家族と絆
進くんの過去がそろそろ来ます。その下ごしらえです。
「ゆ……うと……?」
────頭が真っ白になる。何も考えられない。目の前の事実が入ってこない。
記憶は混濁していく。様々な記憶が混ざっていく。記憶は漂白されていく。真っ白に、何もなかったかのように────
────そうだ、それが僕の身を守る術……
「旦那! しっかりしろ!」
漂白されかけた記憶が色を取り戻す、混ざりかけた記憶がまとまっていく。幼いころに見た誰かの影と重なって、目の前に立っていたのは佐倉さんだった。
「進、帰ってこい!」
佐倉さんはしゃがんで、俺を激しくゆする。何か呆れたようにため息をつくと、はっきりと告げた。
「優斗は死んでない、ただの麻酔銃だ!」
「えっ……?」
「見ろ、こいつ血を流してるか?」
落ち着いて現状を見る。優斗は眠るように横たわり、胸には穴が開いている。しかしそれは貫通したようには見えず、ましてや出ている血は致死量と言うには少ない。
────本当に、麻酔銃なのか?
「やっぱりなぁ、こいつ。撃たれる対策はしてねぇわ。だろうと思ったんだけど」
「……佐倉さん? わけがわからないです」
佐倉さんは俺を見ると、悪い悪い、と簡単に謝りながら、俺を落ち着かせるように説明を始めた。
「すまねぇな。こいつを殺させるわけにはいかなかった。だから狙撃させてもらったってわけ。このままいけば、優斗は死んでいた。それは、大切な情報源をなくすことになる。こいつにはいろいろ吐いてもらわなきゃいけないんでね」
「佐倉さんは、オーア……の一員だったわけですよね。知らないこととかあるんですか?」
「今の内部事情は、俺も椿も知らねぇよ。そもそも、いろいろ繋がらないところがある」
「いろいろ……繋がらない?」
「あぁ、例えば……一般人の旦那を殺すことは朝飯前だ。だがそれを、17年間も実行しなかったのはなぜか」
「影山家の脅威になったら殺せ……ですかね」
先ほどの優斗のセリフを思い出す。あれは俺の中でも引っかかっていた。
「矢崎進、俺はお前を殺すんだ。出会う前から、そう決めていた! お前は影山家の脅威だ。社長としてお前が動き出した今……記憶を取り戻そうとしている今、俺はお前を今度こそ殺さなきゃいけない!」
すると佐倉は一言口にする。
「だったら、旦那は17年前が一番脅威だったんですがね」
「……え?」
────17年前が、一番脅威。それは俺が記憶を無くした時と一致した。だが俺に今まで、影山家なんて存在は頭になかったわけだし、そうなったのはつい最近のことだ。
だからこそ、俺は命を狙われる理由がわからないし、何が脅威なのかもわからない。
「まぁ、旦那はいずれ思い出すから、そこはいいや。ここまでくれば、旦那が思い出すのは時間の問題。すべての真実に気づいて、それでも前に進めるか。いずれ問われるだろうよ」
それよりも……と言って、佐倉さんは周りを見た。そして、近くにいた真希の縄をナイフで切る。
「救急車は呼んでおいた。今は妹のそばにいてやるんだ。優斗に関しては俺が何とかする。俺が片付ける問題だ」
まだ事態に頭がついていかない。ナイフで傷ついた体は痛むし、現実は何も片付いていない。優斗だって心配だし、俺のことだって何もわからない。でも俺は、もっと大事なものがある。
────なぜか心が叫んでいる。二度と家族を手放すなと。それは父さんのことなのか、もっと別のことなのかわからない。それでも、その気持ちだけは本当だ。
「真希……しっかりしろ、真希!」
意識のない真希を抱きかかえ、必死に呼びかける。脈はある、息もある。ないのは意識だけだ。今はその腕の中の家族が、生きていることを実感する。
「死んでいなくて、よかった……」
俺はそっと、その体を抱き寄せる。すると、耳元で微かに声がした。
「お兄……ちゃん……?」
「真希、大丈夫だ。救急車は呼んである、俺だってそばにいる」
まだ戻ったばかりの意識で、真希の手は俺の腕に伸びていく。俺はその手をしっかりと握り、離さなかった。
「いくらだって俺を恨めばいい。いくらだって俺を憎めばいい。俺が真希にしてあげられたことなんて何もないんだ」
それでも、その先に未来があるのなら────
「それでも……それでも俺は、真希のそばにいたい」
記憶の奥底で、何かが蠢いている。俺はきっと、もっと大事な家族を失っている。誰かはわからない、でもその家族を失った痛みを、俺は思い出した。それは知り合いの死よりも、ともに幸せになりたい人の苦しみよりも、はるかに重い物。
────家族を失う痛みに変えられるものはない。少なくとも、俺の中では。
「なら……一人にしないで、お兄ちゃん。私が一番、悪かったんだから……」
真希の目には涙が浮かんでいた。弱弱しい涙、それでもそれに嘘はなかった。真希は自分が悪いと心から思っている。そんなこと思わなくっていいのに。俺が狂っているのが悪いんだ。そんな現況を作ったのは、真希じゃない。きっとそれは俺の過去なんだ。
「真希は悪くない、悪いのは俺だ。だからもう俺は、真希を一人にしない。家族としてそばにいる」
そしてもう一度、俺は真希を抱き寄せた。そして、耳元で微かな声を聞く。
「お互い様だね、大好きなお兄ちゃん」
────それは、16年かけて、ようやく心からわかりあえた瞬間だった。もう二人の間に嘘はいらない、俺は昔のように、真希のそばにいよう。それは使用人でもなく、罪人でもなく、兄として。きっとこれからは、兄として真希のそばにいられるだろう。
その花のような優しい微笑みを、俺はこれから、一生忘れることはないだろう。俺も最大限の笑顔で答えるんだ。
「────大好きだよ、真希」
今日は日差しが温かい。その絆を祝福するように、温かい日差しが降り注ぐ。きっと俺たちの春は、近いだろう────
……それから数日後、事は何とか落ち着いた。真希も無事に退院することができ、俺と真希は一緒に母さんのお見舞いに行った。
今回の騒動は、大体母さんに伝えてある。真希が誘拐されて、少しだけ入院することになった。幸い大きなけがはない……って感じに。
「あら……二人で来たのね。真希、退院おめでとう。オーアからの襲撃で無事で済んで、本当によかったわ」
病室のドアを開けると、母さんはベッドから起き上がっていた。まるで俺たちを待っていたかのように。そして俺は、オーアに襲われたなんて一言も言っていないのに、母さんはそれを知っていた。不思議だと思った。それでも今は、もっと前を見る。
そして顔は真剣そのもの。何かを伝える気なんだと一瞬でわかった。だからこそ、俺は先に言う。
「母さん、前に言ったよね。私が過去を隠さなければ、あなたの心はきっと歪まなかったって。それは母さんの過去なの? それとも、俺の過去?」
「……どちらもよ。まずは真希、私は謝らなければいけない。私は真希に、進の行動がお父さんの死に繋がったって言ったわね?」
真希はうなづく。俺もその通りだと思った。俺が星が見たいといったあの日、父さんと俺と幼かった真希は、一緒に車に乗って、山を目指していた。つまりは俺の言動が、父さんを殺した。だからこそ真希は俺を恨む。当然だと思った。
「あれはね、私の嘘なの」
「え────」
「お父さんは事故死じゃない。落石は本当よ、でもそれは「人為的な落石」だったの」
言葉の出ない俺に、母さんは俺の言いたかったことを突き付ける。
「お父さんは殺されたの。オーアにね……」
「なんで……なんで私に嘘ついたの、お母さん!」
俺に代わって声を出したのは真希だった。張り詰める空気を、母さんはもろともせず話を進めていく。
「お父さんが殺されたと、私たちは気づいちゃいけなかったの。気づけば、オーアに私たちは殺される」
「どうして? お父さんのことを知っちゃいけないの? お父さんは何をしたの!?」
問い詰める真希に、母さんは真実を口にする。それは、俺にだって、今起こるすべての問題にだって、無関係でないことはわかった。
「────矢崎誠一郎は、影山家、華山家、オーアを繋ぐ架け橋だった。影山家、華山家、そして矢崎家を大切にした彼は……すべての問題を一度沈下させるために、自ら死を選んだの」
そして、そう言って、母さんは俺を見た。
「進、あなたが過去を受け入れるかどうかで、この先の多くの人の命が左右される。椿から聞いたわ、あなた「森下幼稚園の園章」をもらったそうね」
そう言われて、俺は胸ポケットにいれられていた、写真と校章を出す。これは、森下幼稚園の園章だったのか。
「それは、私が葉に預けたものだったんだけど、返されちゃった。だからこそそれを持って、影山明に会いなさい。会って、その園章の意味を確かめなさい」
俺はそれをぎゅっと握りしめる。周りは過去を言えなくても、俺に思い出させようとする。それは俺の意思とは関わらず、強制的だ。しかし、無理やりにでも俺は思い出さなきゃいけない。それが俺にできることなんだ。いや、やらなければいけないことだ。
「お母さん、お兄ちゃんの過去をほかの人が知るとどうなるの?」
「真希だったとしたら……やっぱり殺されるわね。これは口封じとして、私たちが結んだ約束だから」
「お兄ちゃんは……過去に何かしたの? 悪いこと?」
母さんは目線を下に落とすと、聞こえないほど小さな声でつぶやいた。
「何もないわ────以外」
そこが聞こえなくても、俺は過去に、誰かを苦しめたことがあるようだ。未来のためにも過去を見よう。俺が失ったものは何か、俺が手放したものは何か。俺自身が問われる戦いが、始まろうとしていた。
幼稚園まで遡るのか……普通の人なら忘れてるぞ。




