足利義教は死なず
室町時代とは混乱の時代であった。
そんな中、六代将軍足利義教は、将軍権力の強化を図り天下を手中にする寸前まで後少しであった。
嘉吉の乱が起きなかったら彼はどんな時代を切り開きたかったのか?
嘉吉元年6月24日のことである。
足利六代将軍足利義教は、赤松満祐の息子教康から屋敷に招かれていた。関東で起きた結城合戦の戦勝祝いの宴ということであった。
満祐は内に秘めたるものを持っていたが、義教は全く意に介さぬように西洞院二条にある赤松邸にお気に入りの者を連れてやってきた。
宴が始まると満祐は、家臣に合図を送った。
義教達を屋敷に閉じ込め、逃がさない為であった。
赤松家の兵達が屋敷の出入り口を全て閉じようとしたその時であった。
屋敷の外からどこからともなく現れた兵達により赤松の兵は、悲鳴も声も上げる間も無く討たれてしまった。
満祐には、その様子は分からないまま宴は過ぎていった。
「満祐、赤入道の顔が益々赤くなっているが何かあったか?」
義教に話しかけられた満祐は冷や汗をかいていた。
馬が暴れ出したという声と共に、目の前の義教を討つ手筈になっていたからだ。
一向に声はしない。満祐は焦った。
『こうなれば、吾自ら。』
決意した満祐は、側にあった太刀を側に寄せ、一気に義教目掛けて太刀を抜き、切りかかった。
しかし、振り下ろした太刀は空を切った。
「満祐、やはり余を討つ気であったか。」
「御所様、何故分かられた。」
「お主の家臣の一人が、企てに怖気付いて密かに知らせて来たのよ。諦めよ。既にこの屋敷は、我が家臣に囲まれておるわ。」
「えーい、わが事敗れたり、こうなれば御所様を道連れにして吾もあの世に参ろうぞ。」
開き直った満祐は、息子教康と共に暴れ回ったが、多勢に無勢でついに力尽きて打たれてしまった。