僕が俺になるとき
「ごめんね、明ちゃん」
それは今からすれば、遠い昔の記憶。少年は双子の姉を愛していた。
少年は、彼女を守ることを一番の幸せとしていた。彼女と一緒にいる時が、一番の幸せ。
闇深い未来の中で、それでもなお光るもの。希望の明かり、それを頼りに生きてきた。
少年の進むべき道に、その明かりは必要不可欠なものだった。
────常に共に歩く、失ってはいけない片割れ。それこそが少女だった。
「明ちゃんのためになら、僕はどんな犠牲にでもなろう」
失いたくない彼女だからこそ、少年は彼女を守ることにすべてをかけた。
どんな責任も運命も、すべて背負い込んで見せる。
天才に不可能はなかった。殺し屋と渡り合うことも、若くして社長になることも。
「しかし、それもここまでだね。僕は力不足だったよ」
どんな天才であれ、子供である限りは大人に及ばず。だからこそ彼は、両親の対立に巻き込まれた。
父親は姉を社長にしたかった。それほどまでに少年の才能を、恨み、妬み、呪った。
────何故すべての才能を持って生まれてきたのか。どうして明に分けてやれないのか。
……父親の言葉は、心に刻んで忘れない。それはもはや、この会社の脅威でしかないのだ。
社長の座を脅かすもの。姉を社長にしたいのならば、排除すべき存在。
絶対に逆らえない、父親の命令。味方でいてくれた母親の力を借りて、少年は家から離れることを決意する。
「それで許してくれれば、どれだけよかったか」
父親の執念は、計り知れないものだった。父親はまだ6歳の少年の命を狙ってきたのだ。
それらすべてを昨日まで回避できたのは、義理の父親となった、矢崎誠一郎のおかげだろう。
だが、今日。少年と矢崎誠一郎は事故に遭った。この意識は、目が覚める寸前の、夢のような部分。
なぜ事故に遭ったのか、少年は理解している。
「これは、必要な事故なんだ」
義理の父親が、すべてを鎮静化させるために出た、殺し屋の策にあえて引っかかること。
矢崎家の存在を薄くするため。自分に視線を集めることで、すべてを闇に葬るため。そして……
「この事故をきっかけに、僕は変わることができる」
事故で記憶を失ったとすれば、これ以上、命を狙われることはないだろう。
これは……すべての人が誠一郎さんに感謝しなきゃいけないな。だからこそ、その死を無駄にはできない。
必要なのは、心に大きなダメージ……トラウマだ。それには誠一郎さんの死と殺される恐怖で十分だった。
そして、あとは作り上げた人格に、すべてを託す。
「後は頼むよ、矢崎進。君が生きていれば、僕らに勝機はきっと回ってくる」
その精神的なストレスから逃げるように、自分という存在を脳の奥へしまい込む。
……そして、何も知らない記憶喪失の自分をイメージし、意識を分離させる。
────脳が焼ききれそうなほど苦しい。そんなのやろうと思ってできることじゃない。
「でも、やるんだ……生きてもう一度、明ちゃんを守るために!」
夢の中へ沈んでいくような感覚。もう一人の自分、矢崎進の意識は夢から醒めていく。
これでよかったんだ。こうすればもう、脅威となる天才じゃない。
────そこから影山進は、どれだけ叫んでも届かない場所から、世界を眺め続ける。
トリガーはトラウマ、心の傷。それがあればきっと、もう一度戻ることができる。
それまで生きるんだ、矢崎進として────
「……あれ、俺って……誰だっけ?」
目が覚めた「矢崎進」は、何も知らない。母親が駆け寄ってきても、それを母親と認識できない。
だから母親が、無害な子供に作り替えることは容易だった。もちろん、それは母親の本意ではない。
すべては、影山家の生き残りを生かすための犠牲だった。
そこで生まれたのが、家族のために尽くすロボットのような心だ。
目の前に突然できた、家族という存在を守るために、自由を捨てた────悲しい人間のなりそこないだ。
明といることが幸せ。その意味を忘れてしまった少年は、誰かと一緒に幸せを共有することを、幸せと定義したのだった。
────その誰かを、忘れてはいけなかったのに。




