2曲目 〝歌姫〟と甘噛み
「あっ、えっ、えっと………、僕は今日近くに…。
あっちの方に引っ越してきたんです…が………?」
雨音が発した言葉を聞くよりも速く、目の前迄来て右にスピードを落とす事無く曲がったのだ。驚いた、本当に驚く。雨音の髪も風で少し揺れたのだが今は眼前で起こっている出来事に注視していたいので気には留めなかった。
そのまま、雨音がポカンとしていると足音が聞こえた。慌てて左を向く。
先程の野菜屋の店主が驚いた表情を見せてから、少し苦笑しつつ………何故苦笑したのだろうか?そう思い、更に目を丸くした雨音を見て、
「どうかしたのか、雨音」
と、問い掛けたものの、まだポカンとしている。その様子をじっと見つめ、しまったか?と云う様な感じに口を閉じた。お口チャックのジェスチャーを使っている。ジーッと音が聞こえそうな位とても上手かった。そんな感想を抱くと、今度はジーッと開けて、
「『雨音』、だったよな? 君の名前。可哀想になぁ。あ、名前で呼んでも良いか?」
「合ってますよ。名前で呼んで貰っても構いませんが、可哀想、って一体どういう事ですか?」
安堵した様な野菜屋のおじさん(だとはとても思えない程表情がコロコロと変わるのだ)に聞いてみると、
「いや、今の子、ちょっと、いや大分変わってるよな。きっと。うん。
かーなーり変わってるから、初見だと驚いただろうなー、と予想したから……イテッ!」
「何処の、誰が! 変わってるですってー………?」
「俺の後ろに隠れたのか、それとも俺の背後を取ろうとしているかよくどっちか分からない君の事なんだな、これが!」
そう言われて引っ張って店の中から反対側に出された少女は先程の少女だ。
「い、いやっ、なんでこんな事するのー! あんまりよ!訴えてやるぅー!」
「只単に、人見知りが激しい娘同然の女の子に人見知りを克服させてやろうとしてるだけだろうが。はぁ~。とまぁ、見ての通り変わった子なんだ、宜しく頼むよ」
微妙に付いて行けていない気がするが、気の所為だと言葉を飲み込み、深呼吸してから声を掛ける。大丈夫だ、次はテンパってチャンスを逃さないぞ!と決めた。
「初めまして、今日ここの近くに引っ越してきた天池雨音です! これから宜しくお願いします!」
「こっ、こちらこそ、よりょしくお願いします! って、痛い、舌ちょっと噛んじゃった。うぅっ」
「お、おい大丈夫か、涙目になってんぞ?」
すぐに飲み物持ってくるから待っとけよ! と言い残して行った野菜屋の店主を待つ。名前が気になるなぁ、と思いながらも少し遠い目をしたくなった。