなことは言えませんよ」
「事実なのだから遠慮することはない。うまく煙に巻いてくれ」
「はい、なんとかやってみますけど」
おぼつかない返事をするグリンとの通信を切った。
おや。P5にいた警備員だ。
「あれ?」
通路を通りながら、彼が私に気付いた。
「ああ、あの時の」
私は顔を上げて彼を見た。
「ひとりで?」
「いいえ」
私の目線の先では、爺さんがレースの終わった若者と話をしている。
「ああ、そうか」
朗らかに笑った警備員に私は聞いた。
「あの、レポという人を知っていますか? ラスキングさんと同じころにプロだったとか?」
彼が話好きなのは分かっている。早速乗って来た。
「もちろん知っているけど、何故?」
警備員は眉を寄せて私の隣に座った。
「ええと、さっきレポという人がラスキングさんに話しかけてきたのですが、その様子がずいぶん、あの、失礼だったものだから」
「やっぱりか。嫌な奴だよ。しばらくこっちに来ていなかったが、今日は来ているんだな?」
「ええ。スクールで教えているとか? 生徒がエントリーしているそうですよ」
「ふん」
「あの……レポはラスキングさんのせいで酷いけがをしたとか?」
「それか。あいつはあちこちでそう吹聴しているが、誰がそんなこと信じるものか。あいつのレースはいつも反則ギリギリで、トラブルが多かった。あいつが怪我をしたのは当然さ。自分でロリー爺に仕掛けて、自分で転倒したんだからな」
「そうでしたか」
「奴の話なんか鵜呑みにしちゃダメだ。おっと、次のレースは見逃せない。俺も下へ行く。ロリー爺は見た通りの真っ正直な人だよ。あの人を知っている人で、あの人のことを悪く言う奴はいない」
警備員の男は立ち上がって下に降りて行った。勝負事には……利害が絡む。真正面から挑む人間ばかりではない。ふと見ると、貴賓室に動きがあった。予選レースでも貴賓室が使われるのかと、爺さんが置いていった双眼鏡でよく見れば、何とレポが先に立って身なりのきちんとした初老の男を案内していた。愛想よく笑っているレポの後ろには、さっきレポと一緒だった男たち。みな上機嫌だ。あんな奴だったが、営業活動は得意なのだろう。レポが貴賓室から出て、下まで降りて来ると選手を呼んだ。次のレースに出るらしい。爺さんがアランと話している。一緒のレースだなと思った。




