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第11話 普通に生きたい、ただそれだけ



 前王の長女リュミエールを誘拐するという任務を無事に終えた僕は<黒髪>によって用意された自らの部屋へと向かっていた。


 リンと名無しに案内され入った宿舎はいかにもなんというか――不清潔だった。


 まあ、この東京自体がすでに汚いといったら汚いのだけれども。


 だが部屋は意外に――気持ち悪いくらい小奇麗だった。


「ここが僕の部屋ですか……」


 僕は思わず言葉をこぼす。期待していなかった部屋だけにその感動は大きかった。


 柔らかそうなベッドと木製の比較的大きな渋い机、そして少しだけ古びてしまっているが趣のある鏡台。


 だが――その感動はすぐに現実によって打ち砕かれる。



「違う、違う。この部屋は――僕らの部屋だよ」



 微笑みながらそう言う名無し。


 恥ずかしそうに頷くリン。


 できれば、一人だけが良いなんてこれじゃあ――言えないじゃないか。


 僕らはこの<黒髪>によって助けられ、生かされている立場的に弱い存在であって――自分の利己的な部分は押さえるべきなのだ。


 ましてはリンと名無し。こことの人間関係は良好にしておかなければならない――まあ、名無しはどうでもいいが。


 だから名無しには少しくらい嫌味を言ってもいいだろう。


「男性とはできれば一緒の部屋にいたくはないですね」


「じゃあ、リンは大歓迎ってこと?」と嗜虐的な笑みを見せる名無し。


「もちろん、大歓迎です」と即答する僕。リンとは仲の良い関係でいたいものだ。



「貴様は私を襲う気かあああ!!」



 赤面しながら床に向かって大声を投げつけるリン。この部屋は最上階である三階にあるのだから、きっと下階には聞こえるはず……。


「え!?そこまで言ってないけど……」素っ頓狂な顔をしながらそう言う名無し。「もしかして……リンさん。それは逆説的に言って……かの『箱庭の美女』がこの『英雄』新人くんに襲って欲しいっていう……ことでよろしいでしょうか……?」


「そんなことは断じて言っていないっ!!それではまるで……ち、痴女ではないかっ!」

 にやっと先ほどの嗜虐的な笑みへと表情を一変させる名無し。


「言質頂きました〜〜っ」


「もううるさいっ!!」


 そう言って駆け足でこの場から逃げ去ってしまうリン。


 そのリンの後ろ姿を見送った名無しはまたしても表情を一転し――今度はその丸々とした顔から笑顔を消した。そして、その不可解な表情のまま僕を見る。


「さて邪魔者がいなくなったところで……本題に入ろうか、『英雄』新人くん」


 なるほど、リンをわざとこの場から立ち去るように仕向けるための会話だったのか……。まあ、たまたまかもしれないが。



「俺にはね、『英雄』新人くん。俺には壮大な野望がある!」



 部屋には少しの沈黙――別の言い方をすれば『すべった』――それと名無しの自信に満ち溢れた表情が虚しく残った。


 黙ったままの僕を見る名無し。


「俺の壮大な野望――興味があるだろう?」


「いや、ないです」僕は即答する。


「いや……そこは嘘でも……あるって言っとけよ。一応さ……俺、お前の先輩、なんだぞ」


「もしかして貴方って主宰に憧れてます?」


「ぐっほ」


 どうやら図星だったようだ。というかもうドストライク。


 名無しがもし精神的にタフで僕の失礼な発言に平常心で向かい打つことができたのなら気付くことはなかったっていうのに。


「リンと主宰には言わないで、くれ」名無しは上目遣いで僕を見て、「お願いっ」


 いや、気持ち悪い。ただただ怖い。


「分かってますって。……でもきっと主宰なら気付いている……じゃないんでしょうか」

「え……嘘っ!」名無しは思わず口を押さえる。


 どうも名無しの普段の姿は乙女チックらしい――これもまた、気持ち悪い。


 僕はこれ以上名無しのこのような姿を見たくはなかったので、一旦僕のせいで止まってしまった話を切り出す。


「多分ですけど。……で、本題に戻ってもらっても……」


「ああ!!聞いてくれるかっ!」


 ……精神的にタフなのか、タフじゃないのか、はっきりして欲しい。



「俺の壮大なる野望は――出世して美女とウハウハすること、だっ!!」



 なんというか……しょうもない。


「そうですか」僕はその平坦な言葉だけをこの部屋に残し、立ち去ろうとドアの方向へと歩を進める。「自分、用事があるんで――」


「えっ!?待って!待って!……待ってよおお」僕の体に金魚のフンのように縋りつく名無し。


「いや、時間ないんで」もちろん僕は振り払う。


「あ、あれだろ?リュミエール様のとこ行くんだろ?お世話しに……」


 僕は思わず足を止める――図星だったからだ。「はい。そうです」


「お前、可笑しいと思わねえのか?あんなお嬢様誘拐してきて」


「いい交渉材料になり得るから、じゃないんですか。王様の長女ですし……」


「お前には分からねえだろうが……この<黒髪>はいくら反政府組織だからって大それたことは今までしてこなかったんだよ!いつも襲撃のときには街を黒インクで染めるくらいで、憲兵のやつらが来たらこの東京の場所が特定されないように、散って退却。それを繰り返してきたんだ。逆に言うと、いくら<黒髪>のやつらが異能力を使えても、そのくらいの襲撃しかできなかったんだ。もしかしたら……主宰とかリンとか、お前とかの能力使えば王国軍にだって、勝てるかもしれない。だけど……今までそれをしてこなかった。何でか分かるか?」


「この国を滅亡に追いやっても、黒髪の者に対する迫害は終わらない」


「そう、その通りだ。それにこの国サーマッカー王国はまだ黒髪に対する迫害は甘いほうなんだ。この間だって隣国のビエトロ帝国のやつらが山中にこっそりと暮らしてた黒髪の人間たちを――虐殺。女子供構わず、女は殺す前に犯して犯して……そんな酷い国だったある。だからこそ、こんな暮らしだけどさ、俺ら<黒髪>たちはさ……満足してるんだよ。お前はちっぽけな幸せだってそう思うかもしんねえけど、俺らはさ……十分幸せなんだよ」


 名無しは下唇を噛みながら、床を見つめる。必死に後輩である僕の前では泣かないようにと踏ん張っているようだ。


「だから俺、怖えんだよっ!すげーさ。これからあの主宰が何しようとしてんのか……俺は……お、俺は――今のまま普通に、暮らしたい。ただそれだけだ」


「分かりました。主宰にそれとなく、聞いてみます。……いや、自分の場合それとなく聞けないと思うんですけど……」


 だってあの人には僕の考えていること筒抜けなんだから。


「……ありがとう。本当に」


 名無しはそう言って、微笑んだ。


 そして僕はふと思う、名無しの本名を聞いていなかったな、と。このまま心中で名無しと呼び続けるわけにはいかまい。


 ――先輩、なんだから。


「先輩、お名前伺っても、いいですか?」


「……え?ああ、言ってなかったっけ」


 先輩は少し照れくさそうに髪を掻きながら、



「俺の名前は――ヒコマロ、だ!」






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