クリスマスの願い事1
はっきり言って、世の中のカップルはみんな死ねと思っている。
クリスマス、バレンタイン、イベントの時はさらにその思いが強くなる。
お前ら無宗教だろ、クリスマスなんか祝ってんじゃねーよ。
勝手に恋人のためのイベントに改変してんじゃねーよ。
そう思う俺は、つまりそう――ここ3年彼女がいない。
俺は無宗教だけど、日本の神様にはそこそこ親しみを感じていた。
けれど去年の正月、「今年こそ彼女ができますように」と賽銭箱に二千円入れたのに、何もなかったどころか、いいなと思ってた子に陰で「ネクラくん」と呼ばれていることを知って、日本にも神様なんていないと思った。
だから最近は、神様に願いを託すこともない。
「御堂くん、もっと笑顔でやらなきゃ」
顔を上げると、いつの間にか横に店長が立っていた。
俺は今、大学近くのアーケード街でそこそこ人気のケーキ屋でアルバイトをしていた。12月から年始にかけての短期バイトだ。
今日は接客の合間で、ケーキを入れる袋にひたすらクリスマス用のシールを貼っている。
「売る時は、ちゃんと笑いますよ」
たとえそれが彼女と食べるために買いに来た男でも、腕を組んでいちゃいちゃしているカップルでも、相手を不快にさせない程度の営業スマイルを浮かべるくらいは何てことはない。
しかし、もう少し太って髭をつければ、いかにも子供が喜ぶサンタになれそうな好々爺然とした店長は、俺の手からシールの台紙を取った。
「だめだめ、こういうのは見えないところでもちゃんと心をこめてね。こう、シール1枚貼る時にだって、心の中で『メリークリスマス』って、唱えながら貼るんだよ」
「はあ…」
「買ってくれる人の幸せを願ってね」
そう言うと店長は、「メリークリスマス」、「メリークリスマス」と、実際に声に出しながら2枚の紙袋にシールを貼った。
「人の幸せを願えば、いつか自分に返ってくるからね」
「はあ……」
シールを俺の手に返し、「さ、続きよろしく」と去っていく店長を見送って、自分の作業を再開する。
英語の筆記体で「Merry Christmas」と印字された金色のシールたち。
台紙から剥がすと、それからは貼るごとに「カップル別れろ」、「カップル別れろ」と念を込めながら、残りのシールを貼っていった。
* * *
「あーさっみぃ」
「言い方おっさんっすね」
一緒に店頭に立っていた鹿野さんのぼやきにつっこむ。
「別にいいじゃん。寒いもんは寒いんだから」
「ああいうミニスカサンタじゃないだけましじゃないっすか」
「あーあれね、よくやるよね」
少し離れた通りの真ん中では、サンタのコスプレをしたミニスカートの女の子がティッシュを配っている。
一方こっちはサンタ帽をかぶっているだけで、服装は普段どおりのコックコートにベンチコートを羽織っていた。
23日から25日にかけての3日間は、店の外にも机を設置してケーキを販売していた。今日は最終日の25日だ。土日とかぶった今年のクリスマスは例年より人通りも多く、ケーキの売れ行きも今日の昼の時点で昨年を上回ったらしい。
それにしても、通りを歩く人のカップル率の高いことといったらない。
「あたしたち、寂しいね」
「そうっすね」
お客さんが途切れると、鹿野さんは大抵話しかけてくる。
鹿野さんは俺みたいな短期じゃなく、元々ここでバイトをしている人で、俺とは違う大学の院生だった。フランクな人で、短い付き合いだとわかっている俺に対しても、結構前からの知り合いみたいな感じで接してくる。おかげで、2人きりでも気まずくない。
「寂しいもの同士で盛り上がれればいいんだけど、森下くん、タイプじゃないしな」
「立候補してないのに勝手にふるのやめてくれませんか」
余計なカウントを増やさないでほしい。
腕を組んで近寄って来たカップルに、鹿野さんが瞬時に接客モードに入る。
見本のサンタの砂糖菓子に「可愛い」を連発する彼女をうまく煽った鹿野さんは、見事彼氏にブッシュドノエルと飾りのロウソクまで買わせると、俺が呪いをこめたシールが貼ってある紙袋にケーキとロウソクを入れ、笑顔で2人を見送った。
2人に声が届かなくなった距離になった瞬間、鹿野さんのテンションが戻る。
「森下くん、彼女ほしい?」
「ほしいっすね」
「紹介してあげようか」
「え」
「代わりに、誰か紹介してくれるならだけど」
「あー…」
ただじゃないわけだ。
しかし今俺の周りには、手ごろな友達がいない。
本当に友達がいないわけじゃなく、現在彼女がいない友達がいない。
「……あきらめます」
「何だよもー使えないなぁ」
「鹿野さん、結構はっきり言いますよね」
「うん」
「まあいいや。どうせ今日買いに来ることになってるの。来たら紹介したげるよ」
「まじっすか」
「その代わり、誰かいたら一番にこっちに紹介してよね」
「……うっす」
果たしてその人は、1時間後に現れた。
「鹿野先輩」
「おー、佳乃。お疲れ」
「お疲れ様です。寒いですね」
白い息を吐きながら近付いてきたのは、ベージュのコートを着た女の子だった。
その姿を見た瞬間、俺は大げさじゃなく、ハートを打ち抜かれた気がした。
彼女は俺の方には目もくれず、鹿野さんとテーブルの上に並んでいるケーキの箱を見る。
「売れてますか?」
「まあまあね。あんたが欲しかったの、やっぱ一番人気だよ。予約してなかったらもうちょっとで売り切れてたかも」
「ほんとですか? よかったぁ」
やべえ、めっちゃ可愛い。
白い息の向こうの笑顔が、とてつもなく輝いて見える。
いちごをふんだんに使ったホールのショートケーキを買った彼女にお釣りを渡すと、鹿野さんが俺を見て彼女を指差した。
「この子。さっき言ってた子」
「え? 先輩何言ったんですか?」
「あたしと同類だって」
「同類?」
「クリスマスに彼氏がいない寂しい子」
「え? やだ。何言ってるんですか」
「ほんとのことじゃん」
「寂しくないですよ。これからみんなで盛り上がるんですから」
「寂しいもの同士でな」
「いいじゃないですか」
ちょっと拗ねたような顔も可愛い。
「もしケーキが余ったら、持ってったげる」
「ほんとですか? 嬉しい~」
「それじゃ」と鹿野さんに頭を下げた彼女が、こちらを見た。
「寒いけど、頑張ってくださいね」
「はい」という、その2文字すら声にできなかった。
ぎこちなく会釈だけして、彼女の後ろ姿を見送る。
「……どう?」
「めっちゃ……可愛いじゃないっすか!」
「でしょ? 浮気した元彼バカだよね」
「え、浮気したんすか」
「元彼がね」
あんな可愛い彼女がいて浮気するとか、百回殺しても殺したりない。前の男、許すまじ。
――いや。それで彼女がフリーになって俺の前に現れたということは、少しは感謝するべきなんだろうか。いやでも、あんな可愛い子を悲しませるとかありえないっつーか、ほんとバカ?
「すいません、これひとつ」
声をかけられてはっとした。
目の前にお客さんが来ていることに気付いていなかった。
鹿野さんはすでに、別の客にケーキの説明をしている。
俺も頭を切り替えて、客が指差すケーキの箱を取る。
それでも、頭の中からあの子の顔は消えなくて。
一瞬で、俺のハートを打ち抜いた子。
冗談みたいだけど、その子の周りだけきらきらして見えた。
つまり俺は、一目惚れしていた。