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純真無垢神話大系

作者: ホオジロ

 夏になりました。

 辺りにはライ麦畑が広がっています。

 ライ麦は柔らかな黄金の色をしています。

 空は高く青く、レースのようにうっすらと雲がかかっています。

 レース越しの太陽が、ライ麦畑を穏やかに見守っています。


 風が吹きました。

 まっすぐに伸びたライ麦の穂がさらさらと揺れて、誰か来たよ、と囁きました。

 ライ麦畑の中を、ひとりの少女が歩いています。

 首からしたは、ライ麦に隠れているので見えません。

 少女の髪は、ライ麦と同じ色をしています。

 少女は黒いお椀のようなものを背負っています。

 お椀はとても大きいので、うしろから見ると少女の姿はすっぽりと隠れてしまいます。

 お椀の中には、いくつかの荷物が入っています。

 黒い色のパンと、木の皿と、磁器の水差しと、麻の布と、砂色のワンピースと、黒いコート。

 それに、土笛と竪琴と、ふしぎな模様が描かれた石板です。


 土の匂いがしてきました。

 少女はくすり、と笑いました。

 向こうに村が見えてきたのです。

「ありがと」

 少女は、ライ麦の穂を撫でました。

 ライ麦の穂は、どういたしまして、と囁きました。


 ライ麦畑を抜けます。

 少女はお椀の中のものと同じ、砂色のワンピースを着ています。

 履いているのは、艶やかな革の靴です。

 そして、首からナイフをぶらさげています。

 小指の長さほどもない、小さな小さなナイフです。

 少女は手を振ってライ麦畑とお別れしたあと、村に向かいました。


 村の広場で、少女は荷物をおろしました。

 大きなお椀をひっくり返し、その上に座ります。

 足もとに、木の皿が置いてあります。

 少女は土笛を吹き始めました。


 子供たちが集まってきます。

 大人たちも集まってきます。

 少女が奏でる土笛の音色は、お母さんがうたう子守歌のように優しいものでした。


 少女の奏でる曲が終わると、拍手がおきました。

 少女は立ち上がり、両手でスカートのすそを持ちます。

 そして、左脚を少しさげ、膝を軽く曲げ、笑顔を見せました。

 それは、旅人の挨拶でした。


 少女は竪琴を持ちました。

 少女の白い指が弦を弾きます。

 少女はうたいます。

 それは、この世界ができるまでの歌でした。


 少女は、たくさんの歌をうたいました。

 この世界が生まれた歌、人間が生まれた歌、神さまが生まれた歌。


 この世界では、今までにいろんなことがありました。

 神さまが、人間をほろぼそうとしたことがありました。

 人間が、神さまをほろぼそうとしたこともありました。

 この世界は、その様子をじっと見つめていました。


 少女の歌は、この世界が生まれてからずっと、たえることなく今に続いている、ひとつの物語でした。

 それは、長い長い物語です。


 どれくらい経ったでしょうか。

 全てをうたいおえたとき、少女の周りは喜びの音に包まれました。

 足もとに置いてあった木の皿に、次々とコインが投げ入れられます。

 暖かい音がして、少女は満面の笑顔なのでした。


 村の人たちとひとときお話ししたあと、少女は荷物をまとめ始めました。

 すると、それを見ていた栗色の髪の少女が言いました。

「お姉ちゃん、もう帰っちゃうの、ですか?」

 少女は、にこりと笑って言いました。

「いいえ、今日はここに泊まるもの」

 栗色の髪の少女の顔が、ぱっと明るくなりました。

「明日もお歌、うたってくれますか?」

 少女はまた、にこりと笑うのでした。


 水が流れる匂いがしました。

 少女は言いました。

「川に連れていって欲しいの」

 栗色の髪の少女は、少女を河原に連れていきました。

 少女は、ふしぎな模様が描かれた石板を取り出して、足もとに置きました。

 そして、抱えて持ってきた三つの石を、石板を囲うように置きました。

 石の上に、大きなお椀を置きます。

 少女は革の靴を脱いで、磁器の水差しを持って川に入りました。

 少女は水差しに水を汲み、お椀に注ぎました。

 水がお椀の半分くらいになるまで、汲んで、注いでを繰り返しました。

 栗色の髪の少女は、興味津々でその様子を見ています。


 少女はナイフを右手に持って、左手の小指を少しだけきりました。

 真っ赤な血があふれました。

 そして、石板の上に落としました。

「わっ!」

 栗色の髪の少女が、驚いて声をあげました。

 石板の上に、燃え盛る炎が現れたのです。

 栗色の髪の少女は、琥珀色の炎を見つめています。

 その瞳は、炎に負けないくらい、きらきらと輝いています。


 少女は、着ていた砂色のワンピースを脱いで、お椀の中に入りました。

 大きく息を吐き、満ち足りた表情の少女なのでした。


 栗色の髪の少女が言いました。

「ふしぎ!」

 すると、少女はお椀の縁に腕を置いて、その上に顎を乗せて言いました。

「魔法、知らないの?」

 栗色の髪の少女は首を傾げました。

 どうやら魔法を知らないようです。


 少女はお椀から出て、麻の布で髪と体を拭きました。

 そして、新しいワンピースを着て、革の靴を履きました。

 魔法の火は、小さくなって、やがて消えてしまいました。

 少女は、古いワンピースと麻の布をお椀のお湯に浸け、ごしごしと洗いました。

 そのあと、ぎゅっと絞って水をきり、草の上に広げました。


 少女は、座って黒い色のパンを食べながら言いました。

「魔法見るの、初めてだった?」

 隣に座っている、栗色の髪の少女が言いました。

「今日が初めて、です」

 少女が言いました。

「あの火が初めて?」

 すると栗色の髪の少女は、ふるふると首を横に振って言いました。

「お姉ちゃんの歌」


 太陽が真っ赤になりました。

 少女は、黒いコートのポケットからなにかを取り出しました。

 それは、藤の花の髪飾りでした。

 それを見た栗色の髪の少女が言いました。

「きれい」

 少女は、栗色の髪の少女にそれをつけてあげました。

「あげる」

 すると、栗色の髪の少女は驚いて言いました。

「いいの?」

 少女はにこり、と笑いました。

 栗色の髪の少女もにこり、と笑うのでした。


 明日は、この世界が祝福する歌をうたいましょう。

 それは、この世界が人間を祝福する歌です。

 そして、この世界が神さまを祝福する歌です。

 とてもとても短い歌です。

 それでも、ずっとずっとうたい続けましょう。


 この世界の祝福がおわるその日まで。


 完

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一文一文が短かったので、読みやすかったです! [一言] 優しい文章ですね。(^_^) 炎を「琥珀色」と表現した所が個人的なお気に入りです。 いい話を読ませていただきました。他の話も、また読…
[一言] ふわわわ。優しい世界だ。どれもこれもが優しい。 彼女のうたう歌の中、人間と神とが争っても、世界は見守っていたというのに、なにか心がごとりと動きました。そっかぁ、世界って人間のものでもないけ…
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