ある超能力少女との関係
俺は病室のベットの上で寝転がりながら思い出していた。
今日の朝、パートナーだと紹介された少女のこととか、入院するまでのことをだ。
俺が超能力者だと気づいたのは高校に入学して一年がたとうという頃だった。
当時、俺は何も考えないで適当に生きている人間だった。だが、ある日を境に人の感情を感じ取れる能力が不幸にも備わってしまったのだ。
超能力者は研究者に拉致されて軍事利用のために実験を繰り返される。長い実験の末に、精神は崩壊し廃人となるか、兵器として転用される。なんて、そんな中二病じみた妄想が現実にあるわけない。
現実には病気として認定され、病院での治療を任意で受けられる。それだけだ。現実はただ普通で苦しいだけだ。
実際、俺は友達、クラスメイト、親の複雑な感情に困惑して、苦しんだ。俺が親友だと思っていた友達なんて、自分より劣っている人間と付き合って優越感を味わいたいだけのクソ野郎だった。俺はそいつとの絶縁を決めた。知らないほうが良いことなんて他にもいっぱいあるものだ。普通に良心的な人でも悪い感情を持つことは多い。それで俺は人が怖くなったのだ。
俺は入院しての治療を決めた。もう、こんな状態で暮らすのはまっぴらだった。
しばらくは検査と医者の診察を受けるだけで日々が過ぎていった。変化が訪れたのはそんな日々が日常と化していったころだった。
「彼女が今日からあなたのパートナーよ」
そう言って診察室で女性の医者に紹介されたのは背の低い少女だった。細い背中を流れるほど長い、薄い水色の髪をした彼女は、幸薄そうに伏し目がちで、俺の前に立っていた。少女は今にも蜃気楼のように消えてしまいそうに見えた。なんせ、俺は主治医に紹介されるまで彼女の存在に気づかなかったくらいだ。俺は彼女の気配を、感情を感じ取れなかった。
「よろしく」少女の唇から微かに声が漏れた。
「彼女はある時を境に感情が無くなった。あなたと二人で協力してお互いの問題を解決して欲しいの。しばらく話し合ってみて」医者はそう言い残して俺たちを二人だけにした。
いくら治療法が確立されていないからって適当過ぎないか? それに説明不足だとも思ったが、言わないでおいた。
本当に俺とこいつでお互いの病気を治せるのか?
少女は黙ったままうつむき加減で立っていた。
しばらく沈黙が続いた。先に沈黙を破ったのは俺のほうだった。この長い沈黙の時間に耐えられなかったのだ。それに、このまま黙っていれば彼女の存在を忘れてしまいそうだった。感情を感じ取れないというのは、それほど俺にとって空気のように存在感の感じないものだった。
「あのさ、俺の名前は君兎、よくウサギなんてあだ名をつけられる。きみはなんていうんだ?」
「……」
「?」
何か喋ったのか、何も喋ってないのか、俺には判断がつかなかった。もう一度声をかけてみると、少女は何の興味もなさそうな瞳を俺に向けてひと言「空音」とだけ言った。
その時診察室の扉が開いて医者が戻って来た。今日の診察は終わり。これから仲良くするようにとのことだった。
食堂で、昼食の乗ったトレイを持って空いている席を探すと、一人だけぽつんと人混みから離れてごはんを食べている空音の姿が目に入った。
俺は人混みを避けるように移動して、それでも突き刺すような感情の流れを感じ、心がささくれだちながら思った。あそこなら落ち着ける。
「ここいいか?」
空音の座っている隣の席を目で示す。空音は俺の顔も見ずに、握った箸から米粒を落とさないように口に運びながら、食事のついでのように黙ってうなずいた。
俺は席に座ったが気まずかった。
感情がない相手とどう接していいのかわからなかったのだ。
普通の人間だったら、こういう時、不安になるか喜ぶかするものだが……。
俺は率直に疑問をぶつけてみることにした。
「感情がないってどんな感じなんだ?」
空音は手を止めずに、それだけではなく食べ物を咀嚼しながら言葉を漏らした。
「何にも興味がなくなる。あなたにもね」
「おい、いくらなんでも食べながら喋るのは汚いだろ……」
俺が引いていると、空音は口の中のものを飲み込んで、俺に冷たい目を向けてきた。
「言ったでしょ。何にも興味がなくなるって」
「俺たちはパートナーだろ。少しでも仲良くしようぜ」
「ごめんなさい。私は病気を治す気はないの。ここにいるのは親に無理やり入れられたからよ」
空音は俺から逃げるように、食事も途中なのにトレイを持ってどこかへ去って行った。
いくら可愛い女の子だからって、この扱いは許しがたい。
俺は腹を立てながら味のしない食事を飲み込み、食器を片付けようと歩き出した。
その時、俺は様々な感情に飲み込まれた。悲しみ、苦しみが多く。中には楽しいというのもあった。
食器を片付けに行くまでの間にうっかり人混みを通ってしまったのが原因だ。頭の中が怒りでいっぱいで、すっかり人混みが目に入らなくなってしまっていたのだ。
俺は突然のことに驚きトレイを落とした。脳裏に映像が浮かぶ。着地した衝撃で、食器がトレイから飛び出し地面で割れる。
その瞬間、「危ない」という女の大声がした。
はっと我に返ると食器の乗ったトレイが宙に浮いていた。
「ふう、間に合ったようね」
俺が声の主を見ると、栗色の短い髪をした、おそらく緊張が解けて本来の活発で明るい笑顔を浮かべた同い年くらいの女子が立っていた。
「そこのキミ、だいじょうぶ?」
「さっきはありがとう。助かった。」
俺は自分の超能力がどんなものか話した。相手の超能力を知っておいて、おまけに助けてもらっておいて自分だけ言わないでおくのが嫌だったのだ。
「あはは。そうだったんだ。笑っちゃって悪いけど、嫌な能力だね。ま、何かに使えるような大した超能力そのものが存在しないからね。私だってほら、軽い石ころ程度のものを浮かせられる程度だし。あ、ほらほら一人キャッチボールとかできるよ」
この人と一緒にいても心があまり乱されない。マンガのキャラがそのまま性格になったみたいな人だ。これだけ天真爛漫だと本当に病院の外を生きていけるのか不安に思えてくる。
「さっきはもうちょっと重かったと思うが」
「うん? ああ、あれね。本気を出せばというのとも違うんだけど、いざってとき馬鹿力が出たりするじゃん。それに近いものかな」
「そういうこともあるのか……」
俺たちは病院の中庭のベンチに座って軽く話をしていた。木漏れ日が眩しくて、俺は目を細めた。そよ風が吹いて来て、木の枝が揺れてさわさわと音を立てていた。
俺を助けてくれた彼女はその場で明里と名乗り、俺の名前を間髪入れず聞いてきた。その時は助けてはもらったが、ずいぶん馴れ馴れしい奴だなとも思った。
「明里ー!」
遠くの方から声がした。声のしたほうを振り返って見ると病室の窓から手を振っている人がいる。
明里も笑顔で手を振り返した。なるほど。こいつ俺と違って友達多いな?
「わたし、ここの暮らし気に入ってるんだ。外と違って変な目で見られることもないし、ここにいるみんな仲間って感じしない?」
明里の言ってることはおかしなことではない。実際、外では超能力が使えるってだけで変な目で見られることなんてざらで、だいたい誰かに近づくだけで避けられるほどだ。だから入院させて治療するというのは隔離するという意味も含まれているのだろう。みんな自分と異質なものが怖いのだ。
しかし、俺は黙ったまま明里の言葉に答えなかった。人間お前が思っているほどそんなに単純じゃない。みんな仲間だなんてことがありえるだろうか。俺は空音のことを思い出していた。
その日の夜、空音が俺の病室に現れた。俺の病室は普通のただの壁が真っ白い個室だ。ドアを開ける音でうつらうつらしていた目が覚め、ベッドに横たわっていた体を起こそうしたところで、どすん、空音の体が突然ベッドへダイブした。俺の寝ていた脇でうつ伏せに寝転がる空音に俺が色んな意味で驚いていると、シーツに埋まった顔からくぐもった声が聞こえてきた。
「一緒に生活しろって言われた」
「一緒にって何だ!? これは俺のベッドだ。一緒に寝るということなら断固拒否する!」
「明日、もう一台運ばれてくるって。それまでの我慢」
「この部屋がこれ以上狭くなるのか。一体何なんだ……」
空音の表情は顔がベッドに埋まっているせいでよくわからない。まあ無表情なんだろうことは想像できる。
壁にかけられている時計の針が10時前を指した。もうすぐ消灯の時間だ。
「しょうがない。俺は床で寝るよ」
そう言って掛け布団を持ち出して床に敷いた。
その時、空音が顔を動かして初めてこちらを見た。俺はその表情を見て凍りついた。
目を見張った驚いたような顔をしていたのだ。感情がないんじゃなかったのか?
「優しいんだね」
「うん、まあな。この状況なら仕方ないし。俺は構わないよ」
空音は俺から目を離し天上を見上げた。
突然照明が消えた。消灯だ。
暗くなり周りが見えなくなった。俺は掛け布団の上に寝転がった。ひんやりとした固い床の感触が、その冷気が薄い掛け布団を通り越して俺の背中に当たった。
「私ね」空音が独り言を言うようにつぶやいた。
「私の超能力、対象一人の感情を消せるっていうものなの」
「何それ、すごくないか!」俺は素直に驚いた。そんな便利な能力があったら医療関係や警察関係から引く手あまただろう。軍事利用もされかねない。
「だから、私本当の能力のこと、誰にも言ってないの。自分に能力を使って、ただ感情が無くなるだけってことにしてる」
「そうだったのか……」
闇夜に目が慣れて、空音の姿がぼんやりと見えるようになってきた。うつ伏せのままこちらに顔を向けている。
「でも、どうしてそんな大事なことを俺に……」
「あなたが優しそうだったから。年頃の男の子のことはよくわかってるわ」
空音は続けて身の上話を始めた。
「私、親に無理やり入院させられたの。たぶん怖かったんだと思う。でも私を愛しているということはわかったわ。でも愛より恐怖が勝った。それが嫌だった。親への憎しみ。超能力が備わったことへの恨み。そういったものを感じたくなくて自分に能力を使った。やっぱり最初は能力を制御できなくて家族に使っちゃったんだけど」
それで怖がられたんだと思うと空音は続けた。
空音は能力を使うことを少し前にやめたらしい。空音の悲しみが俺の心に伝わってくる。
「私、超能力者になってから、優しくされたの初めてだった。だからこの嬉しい感情は感じておきたかった」
「ありがとう。ウサギ」空音は静かに泣きながらつぶやいた。
でも冗談を言えるほどの心の余裕は取り戻したらしい。よく興味もなかった俺のあだ名を覚えていたものだ。
俺は初めて自分に超能力が備わっていることを嬉しく思った。それは、悲しみも混じっていたが純粋な好意の感情を向けられたのが初めてだったからだ。
これが明里の言ってた仲間ってやつなのかな。俺は心の中で思った。
俺たちはこれからも二人で一緒にいるような気がする。超能力がもたらすものは不幸ばかりじゃない。今の俺たちのようにお互いに幸せを感じることもできるのだ。
俺はこのまま超能力がなくならなくても、何とかやっていけそうな気がしていた。
気が付くと空音は泣き止んでいた。今までの苦しみを思い切って話して疲れ切ったのか寝息が聞こえてきた。
俺も寝ることにした。明日からは今までよりも少し楽しく生きていけそうだ。