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エストリアの知らないこと  作者: 畑 勝次
1/2

その1

バタンッ!!

突然、大きな二枚扉が左右に大きく引き開けられ大きな音を響かせる。その開け放たれた扉を一人の少女が足早に駆け込んで来る。

長い金髪を振り乱しながら足早に入って来る姿、光を通してしまいそうな白い肌、あどけなさの残る可愛らしい顔、そしてその青い瞳には強い意志を内に秘めた光が感じられる。

普通に町中で歩いていたならば、どこか良い所のお嬢様と見間違える程の容姿をしている。

「ただいま、マーサさん。お父様はどちらに?」

マーサと呼ばれた女中がすぐに答える。

「お父上様は二階の自室におられます。」

そして、次の瞬間その家の中に大きく澄んだ声が響き渡る。

「お父様、私は家を出ます。」

突然の事に中にいたマーサは驚き、持っていた花瓶を落としそうになる。

「お嬢様、何を仰っているのですか、それに室内でそんな大声を上げてはしたないですよ。」

驚いたマーサは少女をたしなめる様に少し抑えた声で言うが、女中の声を意に介していない様にもう一度、大きな声を上げる。

「お父様、いらっしゃるのでしょ。」

スカートの裾をひるがえしながら進み、父親がいる二階の部屋へ向かおうとする。

「それは淑女が行うことではございません。」

マーサは言うなり、少女が勢いで父親の部屋へ向かうのを止めようと彼女の腰ベルトへ手を掛ける。しかし、女中をそのまま引きずりそうな勢いで二階へ上がろうとする。

「ダメです、お嬢様。」

マーサとのやりとりに少女が手間取っていると、少し間を空けて階段から寝巻きを着込み、頭には寝癖、無精髭を生やした男性が一人、降りて来る。

「休みだというのにいったいどうしたのです。騒々しいですね。」

その声は別に先程の大声に驚いた風ではなく、非常に落ち着いている。

少女は寝巻き姿の男性を見るなり少女はうなだれ、呆れた様に言い放つ。

「お父様、今何時だと思っているのです?もう、お昼になるというのに!!そんなだから、神殿でも変わり者と言われてしまうのです。」

愛娘の辛辣な言葉を父親は微笑ましく聞いている。

「って、そんな話をする為にお父様を呼んだのではありません。」

そんな愛娘の言葉が終わり、少し間を開けた後、微笑みながら父親が言う。

「眉間に皺が寄って可愛らしい顔が台無しですよ。」

父親に言われ、自分が酷い顔していることに気付き自分の顔に手を当て少し顔を赤らめる。

しかし、すぐにはぐらかされていることに気付く。

「そんなことより私は家を出たいのです。」

愛娘の言葉に父親は微笑むのを止め、真面目な顔になる。

少女は急に切り替わった父親の真剣な態度に少したじろぐ。

少し間を空けて、たじろいでいる愛娘に父親は助け船を出す。

「詳しい話はお昼の席でしましょう。それでよろしいですね。」

「は、はい」

少女は何かに弾かれたかの様に返事をする。

「マーサ、済まないが昼食の用意を頼みます。」

「かしこまりました。」

マーサはすぐに奥の調理場へと入っていく。

「エストリア、お前も手を洗ってきなさい。」

父親の顔は微笑みを浮かべた優しい顔に戻っていた。


ああ、私はまたお父様の表情に呑まれてしまった。

奥にある水瓶で手と顔を洗いながらそんなことを考える。

それにしてもお父様のあの切り替えの速さは苦手だ。あの真剣な瞳で見られると、まるで自分の考えを見透かされている様な気がする。12歳の私でさえこんなことを考えてしまうのだから、大人の人達はもっとそれを強く感じているのではないかと思う。いつもの行動も少し変わっているが、そういった面があるからこそ、異端や奇異の目でお父様は見られているのではないかと最近は考える。

「はあぁ」

ふと、ため息をつく。そんなお父様に私は家を出る承諾を得なければならないのだ。

「はあぁ」

また、ため息をついてしまう。

水瓶の傍に掛けてあるタオルを取り、顔を拭きながら気合いを入れる。

「それでも私は家を出たいのだ。」


家を出る事を言い出した理由はちょっとした出来事からであった。

魔術師が行っている学び屋の午前中の授業に男の子が遅刻をしてきたのだ。

私はその理由を聞き出そうすると男の子は悪びれもせずに言った。

「疲れて寝坊したんだ。悪かったな。」

謝ってきた男の子に私は言い返す。

「ちゃんと規律正しい生活をすれば、そんな事にはならないわ。もっとちゃんとしなさい。」

男の子はムッとした表情をして嫌味を言い放つ。

「お前みたいなお嬢様はいいよな、世間知らずのままでも生きて行けて。」

その言葉に私は怒り、狼狽し言い返す事が出来なくなってしまった。どうして言い返せなかったのかが分からない。だが、その事がひどく気になったのだ。分かっているのは男の子がテオという名前で、私と同じ年齢なのに一人暮らしをしている事くらいだ。私とテオの違いは一人暮らしをしているかどうかくらいだ。それなら私も家を出て、一人で暮らしてみればその理由が分かるのではないかと思った。


食事場には調理場も併設されており、質素な木製の食卓と数脚の椅子がある。食卓の上部中央には大きめの木製皿に丸いパンが数個まとめて置いてある。父とエストリアがいつも使用している椅子の前には深底の木製皿に野菜多めのスープが入っており、おいしそうな香り漂わせている。その皿の前にはやはり木製のスプーンとフォークが準備してある。

エストリアが食事場に来た時には父親がすでに席に座っていた。髭は剃っておらず、無精髭のままだが服は着替えて落ち着いた姿になり、いつもと違い真面目な顔をしている。エストリアが入ってくるといつも食事を一緒に取っているマーサは父親に耳打ちをしてから外へ出ていく。家族の話をする事を理解し、自ら席を外す事にした様だ。

エストリアは席に着くと父親がいつもの様にお祈りをし、食事を始める。マーサのスープはいつもおいしく、スープに固いパンをつけるとちょうど良い硬さになって食べやすい。

スープが半分位になった時に父親が口を開いた。

「それでは家を出たい理由を教えてもらえますか。」


エストリアは午前中に起こった出来事を父親へ話した。

私はテオという男の子と喧嘩した事、また世間知らずと馬鹿にされた事に怒りを覚え、何も言い返せなくなった事を伝える。

そして、エストリアは自分の思いを父親にぶつける。

「その為にまず家を出る事の許可を頂きたいのです。」

「ダメです。」

すぐにエストリアは言い返す。

「確かに私は他の街に出たこともないですし、世間知らずだという事も分かっています。

しかし、だからこそ見聞を広めていきたいと思うのです。それのどこがいけないの。」

「そこまで自分が世間知らずだと分かっているのに、どうして家を出よう等と考えるのですか。」

「がんばろうとしている私のどこに文句があるの。」

「落ち着きなさい。」

そして、話に関係のない父親に対する不満をぶつけてしまう。

「いつものらりくらりと生きているお父様に言われたくない。」

父は優しく、そして少し悲しい顔をして話し始める。

「人は自分について理解している事でも、他人からは言われたくない事を沢山持っています。私にだってあります。そして、貴方は今回、他人から世間知らずと言われる事だと分からなかった。それが分かった事で勉強になったとテオ君という男の子に感謝をするべきでしょう。」

エストリアは何かを言い返そうとするが言葉が出てこない。今、言ってしまった自分の言葉と、午前中彼に言い返せなかった事がひどく嫌な気分にさせる。そして、テオに言い返せなかった理由を教えてくれた優しい父親に対してさえ、怒りを覚えている自分を嫌いになりそうだ。

父親はそしてまた話を続ける。

「もっといろいろな事を知ってからでも遅くはないでしょう。今から勉強し、最初に言った思いを一人前になる15歳になっても持っていたならば、私が責任を持って別の町の神殿に紹介文を出してあげましょう。本当の一人暮らしです。それでよいですね。」

エストリアはもう返す言葉がなかった。そして、小さく頷く。

「はい、お父様、ごめんなさい。」

すると父は微笑みを浮かべた優しいいつもの顔に戻る。

「では、食事を終えた後、何をするかはわかるね。」

エストリアは、はにかみながら言う。

「はい」

「では、食事の続きをしましょう。」

その後のスープは冷めているはずなのに少し温かく感じた。


エストリアは午後の授業を受けに魔術師の学び屋へ向かう。

学び屋は町より少し外れた西側の丘の上にあり、はるか昔に崩れた古い神殿を基礎にして作られてはいる。神殿であったと思われる場所の周囲には大きな瓦礫が散らばっており、その場所は子供達にとって格好の遊び場となっている。その中央にそれほど大きさではないが建物がある。その建物は以前からあった古い石畳を基礎にして作られており、石材の瓦礫と木材の継ぎ接ぎになっている。規模が小さければ子供たちが作った秘密基地の様にも見えるが、20人位の子供が入れる広間とそれと同じ位の大きさの母屋がある。魔術師が住んでいる為、素材の不規則さも相まって、ちょっとした妖しさを醸し出している。

学び屋へ着くとエストリアは午前中に喧嘩をしたテオを探す。まだ来ていないのか周囲を探しても見当たらない。周囲の学友に聞いても首を横に振るだけであった。早く謝りたいと思うのにテオがいない事に少しイラついてしまう。

その後、魔術師が授業を始めても彼が来る事はなかった。確かにテオは時々休んだり、来ない事があったが、今日に限って午後だけ来ないのは彼女をさらにイラつかせた。

自分が謝ろうとしているのに無視していったい何をしているのかが気になる。考えるとテオについて何も知らない事に思い当たるのであった。


授業を終えた後、魔術師に向かって聞いてみる。

魔術師は女性でエストリアの父親と同じ位の年齢で瞳は蒼く、金色の髪をポニーテールでまとめ、少し汚れたフード付きのローブをゆったりと羽織っており、授業中には持っていなかった樫の木で作られた大きめの杖を持っている。

「先生、テオは午後の授業を休んでどこへ行ったのでしょう。お分かりになりますか。」

「教えるのは良いけど、どうかしたの。」

先生はテオの居場所を知っているらしく、少し考えながらいつも言葉尻を気にせず、ぶっきらぼうに聞き返す。大きな町では不遜とも取られかねない対応をする為、町で位の高い人間からは少々厄介がられている様だと父親から聞いた事がある。しかし、彼女の魔力は強大で町を守る為に何度も協力をしてくれている為、街は彼女をむげにはできないらしいのだ。反対に学び屋を開いてくれたり、居酒屋等で面白い話をしたりと一般の人からは適度な信頼を得ている。

エストリアは事の詳細を先生に伝え、テオに謝罪をしたい旨を伝える。

「まあ、それなら教えても良いけど、彼は私の依頼でこの先の森に薬草を取りにいっているから、ここで待っていれば嫌でも帰って来るよ。これから森に入るのは危険だから、ここで待ってな。」

「でも、私はすぐに謝りたいのです。」

エストリアの真剣な姿を見て、頭を掻きながら先生は考える。テオの行った場所は西の森の外れだし、エストリアを課外授業で連れて行った事もある。今から向かっても大丈夫だろうと考え答える。

「まあ、いいか。」

そして、エストリアに一本のダガーを渡す。一見すると普通のダガーだが、随所に綺麗な意匠が凝らしてある。

「念の為、これを持って行きな。あんたを守ってくれる大事な物さ。絶対なくすんじゃないよ。」

「ありがとうございます。」

エストリアは先生に抱きついて喜ぶ。そして、すぐにテオを探しに行くのだった。


魔術師はエストリアが森へ向かい走って行くのを見ながら口元を少し動かし、不思議な言葉を発する。少し経つと大きな梟が魔術師の傍に飛んで来る。魔術師はその梟に喋りかける。

「あそこを歩いている彼女から見つからない様に見張りな。あと、いざという時は身を呈して守りな。」

すると梟は言葉を理解したかの様に羽ばたき、エストリアのいる上空へ飛んでいく。

そんな姿の魔術師を不思議そうに見ている少年に向かって話をする。

「ちょっとお使いを頼んでも良いかい?デリアム神官の家に行って、彼にエストリアの件でここへ来てもらいたいと私が言っていたと伝えて欲しい。」

そして、腰ひもに括ってある小袋から一枚の銀貨を差し出す。

「分かりました。」

少年は喜んで銀貨を受け取り、町の方へ走って行く。

魔術師は学び屋の中にある自室に戻り古いが高級そうな揺り椅子に座り、魔術師がまばたきをする。すると魔術師の視界が梟のそれに切り替わり、上空からエストリアを見下ろせる様になる。

「よし、問題なし。」

そして、魔術師は楽しそうに彼女の姿を眺めるのであった。


エストリアは息を切らしながら急ぐが、西の森の入口が見えた頃には日が落ち始めている。森の影が長く伸びて来ており、先生と一緒に入った事のある森だというのにこれから入るそれはひどく大きく、今にも覆いかぶさり襲って来きそうな感じがする。

気を引き締めて、森の中へ入って行く。先生に以前教わった道を進む。そこは狩人や薬師、冒険者等が往来する為、土が踏み固められており草はほぼ生えていない。しかし、各々が道すがら別れて進むので、多少の分かれ道が出来ている。気がつくとエストリアは覚えていた道と違う道を、いや道に見えていた所を歩いている事に気づく。

エストリアは思う。

「迷った。」


随分と暗くなってしまい、しばらく歩き廻って何とか道らしい道に戻る事が出来たが、少し先の曲がり角で、がさごそという音と何かがいる気配がする。周囲には松明を激しく燃やした様な匂いと虫の嫌な羽音ばかりひどく聞こえる。松明の匂いからテオかも知れないと思い、恐怖と興味に駆られながらそちらへ進むと大きな黒い巨体を確認し、悲鳴を上げそうになる。それは大きな熊であった。熊はこちらに気づいていない様だが何か、にちゃにちゃと食べているのが見える。暗くて色は分からないが口の周りはひどくべたついており、地面には人の頭位の丸い塊が落ちている。

エストリアはテオが襲われたのではと考えてしまうと恐怖に駆られた。それを見て力が抜けてしまい、軽い段差につまづいてしまう。

その音に気付き、熊がゆっくりエストリアの方を見て近づいてくる。

「ひっ!!」

悲鳴にならない悲鳴を上げ、ゆっくり後ずさりをしながら、さっき先生から借りたダガーを手で探ろうとする。

「目は合わせておけよ。」

聞き覚えのある大きな声が聞こえ、熊の背後の暗い森から明るい炎が浮かび上がり、すぐに松明を持った人間が走って来る。素早くエストリアと熊の間に入り込み、松明で熊を威嚇し、引き付ける。松明の明かりに照らされた姿は探していたテオであった。テオは素早くベルトポーチから薬草を取り出すとそれを持っている松明の炎にいれる。すぐに目が痛くなるような異臭がし、熊が怯む。

「さあ、今の内にゆっくり離れるぞ。」

エストリアは何が起こったのかよく分らぬまま頷く。

少し落ち着いたエストリアはテオの松明に照らされた熊の傍に転がっていた塊は蜂の巣であった事に気づき安心をした。

熊もそれ以上は追ってくることはなく、無事森から出る事が出来そうだ。

ひと段落するとテオは一呼吸置いて、大声を上げる。

「このバカ、こんな時間の森に何で入ってくるんだ。森の中が危ない事も教えられなかったのか。これだから世間知らずは」

すると、怒られた事に驚きながらエストリアは踵返しで言う。

「貴方が午後の授業に来ないからこんな所まで来る破目になったんじゃない。それに何で先生の依頼でこんな場所に来てるのよ。」

テオは自信を持ってエストリアに語る。

「俺は薬師だからな。山に入る時はここらに出る怪物共への対策位は持っている。」

エストリアは先程の恐怖を思い出してしまったのか、声が小さくなる。

「あなたに午前中の事を謝ろうと思って来たのに、貴方に言われた通りになっちゃったわね。さっきはありがとう。」

瞳には溢れそうな程、涙を浮かべていた。

そんなエストリアを見て、テオは何も言えなる。

静けさを取り戻した森に虫の羽音や梟の鳴き声が響く。


しばらく二人で何も話せずに歩いていたが、静けさに耐えられなくなったエストリアがテオに聞く。

「貴方はどうしてそんなにいろいろ知っているの。」

テオは少し考えてから自分に起こったこれまでの経緯を話す。

彼が8歳になった頃、その悲劇は起こった。母親が難病にかかってしまったのだ。難病を治す為の薬草は希少価値が高く市場で見つける事ができなかった。父親が神殿に行き、相談しようとしたが病気の治癒を行える神官は別の町に呼び出されており不在だった。そして、母を助ける為、薬草を探しに山へ入った父親も帰って来る事が出来なかった。彼はただ弱って行く母親の看病をする事しか出来なかった。しかし、数日後にとある魔術師が現れ、死ぬ間際に会ったと言う父親から託された薬草を届けに来てくれた。煎じて飲ませた時には母親はすでに衰弱が酷く病気の治癒には至らなかった。

そして、母親は彼の事を言って息を引き取った。

「テオ、貴方もお父さんの様に強く、優しい人になってくださいね。」

だから彼は両親の事を尊敬している。何より母が病気の時に自分の無力さを知ったから薬師になったのだ。

エストリアには言わないが、もしかするとこれは後付けなのかもしれないと自分では思っている。生きる為に必要だった知識で残っていた物は親に教えてもらった薬師の知識だけだったからだ。私は生きる為にそれしか選べなかったのではと考えたりもする。

彼はその後、薬学の研究をする為に魔術師へ弟子にしてくれる様にお願いしたが断られた。しかし、別の町から戻ってきた神官である君の父親が事のあらましを聞いて、いろいろ手を尽くしてくれたんだ。それで、魔術師を引き止めてくれた。

彼を弟子にする事と学び屋を行う事を含めて、頼み込んでくれたらしい。

だから神官と魔術師のおかげで、今に至っている事を淡々と、しかし少し悲しそうに話す。

「あの時、神官様が居てくれたら、両親は死なずに済んだかもしれない。そう思うと現在、父親とでも一緒に暮らしている君にイラついたのかも知れない。」

テオの話を聞きた時、エストリアは思い出した事が一つあった。同じ位の少年が両親を失い葬儀の際に何も言わずに静かに佇んでいる姿に魅入られた事があった。


森を抜けるとエストリアは張り詰めていた気が抜けたのか、テオの話を聞いて後悔したのか、または両方であったのかは分からないが腰が抜けてしまう。

テオはしかたないとエストリアを背負い袋の上からさらに背負って進んでいく。

森を出て少し進むと、さっきの薬草のひどい匂いから鼻が落ち着いてきたのか、ふと甘いにおいが漂ってくる。その香りを心地よく嗅いでいると、次にじんわりと胸元が濡れている事に気づく。

「背負い袋の中って何が入ってるの」

エストリアが聞くと、少年は答える

「まあ、いろんな道具と魔術師に頼まれた薬草、あと・・・・」

テオはひどく焦った顔に変わり、エストリアを放り出す。

「まずい、蜂の巣が」

すぐに背負い袋を確認する。

「やっちまった。」

彼女をおぶった事により、蜂の巣を入れておいた袋の一部に穴が開き、中からはちみつが出て、背負い袋から染み出してしまっている。

彼女は尻もちをつき、着地の為に両手を広げて体を支える。

「痛!!」

テオはすぐにエストリアを放り出してしまった事に気づき声をかけ、手を伸ばす。

「ごめん、大丈夫か。」

「ごめんじゃないわよ。」

エストリアは手を取り、引っ張ってもらおうとするとその手がひどく固まっている事に気がつく。続いて、見えたのはテオのトマトの様に真っ赤な顔だった。

嫌な気がするのを抑えつつ、ゆっくり自分の体を見てみると、先程じんわり濡れた胸元からお腹にかけて服が透けているのが分かる。

エストリアはごくりと生唾を飲み込み、苦虫をすりつぶした様な顔をテオに向け、発したくない声を発する。

「見た。」

テオはやはりごくりと生唾を飲み込み、少し考え、あきらめ、殴られる位の事は覚悟をし、歯を食いしばり、目をつぶる。

「見ました。」

エストリアは素早く手を振りほどき、両の腕で自分の胸の部分を隠す。やはり顔を真っ赤にさせてひどく恥かしがる。何かが喉で詰まっている様に何も発することが出来ない。

しばらく、草原で虫の鳴く声だけが響く。

テオはいつ来るかわからない衝撃がいつまで経っても来ない事に気づき、目を少し開けてみる。

そこには、テオには何とも言えないエストリアの上目づかいでテオを見る恥じらい姿があった。それはすごく可愛らしく、美しく感じた。だが、男としてずっと見ている訳にも行かず、羽織っている布の外套を後ろから掛けてあげる。

すると、エストリアは少し落ち着いたのか、それでも赤い顔で言う。

「こっち見るな。バカ。でも、ありがと」

そして、頬を膨らませて伝える。

「あと、この事を他の人に言ったら殴るから」

テオはそんな事を言う訳がないと思いつつも、ハチミツまみれの彼女を思い返してしまう。

「言う訳ないだろ。そんな事をしたら俺が悪者になってしまう。」

外套を被ったエストリアにテオは言う。

「それだけ、話せるならもう歩けるだろ。もういい加減、重くて疲れてたんだ。」

テオはちょっとした冗談のつもりだったが、その返事はエストリアの拳であった。


学び屋兼魔術師の家に戻ると、とても楽しそうな魔術師と心配そうな顔をしたエストリアの父親が待っていた。父親は二人の姿が見えた事に安堵し、ゆっくり歩いてくる。

「大丈夫かい、心配したよ。」

父親がエストリアとテオに言い、二人を抱擁する。

抱かれたエストリアは安堵と喜びに満ちた表情はするがテオは二人に見られまいと顔をそむけ、少し寂しそうな顔をする。

テオの思いを知ってか知らずか、楽しそうな表情をした魔術師が少し離れた所から割って入り、話しかける。

「首尾はどうだったかい。」

テオは抱擁から逃れ、魔術師の方へ走って行く。

「問題ありません。」

テオはハチミツまみれになった背負い袋から膨らみのある小さな袋を取り出し、数種の薬草を見せ、袋ごと渡す。

「いやあ、君が弟子になってくれて本当に助かるよ。君が来るようになってから私はとても楽しいんだ。」

すると、言うが早いかバサバサと音がして梟が魔術師の肩にゆっくりと止まる。魔術師はローブの下の腰ひもに括りつけてある先程とは別の袋から燻製の肉を取り出し梟に与える。梟は美味しそうにその肉を啄ばむ。

そして、魔術師がテオの耳元で囁く。

「まさか、女の子にハチミツを塗りたくる趣味を持っているとは思わなかったよ。変態だね。君は」

テオは顔を真っ赤にさせた。


エストリアは父親の長い抱擁の後、魔術師に借りていたダガーを返す為に歩いて行くとテオがひどくあわてた顔をしているのが見える。

「ありがとうございます。せっかくお借りしたのに、自分の身も守れませんでした。」

魔術師に借りたダガーを返す。

「いや、君は使うべきではない。むしろ料理や洗濯、そういったものの仕方を覚えるべきだと思うよ。でも、無事で良かった。」

魔術師は暗に町の外に出られる程の器があるとは思えない事を述べたつもりだったが、今のエストリアには意味が分からなかった。

次にエストリアはテオに微笑み、恥ずかしそうに言う。

「この外套は後で私が洗って返すから、それじゃあまた明日。」

「お父様、帰りましょう。」

と言って、父親の手を引いて帰ろうとする。

「じゃあまた明日」

テオがすぐに微笑み返す。

その二人の姿を見て、父親は少し心配になる。

「いったい何があったのか説明してくれるかな。」

エストリアは微笑みながら父親へ話す。

「今日の事はちゃんと整理してから話したいので、今度話します。」

「あと、」

「明日からがんばる。」

彼女はそして大きく笑った。

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