102
「いい加減にしろ、こいつには聞こえない」
マリアを押さえつけていたパイアールが言った。
「せいぜい怯えるがいい。お前もすぐにエドゥアルド・トゥビンやヨーク・ローツ、ルイーズ・ベネットやジャン・ブロムたちと同じように、何も感じないただの抜け殻になるのだ」
「ローツにメヌエットを送らせたんだな?」
「あいつはヒビヤルドに心酔していた。ヒビヤルドの研究のためだと言えば、二つ返事で引き受けた」
「ルイーズも……」
「死んでいく身にしては、知りたがるではないか。ああ、そうだ。彼女は私を信頼していた。ハルタンに行く前にネストにあるヒビヤルドの息のかかった病院で一、二の認証装置の相談を受けるように言うと、これにもすぐに応じてくれた。そして、勧められるままに健康診断を受けた。その後どうなるかも知らずにな」
パイアールはくっくっと笑った。
「トゥビン、ローツ、ルイーズ、あの安心しきった馬鹿げた顔。ブロムは少しはましなようだったが、所詮何もできない弱者だ。お前は……俺と同じ強者の側の人間だと思ったが、こうなってみるとみじめなものだな」
まだだ、この繊維を切るには、まだ時間がいる。アロの指が再び私の首を絞め始めた。その空虚な目が私を見つめている。
「アロ、アロ・タンベレ」
私はアロを見つめかえした。アロの指がびくりとした。パイアールは間違っている。アロには聞こえている。
「アロ、しっかり、しろ」
必死で出した私の声は、かすれていた。
「そろそろだな。やれ、タンベレ、方を付けてしまえ」
凶暴な笑い。しかし、今日はよく笑う。いつもの弱腰な笑みの下に、こんな笑い方をするパイアールがいたとは。アロの指の力が徐々に強まっていく。パイアールは私の最期を見逃すまいと身を乗り出した。
「タンベレさん」
マリアが叫んだ。
「パイアール、何が……お前の……望みなのだ?」
私は苦しくなる息で聞いた。
「ヒビヤルドから特殊な生命体の話を聞いた。これは金になる」
パイアールは饒舌だった。だが、
「金が……欲しかったのか?」
と聞いた私に、パイアールの顔色が変わった。
「そうさ、忌々しいことに、父の事業は傾き、弟はそれを取り戻せないでいる。私は地位は手に入れたが、家からの援助がなければ、今までのような体面を維持できない。お前にもわかるだろう? きれいごとを言っていても力が、財力がなければ人は動かないことを」
アロの力がさらに強まった。が、私は自由になるために集中していた。もう少し、もう少しだ。もう話はできないが、諦めるものか。
「タンベレ」
パイアールが苛々としてさらに近づいた時だった。やっと、頑固な繊維が切れた。夢中で態勢を建て直し、アロに体当たりして、その腹部に一撃入れる。
「ぐっ……」
アロが崩れ落ちていく。更に、そのアロの横っ面を思い切り張り飛ばした。
「がっ」
アロは目をむいて私を見た。
「そうだ、しっかり見ろ。お前が殺そうとしたラビスミーナ・ファマシュを」
「俺が、あんたを?」
毒気を抜かれたようなアロが目を丸くする。
「ラビスミーナ」
パイアールの不意を衝いてマリアが駆け寄った。私はマリアを確保すると、剣を構え、すぐにブローチの通信機を使った。
「マルト、研究棟一階動力室付近でパイアールを発見。ただちに来てくれ」
「マルト、総領事のマルトか。だが、ここにはハルタンの治安部がいる」
パイアールが逃げ腰になった。
「そうだな、せいぜいそいつらに守ってもらうがいい。できれば、の話だが」
「タンベレ、何をしている? そいつを仕留めろ」
「パイアール議長、どうやらメヌエットの呪縛は切れたようだぞ」
「くっ」
辺りを見回し、パイアールが駆け出す。逃げられると思うなよ。私はパイアールを追った。だが、私を取り押さえようと、鍛えられたハルタン治安部の職員たちが私の前に立つ。ためらわずスーツのボタンをちぎって投げた。これは手榴弾だ。爆風に飛ばされ、壁に叩きつけられる者、がれきに当たって倒れる者、爆風をまともに受けて気力を失う者……その先に、一時振り返り、呆然とするパイアールの姿。だが、すぐに我に返ったパイアールは再び駆け出し、ちらりとこちらを振り返って壁に触れた。すると、ぽっかり階段が現れた。パイアールが階段を駆け上がる。空間は閉じようとしていた。そうはさせるか。私は閉まる壁の向こうに飛び込もうとした。
「ヤメロ、ハイルナ」




