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あの日。
私はまだ幼かった。両親と一緒に豪華な潜水艇に乗って大はしゃぎだった。だが、初めて乗ったその潜水艇は事故を起こし、両親と叔母を一度に失った。あの事故で生き残ったのは私一人。自分を救ったのは、叔母の機転だ。機転、と言っていいのか? 叔母アエルには歴代の大巫女にも勝る先読みという特別な能力があった。叔母は夫エアがあの潜水艇で危険な目にあうと直感したのだろう。叔母は愛する夫の代役として実にさりげなく、潜水艇に乗った。だが、彼女にわかっていたのはそこまでだろう。彼女は近いうちに自分の命で夫の命を救うことになるとは読んでいたようだが、潜水艇自身が爆破され、あれだけの惨事になるとまではわかっていなかったはずだ。あの爆発……あれは単なる事故ではなかった。才能に溢れた若いゼフィロウの領主である叔父を狙った暗殺計画だった。咄嗟に私を引きずり、脱出カプセルに押し込めた時の、叔母の祈るような表情が忘れられない。私が危険の中に身を置くことを選ぶのは、いつだってあの瞬間に戻りたいからなのだと思う。できるだけのことをし、今度こそ自分の力で運命を切り開きたいのだと。ヴァンと離婚することになるとすれば……そんなところが原因になるのだろうか。やれやれ……結婚する前に離婚の原因を考える自分に苦笑した。
私は両親を失い、叔父であるゼフィロウの領主エアに引き取られ養女となり、愛情を注がれたが、ずっと冷めた部分が残った。心の傷も、その痛みも、どこかよそごとのように感じていたのは、自分の心を守るためだったのかもしれない。私は今の父の、最愛の妻の命と引き換えるようにして生き延びたのだ……たとえ、父がどんなに否定しても、その後ろめたさは消えなかった。
そんな時、私の心に触れてきたのは、養父エアと叔母アエルの幼い娘、私の妹アイサだった。幼いが、その母にも勝る並外れた力を持つアイサが私の心を静めてくれた。(当人はただ私を慕ってくれただけだったかもしれないが)そのアイサもわけあって今は遥か遠く、地上の世界にいる。
アイサ……私は暗い青を見つめた。肌に感じる水流が動いた気がした。その瞬間身をかわす。鼻先を巨大なサメが通り過ぎ、再び近づいた。が、私の銃から正確に放たれた神経弾のせいで、サメは慌てて闇に戻って行く。暴れたサメのせいで水流が乱れる。悪いな、しばらく違和感があるだろうが我慢してくれ。 サメの姿が暗闇に消えていくのを見送りながら、わざわざこの海の底を住処とした我らセジュの人々のことを考えた。私たちのセジュ……争いごとは海の底に来てもヒトである以上無くすことはできない。それでも、人工の核で暮らすにはいいこともある。それはかつてのように大戦争が起こらないことだ。当然のことだが。陸を離れた人間が、自ら造り出したドームの中で戦えば共倒れ(ドームの外は恐ろしい水圧の海だ)、勝者も敗者も意味を持たない。セジュは維持できず、その文明は滅びる。セジュの人々は、自分たちが同じ潜水艇の乗組員であり、いさかいが発展すれば、やがては自分の命取りにもなるとわかっている。だが、だからと言って、それを頭から信じて楽観していられる大方のセジュの人ほど私は無邪気ではない。
私は五感を開放し、海の一部となった。太古に生まれた命は、あるいは形を変え、あるいはほとんど形を変えることなく存続し続けている。一歩世界に踏み出せば、世界は偶発性に満ちている。こんな時、一点に気持ちを集中するのは、特に思いにとらわれるのは、危険だ。集中することがもてはやされもするが、それは許された人工の空間の中だけだ。
私は、ただの、ちっぽけな、一つの命にすぎなかった。若さも、人から見れば生意気に見える性格も、私の恐れも、危惧も、ここでは何の意味もない。
うっとりするような幸福感を感じながら、あらゆることに感覚が開かれている。それも自然に。それでも……意識をちくりと針に刺されるような感覚で我に返った。そろそろか。会議の時間だ。また、戻らなくてはならない。しばらくは味わえないかもしれないこの幸福感からしっかり目を見開いて、暗闇の中に光を放つ私の核ゼフィロウを思った。ゆったりと腕を動かし、スイミングスーツの下にある指輪に呼びかける。私の思念に答えてオルクが近づき、私に身を寄せるように脇でぴたりと止まった。オルクにまたがり、シールドを張る。今の水深ならばシールドはいらないが、ゼフィロウのドームがある水深では私の身が持たないからだ。このシールドはセジュのドームと同じ性質のもので、このシールドで覆われた時のオルクは桁外れに頑強だ。
オルクがゼフィロウのドームに向かう。それにしても……私もとうとう最高会議に顔を出す羽目になったか。