第10話 リュミエールの溜め息と嘆きと
馬上から<黒髪>によって荒らされた痕跡と、遠くへと消えてしまったリュミエールの背中があるだろう空間を、近衛兵団団長ギュウドンはただ呆然と眺めていた。
もう取り消しのつかない自分の失態を嘆き、そして自分のしてしまった失敗を噛み締めて・
だがギュウドンはそれでも――前を向いていた。
彼は過ぎてしまった過去を見つめ返しながら、その過去を取り返すための未来を視ていた。
具体的には――<黒髪>の手からどうやってリュミエールを取り戻すか。
ギュウドンはまず<黒髪>がなぜ前王の娘であるリュミエールを誘拐したのかを考える。
その答えは薄っすらとギュウドンの脳内の眼前に浮かぶ。
――サーマッカー王国の一部の領土の分譲。そしてその地域の自治権の獲得。もしくははなから領土を得た後、独立を宣言するかもしれない。
きっと彼らの本来の目的には黒髪の人々に対する迫害の禁止であろうが――そんなこと<黒髪>自身が一番不可能だと理解していることだろう。
なぜなら――全世界の人間が、黒髪の人間を人だとは思っていないのだから。よっていくらサーマッカー王国が黒髪の人間に対する迫害を止めることができたって対して現状は変わることはないし、そもそも人間はそう容易く――差別など止めることができないのだから。
それにサーマッカー王国が黒髪の人間に対して迫害を禁止したとして、その後起きるのは――戦争だ。
黒の魔女の信者と謳われる黒髪の人間を匿ったという大義名分を糧にしてサーマッカー王国と他国との戦争が始まるだけ。いくらサーマッカー王国がビエトロ帝国の庇護国だとはいえ、戦争は始まる。
なぜなら、黒髪の迫害を暗黙の了解としてしている他国とは違い、国の政策として盛り込んでいるのが他でもない――ビエトロ帝国なのだから。
いくら従属しているとはいえ、見逃さないわけにはいかないのだ。
ビエトロ帝国はきっと最初のうちはサーマッカー王国への彼らの出来る限りの配慮として、王国に対し、国内の黒髪の人間の引き渡し、もしくは暗に殲滅を命令してくるに違いない。
それをもしサーマッカー王国が拒否したら――戦争。ビエトロ帝国にとどまらず美味しい蜜を吸いたい周辺国がこぞってサーマッカー王国に侵攻。侵攻されたサーマッカー王国は首都陥落目前に降伏――最悪の場合、王国滅亡だ。
「団長」
とギュウドンが決して明るくはない仮想の祖国の現実を黙考している最中、近衛兵団副団長ナーバスがそう話しかける。
近衛兵団副団長――ナーバス。
彼はほとんどのものが前王の葬儀の準備に参加することに異様な執着を見せるなか、ただ本日だけの有給を取り、ここサクラティメントにて買い物をしていたという――変人だ。
偶然にもサクラティメントにてショッピングを楽しんでいたナーバスは逃げ惑う国民のなか、颯爽と馬蹄を均等に鳴らすギュウドンを見かけ、手に持っていた買い物カゴを一度信用できる商人に預け、ギュウドンのもとへと合流し――現在に至る。
このような変人であるナーバスは最初憲兵団に属し、優秀な事務官として活躍していたのだが、同僚、後輩、そして上司とのコミュニケーションが上手くいくはずもなく、現在ではほとんど王国軍のお飾り(国民からすれば税金泥棒)である近衛兵団に移動させられてしまった、という彼らしい異色な経歴を持っている。
そんな左遷されてしまったという過去を持ち、普通ならば仕事にやり甲斐を感じないまま、無気力に仕事と接する――というのが典型的なパターンかもしれないが――ナーバスは違った。
ほとんどお飾り化してしまった近衛兵団が欲する雑事全てを迅速かつ丁寧にこなし、むしろ憲兵団に所属していた頃よりも優秀だと評価され近衛兵団副団長へと上り詰めたほどである。
彼をここまで動かしているのは自分を左遷した憲兵団への復讐心なのか、それとも他のなにかなのかは分からないが文句や悪口を決して口にせず、黙々と仕事をこなすナーバスのことをギュウドンは気に入り、そして重用している。
だから自身が黙考中にも関わらず何の断りもなく話しかけてきた部下――ナーバスに対し、感情的になりやすいギュウドンは冷静のまま、
「どうした、ナーバス」
と近衛兵団団長らしい振る舞いをすることができるのだ。
「こちらへ」
とナーバスは後ろにいたいかにも商人らしい背の低い小太りの中年の男をギュウドンの目の前へと移動するよう手引する。
<ツキノワグマ>と恐れられるギュウドンの自らを見る視線が怖いのか、その場で平伏してしまう中年の男。
そして声を震わせながら話始める。
「み、見たのでございます。<黒髪>を」
「――見た?」
「は、はい、そうでございます。大勢の<黒髪>の奴らが地を突き破って出てくるところを!」
――地を突き破って、出てきた?
「失礼ながら、団長」とナーバス。「この者が言いたいのは、マンホールのことだと……」
――マンホール、か。
「下がってよい」
「……は、はいっ」
そう言ってギュウドンから逃げるように立ち去っていく中年の男。
そしてギュウドンとナーバスは顔を見合わす
「ナーバス、大手柄だ」頬が思わず緩むギュウドン。
「私も、まさか……とは思いましたが、どうして奴らが短期間で王都へ襲撃することができ、早々に退却することができるのか――奴らの持つ異能力のせいで目が眩んでいましたが、こんなに簡単なことだったのは夢にも思いませんでした……」
そう考えこむように言うナーバス。
「そうだ、誰も考えるはずもなかろうの巣がサクラティメントの地下だなんて、な」
「団長、小賢しいことを言ってもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
ナーバスは誰にも聞こえないよう馬上にいるギュウドンの耳へと背伸びして耳打ちする。
「このことは憲兵団には言わないほうが、いいかと」
ギュウドンは無言で頷いた。
■■■
<黒髪>によって充てがわれた小奇麗な部屋にてリュミエールは誰にも聞こえないようそっと溜め息を吐いた。
この小奇麗な部屋には、ベットとちょっとした木製のテーブル、クローゼット、そして古びた鏡台しかなかった。
だがリュミエールはこんな貧相な部屋でも<黒髪>たちにとって最大級のもてなしをしているのだろうと推測していた。
根拠はここに来るまでの<黒髪>の巣――東京の貧相な街並み。
王都サクラティメントに比べ、清潔感は無いし、きちんと整備された道などはなく、東京に立ち並ぶ店々は凸凹しており、尚且つ密集していた。
よって先ほど吐いた溜め息はこの部屋の不便さを嘆いたのではない。
鏡に写る自らの黒髪の姿だ。
試しにリュミエールは髪の先端を水で濡らしてみたが、一向にこびり付いてしまった黒インクは取れない。
ふとリュミエールの脳裏に浮かぶ――あの青年の顔。彼女に黒インクをぶっかけた張本人。
そしてまた本日何度目かの溜め息。
きっと――イヨに怒られる。
――リュミエールお嬢様、溜め息を吐かれると幸せが逃げてしまいますよ、と。
イヨは大丈夫だろうか、重い処罰を受けないで済むだろうか――みんな心配しているだろうか。
心配したギュウドンの顔が浮かぶ。
しっかりしなくちゃ――リュミエールは落ち込んでしまった気持ちを吹き飛ばすため自身の頬を両手で強く叩いた。
――少しずつ全体から黒インクを水洗いしていけば、落ちるはず。
リュミエールは希望を求め、コートのフードを下ろし、もう一度鏡に写る自分を見つめなおす。
「……あれ?」
どうしてフードをしていたのに――全体が黒色に染まっているんだろう。
ギュウドン、個人的に好きなキャラクターです (笑)




