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宿舎を出ると、空に白い雲が湧いていた。庁舎に向かって通りを歩き、私は雑貨屋に入った。男が一人、私の後をつけていたのだ。メンテナンスとはいえ、私は治安部の電脳に関わる人間だ。しかも、新顔。治安部が少々用心するのも無理はない。
私は気づかぬふりで店に入り、ちょうどいいものを見つけた。小さなポットにカップ、グラス、皿、そしてカトラリー。新しい家に必要な品だ。店の外で待っていた男は、ショッピングバックを下げて出てきた私を見て、街路樹の影に姿を隠した。それにしても、お粗末だ。あの警察課の中の一人だろうか。もしそうなら、思いやられる。これでは有害な人物を見破れるわけがない。まあ、万一、このお粗末さで見破れるようなら、尾行された方はさらにお粗末ということになり、それなら大した害にはならないだろう。見破れないからこそ、大ごとになる。でも、これでは……振出しに戻った。考えるだけ無意味な気がしたので、気にしないことにした。ハルタン治安部の危機管理能力、これは私の責任ではないので構わない。私は何食わぬ顔でイヤホンを耳に入れ、ブローチの中に仕込まれた電脳の通信機能を使って総領事館を呼んだ。
「ラビスミーナ様、今どちらです?」
ゼフィロウのハルタン総領事館の総領事マルト・サールの声だ。
「私は今、庁舎の近くの通りを歩いている。あ、ちょっと待て。これから店に入る。変な男に後をつけられているのだ」
私は通りを渡った。
「早速ですか?」
やや非難がましい声だ。
「心配いらない。それより、マルト、メヌエットの受取先だった架空の製薬会社についてわかったことは?」
「会社はダミーでしたが、実際荷を受け取った人物については情報部が特定しました。荷が送られる一月ほど前に例の会社に雇われた男です」
「情報部はその男を調べたのか?」
「それが、自殺しているのです」
「自殺……?」
「はい。自宅で首をつっていたそうです。その男は一人身だったので、死後発見されるまでに数日が経っていました。男を知る者によると、それまで勤めていた医療施設を急に辞め、聞いたこともない会社に勤めると言うので驚いたそうです」
「そうか。ところで、その男の雇い主は? 会社はダミーでも、契約はあったのだろう?」
「残された電脳、身辺にあった文書等は全てハルタンの治安部が抑えていて、うちの情報部が入った時には何も残っていなかったようです」
「ふむ。では、直接、間接に、その男に接触した人物を丁寧に調べるしかないか」
「はい。情報部が手を尽くしています」
「そうか。何かわかったら知らせてほしい。それと、ヨーク・ローツの尋問は進んでいるだろうか?」
「それが、ヨークはまるで死んだ貝のように口を閉ざしたまま、一言も口を利かないそうです」
「根比べだな。ローツもハルタンとなにがしかの関わりがあるかもしれない。ハルタンでの過去のローツの動きを教えてくれ。ああ、それと今夜治安部の若い職員が祝賀会で使う店についても。レンから送られた研修組の一人の異動が決まったんだ」
「わかりました」
「五分後」
私は通信を切り、庁舎にほど近いカフェに入った。クラッシックな文様の入ったガラスの自動ドアの向こうは、どっしりとした木製のドアがあり、ちょっとしたフロントがある。フロントの係員に案内された先は、古い家具と鏡と精巧にカットされたガラスを使った空間だった。藍色と白の縞模様の壁、床まで届くカーテンと幾何学模様の絨毯。絨毯は壁の藍色より一段濃い藍と白だ。それに合わせて鮮やかな青のソファー。光を押さえたシャンデリアが柔らかい光を放ち、全体が優雅で落ち着いた雰囲気を醸し出している。気温と湿気の上がった外から中に入ると、空調が利いていて気持ちがいい。スーツが暑苦しく、早く脱ぎ捨てたいと思ったが、しばらくはそうもいくまい。店のスタッフに通りの見える席に案内された。店の行き届いた教育のせいか、私をじろじろと見ることはない。私はソファーに腰を下ろして冷たいジュースを頼んだ。サイドテーブルに置かれたランプ、メインテーブルに飾られた花々、調度品も凝っている。私をつけていた男は店に入ってくる様子はなかった。席はほぼ満席、客は庁舎に用のあるビジネスマンが目立つ。多くが数人で携帯型の電脳を動かし、小声で話し合いながら仕事を進めている。あとはハルタンに観光でやって来た人たちだ。医療に特化していると言っても、ここはそれなりに観光客を惹きつけるものもある。このあたりならば、庁舎から眺める夜景だろうか。ガラス質の外壁を多用するハルタン中心部の夜景は、様々な光に溢れ、それが重なり、幻想的だ。
ここのスタッフは決して客を急がせない。その代り、お茶一杯、ジュース一杯はかなり高価だ。




