表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

工作課対応事案234交渉解決作戦  Operation:Cat Walk

 ショッピングモールから大通りを挟んだ、マンションの一室で田中は田所に呟いた。


「ダークナイトって映画知っています?」

「いや…何でいまそれを?」

「丁度、同じシュチュエーションがあるんですよ。高い建物に登って、銛を放ってロープを渡して、滑車で潜入する」

「戦争映画か?」

「いえ、アメコミ物です。確か、冒頭の銀行強盗のシーンでしたね」

「強盗ね。女の子を金庫から奪って、警備員は皆ロボット…って話じゃないよな?」

「いえ。でもこれからやる事は同じなので、思い出しただけです」

「所で、その強盗は成功したんだよな?」

「え?はい。まぁ…」

「それなら縁起のいい話だ」


 確かに成功した。銀行強盗達は仕事を終えると互いを殺し合う予定で、最後はボスがまんまと大金を一人でせしめるという話だった。結果だけ見れば大成功だ。結果だけは。


田中は自分のボスが、そんな魂胆を抱いていないか一抹の不安がよぎった。戦闘が避けられない場合に、一人が敵を惹きつけ、田所を逃がすというプランだ。田中と中村、どちらがそれを担うかは、戦況次第。彼女なら嫌がる田中をぶちのめして、無理やりロボットの供物にするぐらい、平然とやってのけるだろう。


「おしゃべりは十分?」


 田中はかけられた声のまま、中村を見る。何時ものスーツ姿とは違い、戦闘服を身に着けていた。前職が前職だっただけに、着慣れた様子だ。一方の田中も、彼女と同じ服を着て、M9ショットガンを抱えている。自前でG36コンパクトライフルを用意していたが、調査課からの提言で、即応課から貸与させてもらった。


「あぁ…すまない。緩み過ぎていたな」


 田所も戦闘服を着ていた。田中とは違い、弾薬ポーチのついたベストは付けずに、防弾チョッキだけ身に着けている。戦闘になった際、田中と中村が引き受ける関係上、大げさな武装は省いた。それにフル装備だとかなりの重量になる為、慣れていない田所の足を重くする。


 念のために普段から愛用しているM92ピストルは携行している。ロボットに対し、ほとんど役には立たないと思われるから、現実はお守りのような効果しかない。


「咎めているわけじゃないわ。変に緊張されると、かえって動けなくなるから」

「確かに話すと少し緊張はほぐれるな。しかし、まさか強襲部隊ばりの、潜入作戦をする事になるとは。3捜じゃ、銃を抜く機会なんて、定期訓練ぐらいしかなかったし」

「まぁそんな所でしょうね。ジップラインでの侵入は、心配しなくてもいい。ビル火災があった時、非常昇降機を使うでしょ?訓練をしていなくても、無事に下に付ける。これも同じ」


 まさに本分というばかりに、中村は冷静だった。粗暴ではあるが、中身は訓練された狙撃手である。長い待機時間を耐えた上での一発必中の射撃を旨としていた彼女にとって、緊張も弛緩も思いのままだった。


 一方の田中の方は。


「田中君。顔暗いわよ」


 田中は中村に言われたので笑顔を作る。何時もの営業スマイルだ。


「あの訓練みたいな生活とは、もう無縁だと思っていました」


 しかし、声は暗い。


「勿体ないとは思わなかったの?せっかく訓練を通過したのに」

「念のために受けただけなので…まさか、申請が通るとは…」


 田所は眉を顰めながら、中村に尋ねる。


「そんな自動車教習みたいな動機で、通るような訓練かあれ?」

「そんなわけないわよ、仮にも強襲課の選抜なんだから。彼はそれ所か、大型ヘリも動かせるし、空挺や潜水訓練に爆弾解体まで通過してるわよ。さらに4か国語喋れる」


 田所は呆れるべきか驚嘆すべきかよくわからないと言った様子で、苦笑いを浮かべた。


「…とんでもなく優秀な資格マニアか」

「優秀ではないですが、何でも出来ますよ。生まれた時からゲタ履かせてもらってますからね」

「そういう特異科学なのか?」

「まぁ…詳しくは話せませんが、何でもできるように作られているんです。私は」


 Alter Egoが機構に回収された際、その性能検証実験として様々な訓練を受けさせられた。最初は簡単な知能テストだけで良かった。だが知能テストはドンドンと難しくなっていき、体力を要する実験までくわえられ、果てには機構内の基礎軍事教練にまで及んだ。


それらをパスすると、今度は機構から自分が受ける実験内容もとい、訓練や研修を選択していいとされた。もっとも、これ自体がAlter Egoの心理特性を知るという目的の実験。その中でAlter Egoは『何かの役に立つだろう』というシンプルな心理特性を見せ、様々な訓練を受け通過した。


しかし本人の思惑は外れ全ては無駄に終わる。田中は事務仕事と謝罪周りに奔走するだけであった。田中自身はまたそういう世界に戻りたいと現在進行形で考えているが、皮肉にも今の状況は、田中の性能が如何なく発揮される場でもある。


「羨ましいな。何でもできるなんて」


 田所はつぶやくと、田中は悲哀の満ちた顔で首を振る。


「何でもできるせいか、何でもやらされるんですよ。今日だってはっきり言って、課長の指示ですし。つい、この間までは工作課の問題対処担当でした。何かとんでもない不祥事を、何とかさせられる羽目になっていたって感じで…」

「へぇ。知らなかったわ。苦労していたのね」


 田中は無言で中村を見つめる。中村のその態度には一切、体裁作りの影も無く、たった今知ったというような顔で、田中を見ている。それを見て田中は、中村が自分の起こした暴力事件について一切の自責がない事を痛感し、自分の労苦の空しさを覚えた。


「Right Arm。こちら前線本部」


 先ほどまで田所と事を構えていた即応班隊長の声で、指示が入る。


「こちらRight Arm」

「準備は整った。各自状況を開始せよ」


 田中はその声を聞いて、大筒を取り出す。筒の先には銛が取り付けられ、そのまま射出する仕組みだ。外見は対戦車砲によく似ていたが、あちらとは違い高圧ガスで射出する為、室内でも発射できる。


 照準器でショッピングモール屋上を見る。屋上は子供向けのプレイスペースになっているようで、その中に一つコンクリートで出来た船を模した遊具があった。それに向けて照準を合わせ、銛を放つ。


 放たれた銛は後ろに付けたロープをなびかせながら、遊具に向けて突き刺さる。田中はそれを確認しロープを射出機から外し、マンションの室内に取り付けたポールに結わえ、ウインチを廻す。


 瞬く間に2つの建物の間に、一本の縄が張られた。


「先方は私が行く。安全確認後、田中君、田所主任の順で降下開始。では、お先に」


 中村は張られたロープに滑車を付け、その滑車と自分のベルトをベルトで結ぶ。そのまま、ベランダを飛び越えると、滑車は中村の体重と位置エネルギーで加速し、ほんの3秒ほどで屋上にたどり着く。


 中村は到着すると、素早く周囲を確認する。彼女の視界の中に動く物は無い。それから自分と滑車をつないでいたベルトを離すと、右腕の義肢を拳銃のような形に変形させ、遊具の裏を確認する。


「Alter Egoへ。屋上はクリア」


 それを受けて、今度は田中が滑車をロープに取り付けた。去り際、田所に向かって田中は声をかける。


「田所主任はゆっくり来てください。減速の操作で不安な事はありますか?」

「大丈夫だ」

「滑車と結ぶ時に、ベルトの間隔は短くしてください。それなら途中で手を離しても、また滑車を掴むことが出来ますので。ではまた」


 そう言って田中も勢いよく、向かいの屋上に向かった。到着後、3点スリングで結わえていたショットガンを構えて、中村とは違う方向を警戒する。


「慣れてるじゃない」


 警戒姿勢を崩さないまま、中村が声をかける。


「うろ覚えですよ」


 そう言って、田中は滑車のベルトを外し、無線機で田所に順番が来た事を告げた。


 田所も2人のように滑車とベルトで繋がる。そのままベランダから足を離すと、勢いよく滑り始めたが、滑車のハンドルを操作し、徐々にスピードを削いでいった。高い所に対する恐怖は無いが、先の2人のようなスピードで突っ込むような気にはなれない。


 田所は降下から10秒ほどかけて、屋上に到着。ベルトからの切り離しに手こずりながらも、先の2人のように身をかがめて、周囲を見渡す。


「これより潜入する。フォーメーションは田所主任を真ん中において適宜変更。発言は最小限に」


 そう短く告げ、中村が先行してショッピングモールの内部へ、田所がその次に進もうとした所、田中に肩を押さえられた。


「間隔が短すぎます。田所主任は中村さんについて行くというよりも、私に後ろを預けるように歩いてください」

「了解」

「では行きましょう」


 中村が5メートル先行した所で、田所と田中も進み始めた。


 屋上からはエレベータホールと下の階に続く階段へ向かう通路があった。中村はすでに壁の影から階段の様子をうかがっている。直ぐに後ろに向かい手招きし、先に進む。田所は田中が進むのを待ってから進み、階段までたどり着く。


「階段はクリア。本部、『犬』の状況は?」

「現在確認できるのは1階フロア内に4匹、2階フロアには3匹。1匹が監視外だ」

「階段で鉢合わせする可能性は?」

「低いな。1体は恐らくは2階のバックヤードにいる」


 本部ではモニターが12台設置され、ショッピングモール内の監視カメラを逐一移している。モニターは即応課職員の4人が監視を行う。その後ろにはモールの図面を書いた紙が置かれ、姿が見え次第他の職員が犬を表す駒の位置を動かしている。単純な上に人手も割くが、これならリアルタイムでロボットの位置を俯瞰的に掌握できる。


しかし、カメラの百十数台分のモニターを用意することは出来なかったため、モニターの映像は操作で切り替わる仕組みになっている。その為、一度捕捉を外れると再度発見するのが難しい。だが、監視外でもある程度の位置予測は出来る。


「3階にはいないの?」

「居ないな。1階か2階を警戒している」

「了解。3階の捜索を行う。犬に動きがあったら警告願います。アウト<通信終了>」


 中村は通信を切ると、左手を肩の上に挙げ人差し指を起ててクルクルと廻す。分隊集合の意だ。田中は田所の背を軽く押し、2人は中村の元に集まる。


3人は無線機を使えば離れていても会話可能である。しかし集合できる状況では、顔を見合わせて話をした方が、意見が出やすく、齟齬も少ない。


「これから捜索に入るけど、3階が異様に手薄。どう思う?田所主任」

「下に重点的に配置しているのは、多分さっきの突入を警戒しての事だろう。あの子がこの手の軍事作戦に詳しいとは思えない。屋上からの侵入は考えていないな」

「確か突入作戦時も、あの子の姿は視認できなかったのよね?」

「犬の妨害が激しくて、即応課もそこまで手がでなかったようだ。もし逃げるだけの余裕があの子にあるなら、下は犬に任せて3階にいるかもしれない。即応課の職員で、3階まで上がれた人間はいないから、可能性は高い」

「なるほど、3階で警備カメラの配置が手薄な所となると…」


 中村は携帯端末をタップして、ショッピングモールの見取り図を出す。すでに監視カメラの視界が上書きされており、手薄な場所がすぐわかるようになっている。


「ここは?フードコートの食品運搬通路」

「そうだな。事案発生から7時間経過している。食べ物のあるところに居てもおかしくはない」

「じゃぁそこまで真っ直ぐ進行する。物音に警戒。フォーメーションは維持。行くわよ」


 中村は慎重に階段を降りはじめる。それに追従する形で田所と田中が後を追う。


 階段自体は特に障害も無く、3人そのまま3階フロアに入る。立てこもり中の少女の事を勘案して、ライフラインは切断されていない。その為、売り場フロアは決して暗くは無く、ゆったりとしたBGMまで流れていたが、客も店員もいない無人のフロアは異様な雰囲気だった。


 階段からフードコートまでは、然程距離は無い。中村が前衛として進行しながら死角を確認し、後方を警戒する田中との間隔に留意しながら、田所が進む。


そのすぐ後方にいる田中は自分の背後を警戒しつつ、前方の田所と中村の進行状況を確認する。このチームの中で分散的な集中力を要するポジションを請け負う事になった。


 だが、田中が想定していたよりも負担は感じなかった。これは中村が後方にも気を回し、進行スピードを調整している為だ。田所も不慣れとは言え、気が急いて歩調を早めたりしない。状況が普段と違っていたとしても、集団行動には慣れているようだ。変に我を出すことなく、中村に追従している。


 気を抜かなければ、好転する状況にあると田中は考えた。田所が出した見解も予想とは言え、そこに少女が居る確率は高い。当初の目的通り、こっそりと忍び込んで、少女と接触し、彼女に武装を解いてもらえれば、事案は解決する。


 しかし、どんなに好条件が重なっていたとしても、上手くいく確証にはなり得ない。狙い通り、彼女が見つかる物とも言えず、そもそも話が出来る様な状態にあるかもわからない。それらを解決したにせよ、最大の懸念は残る。


本当に田所は少女を説得できるのだろうか。


本人の意思と中村の許諾により、田所をこの侵入作戦に巻き込んだが、そもそもこんな事になった発端に田所班が関わっている。


 第3捜査課の業務、科学者の保護。悪い言いかたをすれば、社会からの隔離である。保護された科学者は、日本支部のある幸矢市内への居住を勧められるが、これは半ば強制である。しかも市外へ出る為には、機構の許可が入り、その上警護員まで付けられる。どの対応も、科学者の保護に必要とはいえ、拘束されているという印象を持たれても仕方がない。


 そんな現実を第3捜査課は少女に突きつけたのであろう。どういった事情かは分からないが、両親の離婚まで起きている。少女が田所に対し、敵対心を持っていてもおかしくない。田所は少女に好かれていると言ってはいたが、それは客観的な事実かは不明だ。


 それに、即応課の隊長と口論になってまで、突入に反対した事も異様である。あの時は対象が未成年であるからだろうと田中は考えていたが、今思うと何か疑念にかられる。田所は事案解決ではなく、何か私情によって動いているのではないかと。


 だがいくら田中の中に疑念は尽きないとは言え、これが今の工作課である。福沢課長が、如何なる事案に置いても全力で尽力するという方針を出した。それに賛同した以上、いまさら非を唱えても仕方がない事ぐらい、田中も自覚している。


 尽力なら今まさにしている所だ。田中だけではない、中村もいる。田所の真意は不明だが、今は気を抜かず、田所を少女の元に届ける。気は抜かなければいい。現状にも、田所にも。


 一方で前方にいる中村は、目の前に集中していた。丁度、フードコートの目の前に差し掛かっていた所だが、異様な臭気を感じ取っていた。ショッピングモールには似合わない焦げ臭い匂い。それにソースや肉の焼ける臭いも交じっている。


 中村は思案した。事案が発生したのは、フードコートの開店中である。突然のロボットの出現に、避難は混乱したであろう。避難者の転倒事故もあったのだから。それほどの混乱の中、ここに居た店員たちは、コンロを消すほどの余裕はあっただろうか。恐らくは無かった、調理中の食材をそのままにして逃げたはずだ。だから、焦げた匂いがする。


 だが見た所、火の手は上がっていない。すでに7時間経過していれば、鉄板に焼かれたままのハンバーグが火元になっていてもおかしくは無い。誰かが、コンロを消した。恐らく、中村同様焦げ臭さに気が付いたから。そうだとすれば、消されたのは事案発生後。


 中村は後方にサインを送る。直ぐに田所と、田中が集合した。


「フードコート内はクリア。先に捜索先の位置構造を確認するわよ」


 そう言って各自、携帯端末を覗く。


 食品運搬通路はフードコートの東側に位置している。そこから先はほぼ一方通行だが、スタッフルームや保管庫など小部屋が連なっている。通路奥は運搬用エレベーターがある為行き止まりではないが、ロボットがボタンを操作する等複雑な行動をしない限りは、乱入してくる心配は無い。


「入り口を私と田中君で固めれば、取りあえず中の安全は確保できるわね」

「わかった。内部の探索は俺が行う」

「お願いするわ。私や銃を持った田中君じゃ、彼女に警戒されるでしょうし。もし彼女を発見したら、会話は端末のマイクをオンにして本部と繋いで」

「どういう事だ?」


 田所が怪訝な顔で、中村に尋ねる。前線本部での口論の時同様、その声には鋭さがあった。田中はその機嫌を察知し、中村の指示を捕捉する。


「交渉時の手順ですよ。田所主任。立てこもり犯と現場で交渉を行う場合、交渉内容を記録する為に、会話は本部と繋ぎます。それに会話が聞こえれば、何かあった時に私達も直ぐ行動できますし」

「まだ子供だぞ。話は個人的な内容に及ぶかもしれない。それも記録するのか?」


 田中は首を傾げる。


「記録をしなければ、あとで報告書を書くときに面倒では?」

「報告書なんてどうでもいい。どうせ話をした俺が書くことになるんだから」


 田中は中村と目を見合わせた。田所の様子が妙だ。


「それにこれは盗聴のような物だろう?彼女に気が付かれたら、何も話さなくなるかもしれない」


 何故、そこまで頑なに彼女との1対1の会話にこだわるのだろうか。


「主任。これが任務だという。自覚はあるの?」


 田所に声をかける中村を見て、田中は冷や汗をかいた。


 中村の目は左右非対称。右目は機械の為、その目から感情を感じることは無い。だが、彼女の左目は、まるで失った分の仕事も負うかのように、彼女の感情を表す。


 その左目が鋭く吊り上り、憤怒を帯びている。


 不味い。田所主任が中村の機嫌を損ねた。任務中であれば、何を言われても動じないであろうという田中の楽観が崩れ去ろうとしている。だが、焦るにしても中村が何故突然、田所主任に怒りをあらわにしたのか、田中にもわからない。


「規則違反であると言うのか?君はどうなんだ。1捜の班長を派手に殴り飛ばした事もあるそうじゃないか。私に言えた義理があるとは思えないが」


 田所の反論に、田中はさらに青くなる。こういう状態の中村に反抗してはいけない。彼女は暴力をコミュニケーションツールと考えている。そして、その行使に何の躊躇も持たない。彼女の見た目から多くの人間は子猫の一掻き程度で済むと思っているが、中村の中身は虎である。


 例えじゃれ付いた程度でも、虎に襲い掛かられれば、ただでは済まない。


「わかりました。会話は本部と遮断しても結構です」


 田中が間に入る。


「ですが、私達は直ちに田所さんの救援に入らなければならないので、私達には会話が聞こえるようにして下さい」


 咄嗟に譲歩し、同時に条件を田所に突きつける。


「記録よりも、説得を優先するべきだろう」

「はい、確かにその通りです。工作課としては、現場責任者の指示に反する事は出来ません。ただ、私達は秘密の取り扱いには慣れています。私たち自身が、機構の機密情報ですので、内緒話にはそれなりの実績が…」

「聞いても、黙っていると?私が何か秘密を持っているような口ぶりだな」

「いえ、私達が守るのは『彼女の秘密』ですよ。主任」


 田所が目を逸らした。今のは田所にとって失言だったらしい。だが田中は、その態度を追及はしなかった。


「田所主任。私の目的は、本事案の解決です。その為に、あらゆる努力を惜しむなと、課長の福沢からきつく言い使っております。私もその所存です。例えどのような事情があれど、私は責任者にとって最良の結果をお約束します。ですので、ここは私を信用してください」


 田中は畳み掛けるように、そう告げた。実の所、田所がどんな秘密を持っているかは皆目見当がつかない。だが、そういった含みがあれど、事案の解決には田所の存在が必要だった。今更、田所抜きの作戦を立てる等はできない。


 一方で、中村の激昂にも対処しなければならない。田所同様、中村もこの作戦に必要不可欠。中村が田所の態度に何の不満があるかもわからないが、中村がチームから離脱する事を避ける為に、要求は突きつけなければならない。


 田中の出来る最大限の仲裁だった。


 あとは双方の譲歩に頼るだけ。


「…俺は間違った事はしてない」


 しばらくして田所はそう呟いた。


「それだけは信じてくれ。できれば、そっとしてほしい」


 田中は頷くが、中村は依然として厳しい目を田所に向けている。田所はそんな中村を一瞥すると、ため息交じりに顔を横に振り、目を逸らした。


 中村はそんな田所に、語気荒く尋ねる。


「何か文句でも?」

「いや、わからないだけだよ。何で、俺をそんな目で見るのか」

「機械の目がご不満なら、取り外しも出来るけど」

「そう言う意味では…。まぁいい、会話内容はそちらにも届ける。善悪の判断は君たちに任せる」


 中村はそれに頷きも否定もしなかった。中村の態度は結局一貫して田所を不信の目で見てはいたが、田所が折れたことにより、チーム分裂は免れた。


「では、行きましょう。少し、時間をかけ過ぎました」


 田中がそう言うと、中村が先行してフードコート内に侵入する。銃とかした右腕と共に、素早く視線を左右に配り、周囲を警戒する。そして、フードコートの東側の壁に取りつき、食品運搬通路の内部を確認。異常がない事をハンドサインで田中たちに送る。


 田所と田中は、小走りにフードコートを抜けて、中村と合流する。


「テレビの音がしますね」


 よく聞こえないが、淡々としゃべる音声が通路の奥から響いている。恐らくニュース番組のようだ。今回は情報封鎖はなされていない為、田中たちが介入しているこの事案を特集しているかもしれない。


 その渦中にいる人物が、報道を見ていてもおかしくは無い。


「俺が入る。これを預かってくれ」


 田所は田中に自分の拳銃を渡す。田中はそれを受け取ると、安全装置を確認しベルトに差し込みながら声をかけた。


「交渉が上手くいかず、我々の介入が必要な場合は無線で『喉が渇いた』と呟いてください。それを合図に、私達は彼女に気が付かれないように接近し、捕縛します。捕縛の際にスタンガンのような物を使うかもしれませんが、構いませんね?」

「そうならないよう、努力する」

「申し訳ないですが、状況によっては使用します。彼女は他にもロボットを所持しているかもしれません」

「…わかった」


 そう告げて、田所は田中たちに聞こえるようにだけ無線の回線を開けると、そのまま通路の奥に進んでいった。


 中村と田中は、通路の入り口で待機し、ロボットの襲来に備えて待機する。


「媚び過ぎよ」


 2人きりになると中村はおもむろに田中に告げた。無線回線は繋がっているので、中村の発言も田所に聞こえているはずだが、構わないようだった。


「事案解決の為です」

「そう言って、ホイホイ人の話を真に受けていると何時かひどい目に会うわよ」

「…その通りですね」


 田中は福沢課長の言う通りに補佐に勤め、中村の言う通りにして今ここに居る。


 そんな意図を含めての発言だったが、中村は構わずため息交じりに呟く。


「私は見込んでいたのよ。あの男を」

「田所主任を?」

「自分から志願して危険な現場に足を踏み入れる上官は多くないわ。まぁ、向う見ずに突っ込まれるのも困るけど。それでも責務を果たす人間を、私は裏切らない」

「はぁ…」

「誰だって、自分より臆病な人間の下で働きたいとは思わないわ。だから人の上に立つ人間には覚悟が必要なの。自分の身を顧みず、責務を果たす覚悟が…」

「まぁそうかもしれませんね」


 田中は中村の言っている事が、単に田所を批判している物だと思い、適当に返事をするに終始する。


「それなのに、どいつもこいつも。自分の身ばかりを案じている。下らない自己保身のあおりを食うのは、何時だって下っ端」

「組織って、そういう物じゃないですか?」

「そう言っていられるのは、田中君が『五体満足』だからよ…」


 田中は手抜きの返事はせず、無言となった。中村の個人経歴は、問題対処担当時代に田中も目にしている。決して気の利いた慰めなどで返せる過去ではない。


「課長になった福沢って男が、何を期待しているかわからないけど。私は私の目で判断する。私は私の判断で、右手を使う」


 中村の陰鬱とした声が響く傍ら、田中の通信機には田所の周りの音が入ってくる。足音や通路に響くテレビの音までは良く聞こえなかったが、ドアを開ける音と、その後に続く少女の声ははっきりと聞こえた。


『お父さん』














 保護対象に同情の念で接してはならない。

 

 それは第3捜査課絶対の掟である。


 彼らの任務は、科学者の保護である。より正確に言うならば、彼らの『アイディア』を社会の悪徳から守り、また同時に彼らの有する『アイディア』から社会を守らなければならない。科学者とは『アイディアの器』とも言いかえられる。


 そして、アイディアの器と普通の人間の差異は、ほとんど無いと言っていい。アイディアの発現は、特殊な精神構造に支えられているわけでもなければ、遺伝子上の特性によってもたらせられる物でもない。ただ、浮かぶのだ。ある日、彼ら自身に何の断りも無く。


 その為、科学者自身には何の特異性も無い。罵声を浴びせられれば不機嫌になり、花を贈られれば喜び、そして刃物で刺されれば死ぬ。極ありきたりな存在である。


 それでも彼らは保護を、あるいは隔離されなければならない。例え『アイディア』の有無以外に特異性が無いにせよ、『アイディア』の有無は致命的な危険性を孕んでいる。だからこそ、機構は彼らを垣根の外に連れ出す。


 これは科学者がどのような人物であっても、確実に行われなくてはならない。


 その為に、その最前線に立つ第3捜査課では、捜査員が科学者に感情的な介入を行う事を規制している。もし科学者が、聖人やあるいは狂人の類であるのならば、必要のない事項だ。自分とはかけ離れたものに、人は感情を持ち出さない。だが、科学者は普通の人間である。だからこそ、人は感情を揺り動かされ、時に間違いを犯す。


『お父さんじゃないよ。俺は…』


 田所は少女を前にして、言葉を詰まらせた。


『でも、お母さんの事好きなんでしょ?』


 少女の声は責めるような物では無く、わからない事を尋ねる様子でハツラツとしていた。


『すまない』

『何で謝るの?かなも、お母さんもお父さん好きだよ。お父さんは~?』


 少女の声には不安がこもる。


 その一方、無線機の向こうで、田中は頭を抱えた。何か隠しているとは思っていたが、これは田中が想定していた以上に不味い状況だった。いくらなんでも機構の職員が保護対象の母親に手を出すなど、言語道断を通り越して、懲戒ものだ。


 唯一救われることがあるとすれば、田所が工作課の人間ではない為、田中が問題対処せずに済むという事だけだった。だが、この一件は上に報告しないわけにもいかない。


「どういうことよ?」


 中村は、田所の状況にお構いなく問いただす。


『一緒に座っていいかな?』


 だが、田所は答えなかった。しばらくして、椅子を引きずる音がすると、先ほどよりもはっきりした声で保護対象の笑い声が聞こえた。


『何処から、話せばいいのか…』


 それからしばらく、田所は黙っていた。無線を通じて、テレビの声だけが不明瞭に聞こえて来る。


『俺が、加奈ちゃんと加奈ちゃんのお母さんと会った時の話をしようか』

『かな覚えているよ』

『そうだね。でも、加奈ちゃんが知らない事もあるから、それを教えるから…』


 中村が持ち場を離れ、通路内に進もうとする。田中は中村の前に立ち、彼女を制止する。


「落ち着きましょう。中村さん」

「2人共確保して帰るわよ。抵抗するなら拘束する」


 中村の右腕が、五指を持つ手に変形すると、指の間から火花が飛んだ。指に通電させているらしい。


「ロボットはどうするんですか?」

「全部ぶっ壊せばいいでしょ?どきなさい」


 田中にとっても、中村の怒りは当然と思っている。だが、強引な手段が事態を好転させるとも思えなかった。


「ここは田所主任に任せましょう」

「抵抗するなら、拘束するわよ」


 それは田所にではなく、自分に向けて放たれた言葉だと田中は理解した。鋭い視線が田中を捉えている。今の中村に抵抗者の例外は無かった。


 田中は特異科学である。どんな課題にも必ず平均的な人間以上の成果を出す、いわば超人。そんな田中であっても、中村を止める確実な術は無い。中村を例えるのなら、魔弾を放つ猛獣。


 プラズマ拡散収束砲内蔵高性能義肢、Right Arm。最小威力ではスタンガン程度、最大威力では主力戦車の正面装甲を貫通する威力を持つ。史上最高の汎用性と史上最強の火力を誇る個人兵装。小火器で武装した個人など造作も無い。まさに、この世のあらゆるものを撃ちぬく魔弾。


 しかもその使い手は、田中を遥かに凌駕する兵。史上最年少で襲撃課試験をパスし、右腕を失って尚も最前線を選んだ人間。その力量、技術、経験。いずれも事務屋に過ぎなかった田中とは比べるまでも無い。


『俺は…お母さんと加奈ちゃんと仲良くするつもりは無かったんだ』


 憤怒に燃える中村。それに緊迫感を押し殺して対峙する田中の耳に、田所の独白が流れる。


『俺の仕事は…加奈ちゃんみたいな人間を保護する仕事だ。でも、決して保護する人間と友達になったりしてはいけないんだ。だから、仕事が終わったらすぐにさよならをするつもりで…』

『手握っていい?』


 少女の声が、田所の話を遮る。それに対し田所は優しい声で応じた。


『さようならをするつもりだったんだ。でも、加奈ちゃんは前のお父さんとさよならしちゃっただろう?それで…』

「それで母親とよろしくやったって訳?いい加減にしなさいよ!あなたとその子の為に、何人の人間が傷ついたと思っているのよ!」


 中村は田中に構わず進もうとする。田中は一歩後ろに下がった。しかし、それは中村に道を開ける為ではない。


「田中君。どういうつもり?」


 田中は一歩下がると、ショットガンを中村に向けて構えていた。


「すみません、中村さん…。自分でもよくわからないです」


 Right Armにこんな事をして唯で済むわけがない。至近距離でショットガンを向けた所で、彼女は田中を打ちのめし、その右手で消滅させる事ぐらい造作も無い。田中もそれぐらい理解している。


「それでもやっぱり、中村さんのやり方は良くないと思うんです」


 ショットガンを持つ手に震えは無い。中村の頭部に向けて、照準を合わせる眼にも淀みは無い。


「田中君。あなたは誰の味方なの?」

「私はAlter Ego<改築される自我>です。状況に応じて、自分を改築します」

「これがこの状況下における最善なの?」


 中村はショットガンの銃口を一瞥すると、また田中の目を直視する。


「気分が悪いのはお察しします。ですが、力技で突き進む事が、中村さんの問題を解決するとは思いません」

「保護対象、規則違反職員の拘束と確保。何が問題?」

「中村さんは混同しているんじゃないんですか?」

「…どういう事かしら?」

「田所主任に杉山隊長の姿をタブらせているんじゃないかって事ですよ。確かに彼は規則を破りました。でも、あなたが処分した杉山隊長とは違うんです」


 中村麻衣という名前が、機構によって許可された名前になる前。中村は誰の許可も得ずとも、その名で呼ばれていた。その時、中村の右手は中村の腕であり、狙撃手だった彼女にすれば、引き金を引く右腕は、中村の存在そのものであった。


 そんな中村が、名前と存在を失ったのは、ある襲撃作戦の最中だった。その任務中に強襲課主任の杉山太一が機構を裏切り、襲撃作戦の標的組織に組した。それにより彼の部下は敵の手により全滅。中村は狙撃手というポジションだった為、虐殺の場から逃げることが出来た。当然、司令部は中村に撤退を指示する。


 だが彼女はそれに背いた。舞台となった寒村を山の中からつぶさに観察し、18日間に及ぶ狙撃戦をたった一人で戦い抜く。結果、杉山を含む標的組織は全員、中村の手によって葬られる。


「面白い考察ね。でも、私はちゃんと理解している。理解した上で、学んだのよ」


 その戦いが中村麻衣という名前と存在を消した。銃弾を受けながらも、引き金を引き続けた彼女の右腕は、機構が回収した際には切断を余儀なくされるほど傷んでいた。スコープを覗き続けた右目は周辺の皮膚ごと、敵が投げた焼夷弾によって、焼けただれていた。


「自分の人生の手綱を握れるのは、自分しかいない。私以外に、私を助ける物は存在しない」


 中村は機構から、運営部への異動を勧められた。その才能と執念を、退役で終わらせるつもりは機構には無かったのだ。その変わりに新人の育成という役割を彼女に与え、才能と執念を生かそうとした。武装課の職員としては異例の出世である。断られることは無いと思っていた。 


 しかし、彼女の才能と執念は機構の想定を超えていた。中村から特異科学の移植と、工作課への転属願いが出されたのだ。彼女の負ったダメージを鑑みれば、異例を越えた異例である。こうして運営部への推薦は拒否された為、彼女を失いたくない機構は中村を精査する。そして、それに耐えられる人物だと評価した。


 中村の経歴は、いわば獣の証明である。恐るべき才能と執念、それを持った上で誰も下さないであろう決断をその身に課した獣。


「だから、私は私の目で判断する。私の判断で、Right Arm<正しき武器>を使う」


 全ては、あの日の裏切りを忘れない為。そして、これからも裏切りを決して許さない為に。獣は飼われる事を拒み、誰にも届かない場所で自らを飼い主とした。


『その通りだ。俺は子供ごと見捨てられ、傷ついた彼女の心の隙に取りついただけだ。善意からの行いと言えば嘘になる。それでも俺は彼女たちを放っておくことが出来なくなっていた』


 無線機からは田所の独白が続く。


『俺は3捜の仕事に誇りがある。それは人を守る仕事だからだ。2捜や1捜のような、悪党相手と戦う仕事よりも地味だが、必要とされる仕事だ。だが、俺は時々、誰かの人生を引き剥がす。保護対象は皆、普通の人間だ。就職や結婚を控えた者もいた。だが、『アイディア』が浮かんだ彼らを、そのまま希望する未来に進ませることは出来ない。科学者からどんな罵声を浴びせられようとも、俺は彼らを保護してきた』


 中村は無言でうなずく。それこそが第3捜査課捜査員に課せられた責務であると言わんばかりに。


『だが、俺はその事に疑問を持たない捜査員にはなれなかった。機構の目的は理解している。でも…『アイディア』が浮かんだと言うだけで、どうして今までの人生を放棄しなきゃならないんだ?科学者も色々いるが、多くは『アイディア』なんて望んではいなかったのに』

『お父さん?』

『あぁ、ごめん。ちょっと興奮しすぎた』

『誰かほかにいるの?』


 中村の目が田中から離れ、通路の奥にある一室に注がれる。


『あぁ。俺の仲間が…』

『馬鹿!私達の事は黙ってなさい』


 中村が田所に向かって警告する。銃を向けていた田中も、中村から視線を離し、彼女の背後にあるフードコートを警戒する。


 少女の声色は変わっていた。明らかに中村達を警戒している。


『やだ』

『え?』

『お父さん以外の人は、いや!』

『わがままを言わないでくれ。加奈ちゃんの監視を他の職員に任せてしまったのは、あやまる。でも、あまり加奈ちゃんに俺が構ってしまうと、他の職員に』

『やだ!』


 建物の奥から、金属の擦れる音がする。それも一つや二つではない。無数の金属音が、中村達の居る場所に近づいてくる。


「Right Arm。犬どもの動きが急に活性化した。これは…おい、おい3階に向かっているぞ!」


 前線本部から警告が入る。手段は不明だが、ロボットと少女には何らかの通信手段があるようだった。


 銃を突き付けられたまま、中村が問う。


「田中君。どうする?」

「私は自分の身を守ります。中村さんは?」

「ぶっ壊す」

「了解。可能な範囲で援護します」


 田中は銃を一端下げると、通路から出る。それからフードコートのテーブルを倒して、その影に半身を隠しながら、ショットガンを構えた。


 中村は右腕を変形させる。侵入の際の拳銃型から、更に銃身を伸ばすと銃口にあたるレンズに緑色の電光が灯った。


「本部。犬の侵入経路は?」

「少し待て。いや、駄目だ。早すぎる。直ぐに接触するぞ、警戒しろ!」


 本部の通信を待たずして、無数の金属片からなる犬たちがフードコート内に侵入した。イスや間仕切りを難なく飛び越え、中村に向かって突進する。


 だが、中村の右目はすでに犬を捉えていた。中村の視界の中で照準が、犬の頭部に合わさり、Right Armが発射される。発射された光弾は、犬と周囲にあった備品を巻き込んで、高熱を発しながら消滅させる。


 撃たれた犬はその体の7割ほどが無くなると、即座に分解し、金属片が床に散らばった。


「Right Armは有効ですね」

「田中君。右!」


 中村の警告に、田中はすぐさま反応する。ショットガンは中村の直ぐそこに迫った犬に向けられ、火が放たれると犬は金属片をばら撒きながら後ろに吹っ飛ぶ。中村のように破壊までは至らないが、一時行動不能にするには十分だった。犬は前足に当たる部分を喪失し、また足を作る為にじっとしている。


 田中の武装をショットガンにするよう進言したのは調査課の笹原だった。


『これは推測だが、このロボットに対してマシンガンは無力だ。高威力のアサルトライフルも同様だろう。点による衝撃に対して、このロボットは無敵だ。だが、00パックを装填したショットガンによる面での射撃なら一時制圧は可能だろう。難しい注文かもしれんが、射撃する場合は、散弾が十分広がる50メートルが一番有効だ』


 笹原の推測は当たっていた。前線本部では口論中、どちらつかずではあったが、ちゃんと行うべき分析はしていたようだ。


『工作課、無事か?』


 銃声に気づいたのか、田所が田中たちに連絡を入れる。


「早い所、説得をお願いします。こちらには口を挟む余裕はもうないんですから!」


 田中は叫ぶ。ロボットに対し、Right Armが有効なのはわかったが、向こうもおいそれとやられるつもりは無いらしい。数が増え、直線的な攻撃だった初撃とは違い回避を繰り返している。中村も照準を追うが、追いつかない。


「中村さん!どんどん撃ってください!」

「駄目!撃てば障害物も無くなる。だだっ広くなったら向こうの思うつぼよ!」


 戦況は田中よりも、中村の方が掌握していた。まだ障害物がある分、ロボットの行動に抑制がかかる。だが、むやみやたらにRight Armを撃てば障害物も消し飛び、ロボットを自由に行動させることになる。


「自分が囮になります!援護を!」

「ちょっと」


 中村が引き止める前に、田中は影にしていたテーブルを乗り越え、ロボットたちの元に走る。ショットガンを数発、ロボットに向け放つが、散弾の数発が金属片をはじくだけだった。その内に田中の背後にロボットの一体が飛びかかる。


 高速の突進。だが、その攻撃は複雑な線から成る回避行動と比べれば、あまりに単純な一線上の動線となり、程なく中村の右目に掴まる。


 放たれる光弾は犬の胴体部分を食い千切り、バラバラになった上半身が慣性のまま田中に降り注いだ。


「田中君、無茶よ!一端戻って」

「あと6体です!このままいけば制圧できます!」

「戻りなさい!」


 中村の叫びは、忠告を通り越して恫喝だった。田中は頷くと、直ぐさっきまでいた自分のポジションに戻る。


「3体同時に掛かってきたらどうするの?この作戦は無茶よ!」

「すみません…張り切り過ぎました」


 中村の怒号のお陰で田中は冷静になれた。久しぶりの実戦のせいか、不必要なまでに頭に血がのぼっていた。


 無線の向こうでは、田所が少女への説得を続けている。


『加奈ちゃん。ロボットを止めて欲しい。加奈ちゃんのせいで、皆迷惑しているんだよ?』

『やだ!』

『やだじゃない。このままじゃ、加奈ちゃんはお母さんと一緒に暮らせなくなるかもしれないんだ』

『お父さんは!』


 少女の声に、嗚咽が混じる。


『どうしてお父さんは、かなとお母さんから居なくなっちゃうの?かなもおかあさんもお父さんと一緒に居たいのに、なんで前のお父さんはいなくなったの…』

『君の前のお父さんは、加奈ちゃんが…ロボットを作れることに耐え切れなかったんだ。でも、お父さんは悪くないし、加奈ちゃんが悪いわけでもない。ただ…怖かったんだ。君もいずれわかる』

『たどころお父さんは?』

『俺は…』


 それから田所は口を開かない。ロボットとの死闘に明け暮れる中村と田中の耳には、ロボットの放つ金属音と、時折田中の放つ発砲音だけを拾っていく。


 田中は田所を背突く余裕もなく、ショットガンの再装填を急ぐ。中村は最早何も言わず、戦闘に集中している。


 そして少女だけが、沈黙を切り裂く。


『かなは絶対にイヤ!もう、お母さんもかなも一人になりたくない!バラバラなんて絶対、イヤ!』


 無線機の音声が割れるほどの絶叫。


 それと共に、ロボットの動きも変わり始めた。


「…田中君」


 中村は目の前で起きる光景への意見を求めるように、田中に声をかけた。だが、この状況に対し、田中は気の利いた言葉も無くただ呟く。


「笹原主任。これは推測できなかったんですか?」


 6体いたロボットは一か所に固まったかと思うと、一つの大きな金属片の塊になる。やがて足が生え、腕が生え、そして頭が生えた。全長3メートルほどの巨人が、田中と中村を見下ろす。


「クソッ!」


 中村は巨体に向け、右手を放つ。巨大になった分、照準は楽になった。だが、光弾が命中する寸前、その巨体に穴が開き、光弾は穴をすり抜けて天井に命中。中村の一撃はスプリンクラーの配管の一部を破裂させただけだった。


「こいつ…学習しているの?」

「田所主任!マジでなんとかしてください!」


 田中は悲鳴にも似た絶叫をあげ、ショットガンを連射した。


 ここでは不味いと2人はほぼ同時に判断し、より障害物の多い売り場の方へ走る。


『俺は…。俺はお母さんと加奈ちゃんと仲良くなったことを悪いと思ってはいない。でも、駄目なんだ。俺と加奈ちゃん達は一緒に居ては』

『なんで?』

『俺にとってはいけない事だったんだ。俺と加奈ちゃん達が仲良くしてはいけない規則があって…』

『じゃあ、なんでかなと仲良くなってくれたの?』


 その言葉に田所はまた言葉に詰まる。だが、少女は構わず問い続ける。


『なんでいけないのに、仲良くしてくれたの!かなもお母さんもうれしかったんだよ!なのにどうしてまた居なくなるの!お父さんの嘘つき!』

『嘘は…ついていない。でも離れないと、加奈ちゃんとお母さんに迷惑が…』

『迷惑なんてない!かなはなにも迷惑じゃない』


 少女の言葉は徐々に崩れ、ただの慟哭が無線から聞こえて来る。そして、その慟哭に呼応するかのようにロボットは攻勢を強め、建物の中を薙ぎ払って行く。


 田中と中村は身を隠しながらフロアに散開していた。時折、物影から中村が射撃するが、先ほど同様に攻撃は無意味に終わっている。スプリンクラーの配管から漏れ出す水のせいで、足場も悪い。


 中村が攻撃を行っているせいか、ロボットの標的は中村に注がれている。田中はロボットから距離を放ちつつ、様子をうかがう。巨体になったせいで、動きは先ほどよりも遅いが、パワーは段違いだ。いずれ、フロアの物影をすべてなぎ倒しかねない。そうなれば、隠れる場所も無くなる。


 田所を置いて撤退するしかない状況にあるが、ロボットの標的になった中村が離脱することも困難であった。下手すれば、中村を追ってロボットが外に出かねない。大型犬程度以上の脅威を解き放つことになる。


 だからなんとしても、田所には少女を説得してもらいたい。


 だが、このままでは中村が持たない。その時間は無い。


 中村の光弾がまた天井を抉る。やはり直接攻撃は意味がない。


「いや…待てよ」


 田中が足元にある水たまりを見て考える。あのロボットは無数の金属片で構成されている。金属片は大小様々。笹原はブロックのようだと評したが、かっちり噛みあうほど、洗練されてはいない。


 この規模の商業施設なら、貯蔵水量はどれくらいだろうか。上水道から水を引き込んでいるのなら水量は無限だが、タンク式となると時間は限られる。端末を引っ張り出して、確認する時間は惜しい。


 田中は急いで行動を取る事にした。物影から出ると隠れるのを止め、堂々と通路を駆け、ロボットの背後に廻り、ショットガンを放つ。


「こっちだ…こっち向け」

「田中君!」


 田中の大胆な行動に気が付いた中村が、田中に向かって叫ぶが、田中は異も介さずにショットガンを連射する。するとその攻撃に誘われるように、ロボットの足が田中に向いた。


 田中は攻撃を止めて、踵を返し、フードコートに向かって走り始める。その田中を追って、ロボットも走り出した。鈍足ではあるが、足だけで大人一人分の長さがある。田中に追いつくのに長くはかからない。


 田中は後ろを振り向かず、ただひたすら目的地を目指した。さっき中村が射抜いた天井。そこから滝のように流れ出るスプリンクラーの水柱の中に。


 田中とロボットとの距離はドンドンと縮められている。やがてロボットの腕の届く範囲にまで田中に追いつく。振り上げられた腕は、田中に向かって一直線に向かって叩きつけられた。


「どおりゃっぁあああああ!」


 絶叫と共に、田中は足先を伸ばしてそのまま滑るように倒れ込む。水で満たされた床は、ウォータースライダーのように田中の体を滑らせた為、ロボットの一撃から逃れる事ができた。


 そして虚空を切る腕は、変わりにスプリンクラーの滝を浴びる。すると、振るった右腕に重心を取られるかのようにロボットは転倒し、大の字になりながら滝を浴びる事となる。


 当然、ロボットは起き上がろうとする。だが、上手くいかない。体が重くなったかのように、床に張りついている。


「ね…狙い通りいって助かった」


 田中は身をおこし、滝の中でもがくロボットを見て安堵する。ずぶ濡れになってはいたが、悪い気分ではなかった。


「どうなっているの?故障?」


 しばらくして中村が田中の元にやってくる。中村も水を被るのを気にもせず、身動きの取れないロボットを見つめる。


 息を切らしながら、田中は中村に説明する。


「これは複数のパーツの組み合わせで構成されています。そこに水が注がれれば、一つのパーツにまとわりつく水が例え数ccでも、全体にすれば何十キロにもなる。スポンジが水を吸い込むと重くなるのと同じですよ」


「良く思いついたわね」


 中村にしては珍しく驚いた顔見せた。田中はそれに苦笑いで答える。


「マジで思い付きでした。上手くいって、良かった…」

「…呆れたわ」


 先ほどの特攻と言い、田中はこういった場になると後先無用で突っ込む癖がある。中村はこれからの注意事項としてそれ記憶する事にした。


「田所主任。こちらは大丈夫です。ゆっくり説得してください」


 無線機からはまだ少女の泣き声が聞こえる。その様子を前に佇んでいるだけであろう田所に、田中はエールのつもりで優しく声をかけた。だが、ロボットがまた形を変え始めたのを見て発言を撤回した。


「すみません。訂正。やっぱりヤバいです。早い所お願いします」


 先ほどとは違い、水が障害になっているのか、変形のスピードは遅い。しかし確実に戦略を変え始めている。ロボット自身に学習機能があるのは明白なため、次に同じ手が使える保証は無い。


 田中はショットガンを構える。


「あなたいい加減にしなさいよ!」


 田中はショットガンをロボットに向けていただけだが、中村の怒号を聞いて直ぐに引っ込めた。しかし、中村の目は田中を見ていない。相変わらずロボットを見ている。


「女の子はねぇ!男がどっちつかずの態度を取るのが、一番嫌いなの!」


 中村の声は、田所に向かっているようだった。


「あんたさっきから、一体何なの?機構の規則まで持ち出しているけど、自分の身を守りたいだけじゃない!私達の規則は言い訳の為にあるんじゃない!」


 中村の怒りは、田中と対峙した時の比では無かった。人は怒りを超えると悲しみを覚えると言うが、まさに今の中村はそんな様子だった。


『俺は捜査員だ!この子と一緒に居れない事ぐらいわかっているよ!』

「もう規則を破った時点で、あなたは捜査員じゃなくなったの!ただの男よ!ただの男の分際で、立派な捜査主任のツラして、何が規則よ!何が一緒に居れないよ!」


 それは怒号というよりは悲鳴だった。田中は中村を制する事も無く、降り注ぐ水の中でただ中村を見つめる。中村もずぶ濡れだった。右目から、水滴が流れ落ちる。


「あなたには選択の余地は無い!もう覚悟を決めるしかないの!男なら世界を敵に廻しても、自分が手にした物を守って見なさい!…このっ」


 中村は腰に付けた無線を引き剥がすと、それを思いっ切り床に投げつけた。


「馬鹿野郎ぉ!」


 そう叫んだところで中村は息を荒げながら、壊れた無線機を目にし、そして田中に顔を向ける。


「ちょっと、やりすぎたわ」


 中村はそう申し訳なさそうに苦笑いを浮かべたが、田中は首を横に振った。


「いえ、大成功です。流石は中村さん」


 田中の耳には、田所の嗚咽まみれの音声が届いている。


『俺は…加奈たちを裏切らない。約束する。ずっとそばに居る。ロボットなんかいなくても、俺が加奈たちを守るから…』


 しばらくして、目の前で蠢いたパーツは動きを止める。田中の耳元には『お父さん、苦しい』と笑いながら嫌がる少女の声あった。


 しばし時間を置いて、田中は本部に事案終了の連絡をした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ