第7話 お嬢様を誘拐せよ、丁重に
僕はただ呆然と中空を見つめ、『無心』という二文字の言葉を脳内に張り巡らせた。
まずは今の現状を客観的に、そして冷静に見つめなおそう。
――だが、見つめなおしても答えは見つからない。色々なヒントとなりうるピースはあるのだがそのピースの形がわからない。
――僕は今何をしているのだろうか。
僕は右手に自らの剣状突起を、左手に黒いインクが入ったバケツを持った奇妙な自分に自問した。
左右に均等に並んでいるあらゆる店を見ようともせず、小高い丘の上に悠然とそびえ立つ城へと一目散に疾走する人々。
女の悲鳴。
数多に重なりあい地面を微かに揺らす足音。
人の波。
大通りに置き去りにされてしまった赤ん坊。
そして泣き声。
僕は現実逃避なのかどうかわからないが、その赤ん坊をただ見つめた。可哀想とも思わずに、同情も何をせずに――いつも通り無感情のままその光景を見つめた。
「君も、こういう感情を抱くのか」
僕は振り返り、その声の主を確認する。
――リンだ。
「案外、『英雄』も大したことないな」
僕はその言葉の真意を知りたく(僕の何かしらの行動が『英雄』としてよろしくないのかと心配したため)リンの顔を横目から覗きこんだ。
リンは――笑っていた。
まるで普通の、ごく一般の――女子のように。
「リンさんも、笑うんですね」
リンの女性的でありながら少し鋭い猫のような双眸に僕の覗きこんだ顔が映る。
――僕はこのとき初めて自身の顔立ちを見た。
ただ初めてでありながらもただならぬ既視感が脳内の海馬にて介在していたため、まるっきり新鮮な気持ちで見ることができたのではないが。
僕の顔立ちは至ってごく平均的だった。特異な存在である僕が平均という言葉を発するのはなかなか滑稽かもしれないが。
これといって特徴のない僕の顔だが、一つだけ。
「綺麗」
そう、肌が綺麗だった。この年頃の男性は肌荒れやニキビなどによって綺麗とは言い難い肌が大多数だと思うのだが、僕の肌は白く綺麗だった。
あまりにも白く、綺麗で――思わず自分で感想を言ってしまうほどだ。
僕の肌もそうだが、リンの肌も白く綺麗だったはず。僕はそう唐突に思い立ちリンの瞳からリンのその肌へと視線を移した。
リンの肌は何故か――ほんのり赤みがかっていた。
「……き、きれ、いって」とリン。
「……はい、?」僕は平坦にそう言う。
「この、この変態が!!」
そう僕に言い放つや、あの置き去りにされた状態の赤ん坊の元へと駆け足で向かうリン。
――どういうことだったの、だろうか。
リンは赤ん坊の目の前で自らの長髪の黒髪を一本抜き取り、瞳を閉じ、祈るように唱える。
「――花紅柳緑」
するとリンの手に――一輪の美しき花が生えていく。
――凛とした紅色の花。
赤ん坊が――泣き止んだ。
「この花のように――強く、生きるのだ」
リンは赤ん坊にそういつも通りの平坦でぶっきらぼうな口調とは違い、芯をしっかりと持った――あの花のような凛とした力強い口調で言い、その花を赤ん坊の小さき手に握らせた。
「惚れたのか、新人」
誰かが僕の左肩に手を置いた。
僕は左を見た――小太りの男――名無しだった。
というかこの男に『新人』などと言われたくはない。
「惚れた?僕が、誰にでしょうか?」
「誰ってお前、今誰見てたんだよ」
「リンさんと、あの赤ん坊です」
名無しは目を細める。
「お前、まさか赤ん坊に恋するっていう、そういう――趣味な、のか」
僕は言う。「ロリ、ですか?」
細目だった名無しの双眸が大きくなり、彼の黒目をのぞかせる。
ずいぶんと、表情の移り変わりが激しく、そして変わりやすい男だ。
「ほうほうほう」名無しは口を僕の左耳へと近づけ、ひそひそ話のように「君も、こっち側の人間、か」
「ロリコンではないです」僕は否定する。
「じゃあ、あの赤ん坊と、我ら<黒髪>が誇る『箱庭の美女』リン、どちらが良いんだい新人くん?」
僕は即答する。「リンさんです」
名無しは「ほほう」と言いながら自らの出っ張った腹を触り「……やはり――胸か」
「聞こえとるぞおおお!!」
顔全体を紅潮させながら叫ぶリン。
大声に驚いてしまったのか、あの泣き止んだ赤ん坊が再び泣き出す。
「こっちも聞こえてる〜〜」軽く受け流す名無し。
「だいたい『箱庭の美女』とはなんじゃあああ!!」
「はい、ワロス、ワロス」名無しは面倒くさそうに腹を掻きあくびをしながら「これだから、女は面倒臭い」と呟いた。
「ところで、」そう前置きして話出そうとする名無し。
「いいんですか、リンさんのこと処理しなくて」
「ここは敵地なんだから、こんな話してる場合じゃないだろ」
いや、その『こんな話』を話し始めた本人が言う資格はない。
「で、話を本題に戻すけど」
前置きが長過ぎる。
「主宰は、今何処に?」
「えっと――先ほど僕と一緒に馬車でここに来て、それで……何も僕には言わずに空のバケツを渡して僕はここで降りて、主宰は馬車でそのまま何処かへと消えていきました」
「じゃあ、当分主宰は来ないっていうこと、だね?」
念を押す用に僕に尋ねる名無し。
「はい、多分」
「じゃあ、それなら――」そう言い、名無しは持っていた空のバケツを反対にして地面に置き、その上に乗る。
そして大仰に息を吸い、
「ここからの作戦指揮は俺が取る!!」
そう叫んだ。たった二人の<黒髪>に向かって。
「はあ!?」名無しにいち早く反論するリン。
最初、リンは日常的に他人に対し、感情を表に出さない、もしくは出せない人間かと思っていたが僕や名無しに対し色々な表情を見せることを考えると違うようだ。
人の中身など所詮外見からでは悟ることはできないのだ。
そうわかっていても、リンがそういう人間なんだと遅れ馳せながら僕は気付き、そしてなぜだか――寂しかった。
「主宰に何も命じられていないのにも関わらず、勝手に行動を起こすことは規約違反。単独行動ならともかく、指揮をとるなんてそんな大はずれことを……」
「そんな大はずれたことをする男それが――俺さ」
「するだけで成し遂げられない男、それがあなた」
「ふっ。そんな余裕かましたことを言えるのは今のうちだけだぞ、リン」
「大体、あなたが指揮を取るとして私たち三人だけでどれだけの範囲を黒で染めることができる?」
「じゃあ、リンはどうして主宰は僕達を置いたまま別件をしに行かれたと、お思いか?」
「それは、他の別働隊が到着するのを待てってことでしょう。ごく普通に考えて」
「いやいやいやいや、分かってないねリンは」
僕は言う。「すいません」
「分かってない?」
「そうとも、主宰のことを全く理解していない」
両者とも気付いていないようだ。
恋は盲目って言うけれど、まさか――口喧嘩も盲目、だったとは。
「そんなことはない!」反論するリン。
リンの反論を黙殺し名無しは言う。「主宰はこう思ってるのさ――」
「僕が――何を思ってるって?」
他人の感情を理解することができない僕だが――この場が凍りついたことは理解することができた。
無言のまま開いたまま塞がらない口を無理やり手を使って塞ぐリン。
無言のまま土台としていたバケツから降りる名無し。
それを気味の悪い笑みを浮かべたまま馬車の天井に立つ主宰。
冷たい沈黙――それを切り裂いたのは主宰本人だった。
「別働隊」
主宰はそう平坦な口調でそう言うと――小高い丘の城へと続く横にも広く縦にも広い大通りの――数多のマンホールが浮いた。
否――<黒髪>別働隊と言われる者たちによって人為的に『持ち上げられた』。
主宰はマンホールから続々と姿を現す別働隊に向かって――大声で叫ぶ。
「これまでの屈辱を――ぶちまけろ。復讐心も添えてな」
咆哮のように湧き上がる<黒髪>たち。
そして彼らは手に持ったバケツに、マンホールからひょっこりと覗き出るホースから出る黒いインクを入れていく。
「君たちには、別の任務がある」
そう言った主宰を見る名無し、リン、そして僕。
「サーマッカー3世の長女、リュミエールお嬢様を誘拐しろ」主宰は笑う。「丁重にな」
はじめてのさくせん!