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ここタンベレの運び込まれたメイドマリアン病院は、主に救急患者を扱う大病院だ。広々としたホールから八方に伸びる廊下。中央の廊下の先は、緊急処置のためのエリアになり(タンベレもここに運ばれた)、そこから、さらに患者は必要に応じて、専門の治療のためのエリアに送られる。七階建ての建物だが、入院施設は四階からだ。緑豊かな風景を楽しめるように、それぞれの階は広い中庭に面した部分が全てガラス張りになっている。
「あら」
ナオミが声を上げた。その視線の先に一人の女がいた。三十代前半といったところか。白い肌、細い顎、繊細な眉にきれいなブルーの瞳。薄い化粧が似合っている。リネンのエンブロイダリーのロングワンピースは明るい山吹色で、革のベルトとサンダルはナチュラルな薄ベージュ。ひとまとめに束ねた亜麻色の髪をちょっと傾げてホールを眺めている。見舞いにやって来た様子も、どこか具合の悪そうな様子もなかった。
「マリア・ラデュー。デザイナーなの。室内装飾、主に壁紙のね。新しくオープンする療養施設の内装を担当することになっているのよ」
ナオミが私に耳打ちした。
「新しい療養施設?」
「ええ。裕福層を見込んだ療養施設の需要が増えているから、最高会議も領主様も本格的にその分野に乗り出すことにしたのだと父が言っていたわ。父の関係で私も彼女とパーティーで顔を合わせているのよ。我が家の内装も手掛けてくれると言うので、母はご機嫌だわ」
「人気があるんですね。ハルタン出身? それとも、芸術関係だからバナムでしたか?」
「いいえ、ミアハなの。代々壁紙のデザインをしているようよ。興味がおありなら紹介するわ」
「マリア」
ナオミは私の返事を待たず、マリアに向かって歩いて行った。
「あら、ナオミ」
「こんにちは。ご機嫌いかが?」
「ありがとう。いいわ。でも、こんなところで会うなんて。ナオミ、どなたか具合でも悪いの?」
マリアは挨拶もそこそこに心配そうな顔をした。
「ええ、恋人……」
ナオミはちらりと私の方を振り返って、少しばかり言い直した。
「ええと、親しい人がこちらに入院したから、お見舞いに来たのよ」
「まあ。ひどいの? こんなこと聞いてごめんなさいね。でも、こちらで変なニュースを聞いているから」
「ああ、自殺が続いている、っていうあれね? 大丈夫、彼はあの自殺騒ぎとは関係ないわ。それに、もう峠は越えているの。本人はいつでも仕事に戻れるなんて言っているわ。でもね、私はゆっくり休んでもらいたいの」
「そうね、男の人はすぐに無茶をするから」
「あら、どなたかお心当たりの人でも?」
「いいえ、そんなことないわ」
マリアはかすかに頬を赤らめ、私の方を見た。
「あの、こちらは?」
「セシルさん。彼の仕事相手。お見舞いに来て下さったの」
「Y&Kネットの営業部員セシル・フレミングです」
「マリア・ラデューです」
マリアは私のことを興味深そうに見た(おもにこの服装のせいだろう)が、侮る様子はなかった。
「室内装飾、特に壁紙のデザインをされているそうですね? お仕事はハルタンが多いのですか?」
私は聞いた。
「いいえ、どこでも。仕事の公募があると、気に入ればどんなものでも応募します。まだまだ知らないことだらけで」
そう言いながらも、マリアはすっと背を伸ばした。生き生きとした目。自信とチャレンジ精神の現れだ。
「よいお仕事ができますように」
私は微笑んだ。
「マリア、あちこち下見しているのね。請け負った内装のイメージを膨らませているの?」
ナオミが聞いた。
「ええ、皆さん親切で、勉強させていただいているわ」
「それはよかったわ。マリア、何か困ったことがあったら言ってください。父に言うより、私の方が、気が楽なこともあるかもしれないから」
「ええ、ありがとう、ナオミ。セシルさんもよいお仕事ができますように」
「ありがとうございます」
私たちは軽く会釈してマリアから別れた。
「ちょっと、控えめな感じがするでしょ? 何を考えているのかわからないような……」
ナオミがまたこっそり言った。
「そうですか?」
私は首をひねった。私は彼女に内に秘めた情熱を感じたが、ナオミはそうでもないようだ。
「彼女には、もっと主張があってもいいと私は思うんだけど」
「なるほど」
ナオミにとって、個性とは主張力なのかもしれない。それにしては……私はタンベレを思い浮かべた。タンベレはそれほど主張しない方だと思うのだが……
「でも、彼女の壁紙には好感が持てるわ。落ち着くの」
「そういうことですか」
彼女が本能的に自分との相性を図った結果がタンベレ、ということらしかった。
「セシルさん、これからどうするの?」
「私は一度庁舎に顔を出します」
「アロがいないのに?」
「昨夜ラスキングさんも怪我をしたんです。でも、今日はお仕事だと言っていらしたから、庁舎でラスキングさんのスケジュールを聞いて、お見舞いかたがた様子を見てきますわ」
「まあ、そうだったの」
ナオミはまじまじと私を見た。
「あなたって結構親切なのね。私も一緒に行きたいところなのだけれど、お客様の案内を頼まれているの。ロリーさんによろしくね」
「わかりました。伝えます」
私たちは別々のエアカーに乗った。




