第4話 英雄による英雄のための英雄凱旋
「ここが<黒髪>の巣――<東京>だ」
主宰は高らかに、大仰に手を広げ、そう言った。
「ここが……」僕は言葉を失っていた。
「言葉を失っているのかい?」
僕は驚き、その声のありかを探す。探すといっても、今ここにいるのは僕と主宰のたった二人だけなので、探すまでもなく分かってはいるのだけれども認めたくない、ただ疑いたいのだ。そう言えば、僕が憲兵から右腕を切断された際にも彼は僕の隠し通すべき利己的な性格を察しているかのようなことを言っていた。本当に僕の今思っていることを知っているのだろうか……。
例えば、コミュニケーション能力の低い僕との会話を意図的に弾ませるために当てずっぽうで主宰は言っているのかもしれない。それで図星なら、ならよしと。いや違うだろう。それならば、あんなに的確なことは言えないはずだ。
「どうして、『英雄』くんの気持ちが分かるのかって?」
こうやって、僕が何一つ言葉を発していないのにも関わらずコミュニケーションが安全運行で進んでいるのだから。
「それは、僕も『英雄』くんと同じ英雄だから、かな」
「それはどういう意味でしょう?」僕は初めて開口した。
「『英雄』くんって頭の回転が良いね」と言って笑う主宰。
「情報量が少ないので」
「だから回転が早いって?面白いな、『英雄』くんって」
主宰はそう言うと、笑いながら、左側から僕の肩を持った。
「それで、どうだい『英雄』くん。この<東京>を見てどう思う」
僕は辺りも見渡す。
地上を見、中世ヨーロッパ風だと感じたときの同じように、<黒髪>の巣<東京>を眺める。――眺めるといっても、馬車の箱(人が乗る部分)の天井という高さからだけれども。
別段、このような奇妙な状況になってしまった原因は、もちろん僕ではない。主宰という三十代後半の大の大人が「どうせなら馬車の上に乗っては見たくないかい?」と目を輝かせそう言ったという経緯があってのこの現状である。それもまた、静止いた馬車の上でだ。――恥ずかしいったら、ありゃしない。
そんなこんなで、馬車の上からという微妙な高さから睥睨の感想っていったら――
「汚い、が第一印象ですね」
「素直でいいね。今日の天気と一緒」とまたしても笑いながら言う、主宰。
――汚い、と今更ながら自らが発した言葉がどれだけ失礼かを実感した僕だが、実際問題そうなのである。決して、人間が暮らしていて衛生的に良いわけがない。スラム街よりも少し良いかどうかくらいの衛生環境である。
「じゃあ、行こうか」
主宰はそう言うと、下の馬に乗った部下らしき者に指示を与え、馬車を走らせる。
「何処へ行くのでしょうか?」
「英雄凱旋に決まってるだろう、『英雄』くん」
「英雄凱旋?」
「そう、『英雄』くんによる英雄凱旋」
英雄凱旋って戦果があっての凱旋のはずだ。なのに何の戦果があって、凱旋をするのだろうか。
「戦果は十分にあったじゃないか」
主宰は咳払いをして、言葉を続ける。
「君が戦果なんだよ『英雄』ヘルトくん」
そう言って主宰はまた笑った。
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「どうしたんだい『英雄』くん。そんなにお固い表情で。笑って手でも振りなよ。<東京>市民が君のことを尊敬を眼差しで見ているのだから。『英雄』らしくしようよ」
「本当に僕のことを歓迎しているのでしょうか?」
――そう、何かがやるせないと感じていた原因はこれだ。
「どうしてそう思うんだい」ととぼけて見せる主宰。
「根拠を挙げるとするならば目でしょうか?主宰が言っていたその尊敬の眼差しってやつ」
「なに、嫌味かい?遠回しの」
「はい」
「おお。今度は最短の嫌味」
主宰は笑って言葉を続ける。
「『英雄』くん。今僕ら<黒髪>は危機的状況なんだよ。明日僕らが生きていけるかどうかも分からない。まあ、だからこその『英雄』くんなんだけどね」
矛盾している。現状が危機的状況ならば、<東京>市民は『英雄』という現状を打開できる可能性を秘めている救世主的存在を強く望むはず。日常生活が安定していなければいないほど強く望むはずだ。
「さすが『英雄』くん。頭の回転が早い」
「茶化さないでください」
「茶化しているつもりはないよ。『英雄』くんと真面目なコミュニケーションを取る上での準備段階なんだよ。前説的なね――まあ、『英雄』くんが不必要と言うならば、仕方ない本題に入るとするか」
「すみません」
「謝らなくていいんだよ。無知なら誰だってそうなるさ」
主宰は白色のジャケットの内ポケットから煙草を取り出す。
「煙草は高級品なんだけどね。地下でも地上でも。でも今日は――自己投資、ということにしておこう」
と言いながら。
そう言えば全くと言うほど――彼ら<黒髪>についてのファッションについて触れていなかった。僕がただ単に、ファッションというものに全く興味がないからだろう。
主宰は<黒髪>の制服であろう黒色のワイシャツに黒色のズボン、そして黒色の革靴に、おそらく制服ではないだろう白いジャケットをその制服に羽織っていた。腕を通さずに、いかにも軍人らしいというか――軍人に憧れている青年という感じ。
何も似合っていない、という訳ではない。むしろ、似合っている。主宰が長身ということを相成ってか、ファッションに関心のない、ファッションに疎い僕でも魅力を感じるほどよく似合っている。だが。なんというか。その白のジャケットは――『着せられている』という感じがしてならないのだ。これといって何の根拠もないが。ただの感想の域に過ぎないが。
そして興味はないかもしれないが――というか自分自身なんら興味が沸かないのだが――僕のファッションはどうだろうか。
白いTシャツのようなものに、黒いズボン――それが僕のファッションだった。実にシンプル。特徴的な部分を敢えて挙げてみるとするならば、白いTシャツが血痕によって汚れているということと、右腕の部分が方から破けて生地がない、という二点だけだろう。
主宰は一服終えたようで、口を開いた。
「僕達はね、迫害を受けているんだよ。現在進行形で」
「迫害?もしかして主宰が使っていた<臥薪嘗胆>と因果関係が?」
「うーん、それも関係があるちゃあ、あるんだけど。違うんだ。それも説明するとなると、数百年前に遡らなければならない」
主宰は軽く咳払いし、言葉を続ける。
「数百年前。全世界的な大地震が起こった。まるで神の怒り声のような大きな地震が。津波による被害も大きく、地上にいた人間全員は地震によって命を落とした」
「人類は滅亡したんですか?」
「いや。軍人どもは地震が始まったと同時に地下シェルターに逃げ込んだ。地下シェルターに入りたいと懇願した一般人を跳ね除けて、自らの家族とともにね。それによって生き残った人類が――僕らの祖先。ここも、ここ東京は、その地下シェルターの跡地の空間を利用して作ったんだ。――酷い話だろう」
「酷い話ですが、その冷酷な人物たちが僕らの祖先な訳ですから一概には酷いと言い切れません」
「ああ、正論だ。でもその『英雄』くんの言う冷酷な人物たちはそれなりに苦労して大地震後辛うじて生き残ったんだ。――十一人の魔女の助けによってね」
「十一人の魔女?」
「ああ、魔女。魔女たちはその生き残った人類に対し、食料と生きる希望を与えた。その時からだ、僕達人類の信仰の対象が神ではなく魔女に変わったのは。――まあ、それも必然だろうけどね。危機的状況に陥ったとき、颯爽と現れた十一人の美人な魔女。信仰せざるを得ないよね。――美人かどうかはわからないけど」
「魔女たちはそれを狙っていたのでしょうか。人類から神格化させようと、そういう目的で地球にやってきた」
「僕もそう思っている。メリットのない慈善活動的なことをするのは神くらいだしね。ましては魔女。信用できないよね」
「はい。――で、主宰。その話がどういう経緯で黒髪が迫害されることになるのでしょうか?」
「その後。人類たちがある程度安定的に暮らせるようになった後、その神格化された十一人の魔女の間で仲違いが起きたんだ。黒の魔女、対、その他十人の魔女によって。――それでもちろん負けたのは黒の魔女」
「なぜ仲違いが起きたのでしょうか」
「さあ。神話には書いてないからね。もしかしたら、黒の魔女だけ超絶美人だったのこもしれない」
「……はあ」
「そこからだ。迫害が始まったのは。初めは、黒髪の女性を対象にした十人の魔女たちよる『魔女狩り』。恐ろしいよね、魔女が魔女狩りって。――で、次第に黒髪の男女へと対象が広くなり――現在に至る」
「なるほど。だから僕たちは地下都市の東京に」
「そう。結局僕達もその冷酷な先人達がしたように逃げたんだ地下シェルターに。でも先人達との相違点は十一人の魔女のような救世主が来ないこと。――まあ、そういう意味では『英雄』くんが魔女的な存在って感じか」
「だったら、なぜこのような歓迎ムードの無さなんでしょうか?」
「何、『英雄』くんは歓迎してもらいたいの?誰かから注目されたいっていう年頃?」
「注目されたいとは思っていませんが――歓迎くらいはされたいですよ」
主宰は高らかに大仰に笑う。
「良いね、素直で」
「……ありがとうございます」
「だからさ――」
そう言って、煙草を地面に――地面と言っても馬車の天井だが――落とし、革靴で踏む。
「戦果を上げようじゃないか。皆が神だと崇めるほどの『英雄』を創りだそうよ。ねえ――『英雄』くん」
主宰は言葉を続ける。
「さあ、剣を抜け。自らの口内から黒色の剣を」




