第14話 百合の花と変人
ポークソテーと付け合せの温野菜が入った白いお皿とティーカップが置かれているトレイを持ちながら、僕は『関係者以外立入禁止』とワイルドに墨によって書かれた張り紙が貼られているドアをノックする。これでもう九度目。続けて九度ノックしたのではなく、きちんと均等に間隔を開けた上で、優しく右手でノックしていた。一向に開く気がしない。
時は地下であるため空模様で判断することは不可能だが、あくびをしながら通りすぎる者を多数見かけたので、明らかに夜、そんな気がする。
僕は今日中にリュミエールという王女の姿をもう一度見ることができるだろうか――そんなことを考え、思わずあくびが出る。勤務中だからといって言い訳する気は毛頭ない。眠いのだ。眠いからあくびが出る。
僕は主宰から命じられた任務を成し遂げるために、こうしてリュミエールの部屋の目の前にいるわけだが、純粋に彼女に黒インクを掛けてしまったことを謝罪したい――そういい理由もあった。まあ、罪悪感があったわけではなく、自分が彼女に嫌われたくないという自分勝手な理由だけれども。
そして僕は本日十回目のノックをする。それがリセットされないことを、自身の手が腱鞘炎にならないことを祈って。
「リュミエールさん、お食事を持ってきました。夕食です」
僕の声がコンクリートの床に響いてゆく。彼女からの返答はもちろんない。
しょうがない。もう一度ノックするか……。
「リュミエールさん、お食事を持ってきました。夕食です」
同じ文言を繰り返すただの単純作業。そう考えると、段々と楽しく楽な仕事だと思えてくる。なぜか……笑えてもくる。
「りゅ、リュミエールさんっ、お、お食事を持ってきました。ゆ、ゆっ夕食、くっ、です」
笑いをこらえながらノック。どうしてこんなに楽しいんだろう。そうか、どうやら僕は……疲れているようだ。
僕は今日のことを振り返ってみる。暗闇から覚醒したらこのような見知らぬ世界にいて、<黒髪>と出会って、『英雄』と勝手に決めつけられ、生きるため初めて人を殺め、そして王女を誘拐し――現在に至る。これら全て一日に起きたことなのだ。『激動の一日』そんな文言が適切すぎるくらい適切なそんな一日。
これから僕はどうなるんだろう、ふと思う。分からない。だけど、この世界で――生きたい、生き続けたい、そう思う。
「ついに頭でもイカれちゃった?」
ちょっとした感慨にふけっていた僕は疲れも相まってか、全く気づかなかったが……。
ドアが開いていた、ほんの少しだけ。その小さい隙間から小さき純白の顔が惜しみもなく彼女の高貴さを主張していた。そして可愛げな薄紅色の唇。彼女の後ろ髪――黒髪もまたひょこっと覗かせる。
――こんなに綺麗な女性だったんだ。僕は素直にそう思った。
「どうしたの?ぼーっとしちゃって」
「……いや、今日中にお会いできるとは、思ってなくて……」
「そうね。私もあなたとは今日中に顔を合わせられるとは思ってなかったわ」
「……どうして会う気になって、くれたんですか?」
「あなたの強情さを買ってやったのよ」
「ありがとうございます」頭を下げる僕。
「いや、嫌味のつもりだったんだけど……」
「じゃあ、すみません」もう一度頭を下げる僕。
「変な人ね、あなた」
「はい、変人です」
「……なかなか、肯定する人少ないと思うけど」
「よく言われるし、自覚をあるので。で、夕食、受け取って頂けますか?」
早口にまくし立てるように言う僕を不審に思ったのか、リュミエールは僕の足から頭へと視線を流すように移動させた。
「あなた、今焦ってるでしょ?」
「……まあ、焦ってますかね。眠いので、早く寝たいっていうか」
リュミエールは人差し指で僕の持っているアルミ製のトレイを指さす。
「あなたは私がそのトレイを受け取ったら寝床につけるってこと?」
「はい」と僕。
「じゃあ」とリュミエールは意地悪い笑みを浮かべ「そのトレイを受けとってあげるから、その代わりに質問に答えてくれない?」
「いいですよ」
「……即答だったけれど、大丈夫? 組織的な秘密を私が聞く可能性だってあるのよ」
……大丈夫。
「どうあがいても生理的欲求には逆らえないですから」
「そうだけど……。まあ、いいわ。で、質問さっそくするけど……どういう目的があって私を誘拐したの?」
僕はもちろん、「知りません」
「……あっそう。まあ、地位的に低そうなあなたは知らない情報よね。じゃあ、他の質問にしよう」リュミエールはしばらく黙考すると、「うーんと、……ここはどこ?」
「東京です」
「それは知ってます、聞きましたから馬車のなかで。あとここに来るまでに街の景色を見ましたから、ここが屋内都市だっていうことも知ってます」
そうか、ここ地下都市<東京>を屋内だと思っているのか。もしかしたら地下シェルターの存在すら知らないのかもしれない。
「だから、王都から離れてますか?王都からの移動時間から察するにそんなに離れていないと思うけど」
僕はもちろん(ちょっと嘘かもしれないけど)「知りません」と即答。
リュミエールの表情が一瞬にして曇る。
「ねえ、あなた答える気ないでしょ?」
「いや、僕も今日<黒髪>に入ったばかりなので……本当に知らないんです」
こう言えばリュミエールに対し<黒髪>にとって不利な情報を提供しなくて済む。というか、この言い訳は実際問題事実であり、咎められることはない。
「新人ってこと?」
「はい」
「でも……黒髪、よね?」
「いや黒髪なんですけど、昨日まではこの国にいなかったっていうか……そもそもこの世界にいなかったっていうか……」
「え……?」
「いや、まあ。色々あって……」
「あっそ。もういい。あなたに聞いた私が悪かった」
リュミエールはそう言ってドアを閉めようとする。
「あ、あの!夕食は?」
「いらない。捨てといて」言葉を捨てるように言うリュミエール。
僕はもうひとつの用件を思い出し、持っていたトレイをコンクリートの床に置き、ズボンのポケットをまさぐる。
「あ、あのっ!」
どんどん閉ざされてゆくドア。僕は思わずその隙間に手を入れる。もちろんドアと僕の手がサンドウイッチ。痛撃のサンドウイッチ。
「あ、大丈夫?」無礼を働いてしまった僕を親身に心配してくれるリュミエール。きっとこういう人が王に向いているのだろう。
「これ、渡したくて」
僕はポケットから一輪の百合の花を取り出す。リンの能力――花紅柳緑によって生み出された代物である。リュミエールに黒インクを掛けてしまったことを謝りたく、手ぶらでは良くないと思い、リンの協力を得て。
「その……あの時、黒インク掛けてしまってごめんなさい。あと、髪を黒髪にしてしまってすいません。……だけど、この流れで言うと、ただの言い訳じみた感じになってしまってすごく嫌なんだけど――」
我ながら、コミュニケーション能力の無さに辟易する。だが、これは伝えないといけない。いや――伝えたい。
「黒髪、似合ってると思う」
「私の質問の権利、まだ残ってる?私の質問に知らない以外で答えてくれたら……その百合の花、もらってあげても、いいけど」
「分かった。答える」
リュミエールは百合の花の花言葉のような――無垢な表情を見せ、言う。
「あなたのお名前は?」
「多分、ヘルト」
可愛らしく口を手で押さえて小さく笑うリュミエール。
「何よ、多分って」
そう言ってリュミエールは百合の花を受け取った。
「ヘルトって本当に――変な人」
人から変人と言われ、こんなに心地よかったのは――初めてだった。




