13
「父上?」
「ハルタンは医学研究に力を入れている。ハニヤスのような学者は外に出るしかなかったのだろう。それに、ハニヤスが領主の家系だということは知っているか?」
「いいえ」
私は少なからず驚いた。
「今の領主ロマン・ピート殿とは親戚筋にあたる。もっともハニヤスはあの中の軋轢にうんざりして、さっさと家を出てきてしまったと言っていたが」
「領主の親族間の軋轢、ですか」
「わかるだろう?」
「ええ。どの領主も必ず子供ができるとは限らない。そうなれば、自然にその血縁の中からふさわしい者が領主を継ぎ、その家系に力が移る。領主の家柄と言っても、長い年月の間にその家は転々と変わる。取り入ったり、競ったり、場合によっては邪魔な競争相手を陥れたりすることもある」
「そうだ。ハニヤスに子供はいない。妻もいなかったはずだ。その点では身軽だったのだ」
「そうでしたか」
「ああ」
父は頷き、話を続けた。
「だが、面倒なのはそれだけではなかった。ハルタンは医療に特化し、他の核よりも産業自体が生命と関わっている。研究という名のもとに、一体どこまでが許されるのか、考え方は諸派に分かれる。研究者の間でも、住民の間でも、意見が分かれるが、親戚の間でも考えに違いがあり、これもいさかいの元になった」
「しかし、倫理的な大枠は、レンと神殿の見解で決まります。クローン技術は制限され、ただいたずらに寿命を延ばすことも禁じられているはずです」
「現場では、そう悠長なことは言っていられまい。ハニヤスによれば、現領主もその先代も研究至上主義で、生命の倫理については、神殿やレンよりも、医療を預かるハルタンの意見が尊重されるべきだという考えらしい。もちろん、それに反対する者たちもいるが、徐々に主流から外されている。ハルタンで医学の研究を続けるのは、このゼフィロウで研究生活を送るのとは違った苦労があるだろう。倫理が絡み、論争を生む分野なのだ」
「研究や実験の材料は培養された細胞、臓器、微生物、植物、大小さまざまな動物たちですね」
死んだ人間の体も、いや、たとえ命が残っている人間の体も(本人の許可のもと、そしてさまざまな条件付きで)必要とされていると聞く。本人の許可のもとで、と言えば聞こえはいいが、見方を変えれば、それさえ取れれば、ハルタンの研究者たちはレンに対して言い訳が立つ。
「自己の命をつなぐため、他の命を食う。それは多くの生き物が通って来た道だが、人はさらに多くを望む。例えば、より長く、より健康にと。ハルタンでは医療が金を生み、地位を生み、尊敬を生む。だが、人は、一度は死ななくてはならん」
確かに、人は一度死ななくてはならない。そして、死んだら……それきり帰ってくることはない。アエル叔母様……私は父の顔を見た。そこに私に読まれるような表情はない。私は話を戻した。
「ハニヤスは、詳しいことを言わなかった、か……」
「ああ。しかし、時が来れば……その時は、必ず話してくれるはずだ」
「そうでしょうね」
頷いた。が、納得したわけではない。ハルタン……こうやって大人しく待っている間にも、何かが動いている。こちらが掴めていない何かが。情報部、総領事館、そしてハニヤス。ローツは信念を持っていると言った。それも引っかかる。
「ゼフィロウの触角が動いている。近いうちに何か掴めるだろう」
私の様子を窺いながら、なだめるように父が言った。その父も言葉よりも楽観していないことがわかる。情報部が動く。治安部は主に実力行使、特に今回私は治安部として調査をすることから外されている。
「メヌエットに手を出すとは、相手はよほどの覚悟だな」
父が呟いた。そう、相手は大きな賭けに出ている。メヌエットを奪われたことで、ゼフィロウは、父は、レン(や他の核)から厳しく責任を追及されるだろう。メヌエットを取り戻せなかったら、メヌエットが悪用されたら……? こんな状況なのに、私は何もせずに待つことができるだろうか。
「ハニヤスが、考えなしにハルタンに行ったとは思えませんね」
「そうだな。厄介ごとに巻き込まれなければいいが」
「厄介ごとか。何もかも気に入らない」
私は立ち上がった。このまま時間を無駄にすることはできない、私の勘が警報を鳴らす。
「父上、私もこれからハルタンに行ってきます」
言葉に出して、すっきりした。そう、もちろん、行く。行って今起こっていることを調べ、この父と、ゼフィロウを守らなくてはならない。
「お前が行くくらいなら……」
父は言いかけて口を引き結び、言葉を飲み込んだ。知っている。父は勇敢だし、頭が切れる。私が行くより、父が行く方が有効かもしれない。だが、領主自らが動くことはできない。特に、今は。間もなくレンの調査団が訪れる。父はここで多くの責任を負っている。
「ハルタンに行く許可をください」
「ラビス、油断はするなよ」
父親の顔だった。
「大丈夫です」
私は請け合った(果たして父が信じるかどうかはわからないが)
「留守をお願いします」
「わかった。ハルタンの総領事に話しておく。せいぜい利用しろ」
どの核も他の核に一つずつ総領事館を置いている。総領事館は自分の核の住民の保護や通商関係の援助、トラブルの解決に手を貸しているが、出先の核の情報収集をしたり、領主間の交流の場を設けることが本来の役割だ。総領事館は昔から領主のために動くという色彩が強い。ゼフィロウの総領事館も御多分に漏れず、父上の目、耳、そして手足となっている。
正直、単身ではできることは限られる。
「ありがとうございます」
私は感謝した。
「危険とわかれば引くのだぞ?」
「……わかっています」
「ラビス」
これ以上長居は無用だ。父が私に関する心配事に取りつかれ、くどくどと言い出す前に、私は早々に父の部屋を出た。