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「だけど、マリア、ほんとに、僕でいいの? 今ならまだ間に合うよ?」
「それはこっちのセリフだわ。私はどんどん年を取ってしまうのよ?」
マリアは少し俯いた。
「マリア……思えば、初めの僕は幼い頃から泣いたことがなかった。駄々をこねて周りの大人を困らせたことも、いたずら好きな仲間とトラブルを起こしたこともない。そんな僕を母は少し不安そうに見つめていたものだ。女の子たちも……来るものは拒まず、去る者は追わず、といったところだ。と言っても僕の関心事はピアノや電脳だったので、彼女たちとの付き合いもたかが知れていたけど」
「リン、私のことも忘れてしまうのでしょうね。せいぜい、そういえばそんな女もいたといったところかしら?」
マリアは少し拗ねて見せた。
「どうかな、まだわからない」
面白がっているような、それでいて寂しそうなリンにマリアは言った。
「いいわ、それで」
「マリア、ほんとに? 驚いた」
「いいの、あなたは特別。長く、長く生きるだろうから」
「いや、案外ちょっとした事故であっさりいなくなるかもしれないよ」
「保障するわ、あなたはそれを切り抜ける」
「そして、君を忘れる?」
「幸せなの、今はそれで十分。この子が無事生まれたら、その先の先まで見守って。お願いね」
「どこまで行けるかわからないけど」
「その頃は、どこかの誰かに夢中かも知れない?」
「さあ」
リンはいたずらっぽく笑った。
「いいわ、私だって長く長く生きるのよ」
「マリア?」
「塵になって、吸収されて、また再構成されて……いつかあなたが夢中になる彼女になっているかも。その時はあなたにやきもち焼かせてやるわ」
「それは素敵だ」
見つめあう二人には悪いが、とうとう私は言った。
「リン、マリア、子供ができたのか?」
「ええ、ラビスミーナ、そうなの」
マリアは頬を染めた。驚き……そして喜びが込み上げた。
「だから、おばば様はさっきリンに『我らとの間に子孫を残せる』とかなんとか言っていたのだな?」
「ええ、私を見てすぐに大巫女様にはわかったみたいなの」
「迂闊だった。だけど、どうして教えてくれなかったんだ?」
「それどころじゃなかったじゃない?」
マリアは笑った。これ以上ないような幸せな笑みだ。私の文句など一瞬で消し飛んでしまった。
「おめでとう、マリア、リン」
「ありがとう、ラビスミーナ」
マリアとリンが声を合わせた。
「リン・メイ、この先お前の子孫が我らを圧倒し、お前たちがこのセジュの住人となるかもしれん。その前に我らも、お前たちも、セジュ自体が滅ぶかもしれん。いつかお前の子孫の中から、お前の伴侶となる者ができるかもしれん。永遠の道、長い道を歩む伴侶がな。それはマリアの子孫であり、マリアの言ったように、いつかお前を捕まえ放さないかもしれん。先のことは誰にもわからぬ」
おばば様は深く考えに沈んだ。
「わからないというのも、それはそれでいいことに思えるな」
私は神殿の空気を思い切り吸い込んだ。
「さて、私はそろそろゼフィロウに戻る」
「ラビスミーナ、あなたが忙しいってことはわかっているわ。だけど、また会える?」
マリアが聞いた。
「もちろん。こちらからも声をかける」
「嬉しいわ」
「体を大事にしてくれ、マリア。子供には会わせてくれるかな?」
「もちろんよ」
「ちょっと知らせておきたいんだ。僕らはゼフィロウに住処を移すつもりだ」
リンが言った。
「それはいい」
神殿に籍をもらったリンがマリアとともにゼフィロウに居を移す。あんなことのあったハルタンだったが、リンにとっては故郷だった。だが、もう、マリアがいる。過去ばかり見る必要はないのだ。もともと電脳を仕事にしているリンだ。ハルタンよりもゼフィロウの方が、むしろ都合がいい。そうなったらヴァンとも、父上とも会わせてやろう。
「そのうちに私の家族を紹介する」
「ラビスミーナの家族……」
「エア・ファマシュ?」
戸惑って顔を見合わせた二人だったが、すぐに微笑んだ。
「楽しみにしています」
マリアが言い、リンが頷いた。