工作課出動事案234 Child Play
福沢との面接後、工作課に課長が付く事になった事を、田中は全員にメールで通知した。その後も工作課の体制について、新たな事が決まるたびに、田中はメールを送信したが、課長の顔を見に来る職員はいなかったし、新体制について何の質問も無い。
元々、事務的な話に興味を持たない連中である。だからこそ、今まで田中に丸投げだったのだ。田中は何時もの事と思いつつも、『実は工作課配信のメールを誰も見てないのではないか』という不安を抱える事になる。
この日もそんな不安を抱えつつ、業務メールをパソコンに打ち込んでいる時だった。
『救援要請、救援要請。こちら第3捜査課。現在、横浜市青葉区内の商業施設グリーンモア内にて特異科学事案が発生。特異金属から成る自律機械により、グリーンモアが占拠されました。既に即応班が現場に到着。調査1課からの分析により、工作課Right Armの支援を要請する。繰り返す、救援要請…』
オフィスの無線機が赤いライトを点滅させながら、救援要請を受信。工作課のオフィスに詰めていた田中は、作業を中断し、地下の駐車場に向かう。オフィスには福沢課長も居たが、互いに声をかける事も無く、田中は救援に急ぎ、福沢はそれを無言で見送る。
工作課のオフィスから、駐車場までは階段を3つ降りなければならず、武装課即応班のようにドアトゥドアで車に乗り込めない。このように工作課のオフィスは立地に恵まれていない為、とにかく車まで走るしかなかった。
だが車にさえついてしまえば、あとは現場に向かうだけで良かった。田中が現場にて必要とされるであろう装備は、事前に車のトランクの中に準備してある。
支給されたばかりの、真新しい青いパトランプを車の天井に貼りつけ、物々しいサイレンを奏でながら、田中は車のアクセルを踏み込む。
車を駐車場から出して公道に走らせる所で、田中は小型通信機を付け忘れていた事を思い出し、ハンドル操作を片手に任せながら、耳に通信機をねじ込んだ。
まだ慣れないせいか段取りが悪い。その事を反省しつつ、田中は職員支給の携帯端末をタップして、もう一人の工作課職員に連絡を取る。
「中村さん、田中です。救援要請あり、今現場に向かっています。中村さんも、現場に急行してください」
第3捜査課は中村ことRight Armを名指しで指名したので、情報は彼女の携帯端末にすでに入っているだろう。あとは事前にメールで通知した通り、他所にいる中村と現場での合流となる。
中村は他の職員同様、工作課のオフィスにあまり立ち寄らず、調査1課の研究施設か、射撃訓練場に居ることが多い為、別働で現場に向かった方が、一端工作課で合流するよりも早い。直ぐにメンバーが揃い、工作課として稼働可能状態で、現場にいる事は優先事項である。
一方懸念もある。もし、田中よりも先に他の職員が到着すれば、田中のいない間に問題を引き起こす可能性がある事だ。だが、今の所、緊急車両用のサイレンを貸与されているのは田中だけであるので、他のメンバーに後れを取る事はあるまい。
そう確信している田中の携帯端末から、抑揚のない女性の声が発せられる。
「もう到着した」
「え?」
「こちらRight Arm。現場到着」
早すぎる。ヘリでも使ったのだろうか。そんなはずがない。
「こちらも急ぎます。すいません」
次に田中は現場の情報を求めた。せめて現場で他の課と問題を起こさぬように、中村を押さえる為にも。
「現場は商業施設。大型のショッピングモールと言った方がいいわね。既に民間人は退避。避難の際に転倒して負傷者が何人か出たようだけど、死亡者は無し。現場封鎖も完了している。私が来る前に、即応班が突入したみたいだけど…」
「けど?」
「負傷者多数で撤退。特異科学機械自体は現在もモールの中よ。それと、その生みの親も」
「科学者によるテロですか?」
「だったら死傷者がもっといてもおかしくないわね。その辺はわからない。3捜が教えてくれないから…」
「中村さんは今どこに?」
「前線本部の前。でもいいの?向こうは私を狙撃配置したいみたいだけど、ここに居て」
「そこに居てください。詳細な状況を把握してから動きましょう」
「それはいいけど…本当に課長は動いてくれるの?いつも通り蚊帳の外なんだけど」
「話は付けてくれているはずです。あとは現場責任者次第ですが」
「埒が明かないなら、独断で突入するわよ」
中村は冷ややかに物騒な事を言い出し、田中は狼狽する。
「それだけは止めてください。何とか情報共有を呼びかけるんで」
無線機の向こうから、陰鬱なため息が聞こえる。
「わかった。とりあえず田中君に任せるわ。そういうの得意そうだからね」
「任せてください」
そう言いつつも、田中自身まったく自信なんてなかったが、兎に角引き受けた以上はやらなければならない。少なくとも、中村独断の強行突入は避けなくては。
幸いにして道は空いており、サイレンのお陰で一般車は避けてくれた。何時もだったら40分はかかる道を25分程度で走り抜けることが出来た。
しかし、もし遠い場所で事案が起きたらとてもじゃないが間に合わない。運輸課に掛け合って、ヘリを工作課用にキープしておかなければならない。それとも、装備課に一台申請を出すか。
問題点を頭に止めつつ、田中は封鎖中の道路脇に立つ警察官に身分証を見せて、封鎖区域内に侵入する。普段ならば、車が行きかうだろう道路にも、買い物客でごった返す歩道にも、誰も居なかった。
田中の車は無人の街を進んでいたが、やがてポツポツと武装した職員の姿が見え始めた所で、車を降りる。グレーの迷彩服を着こみMP5サブマシンガンで武装した、武装局即応課職員の一人が田中に気が付き、近づいてくる。
「工作課の職員です。前線本部は?」
職員全員に工作課への要請が伝わっていたようで、職員は不審がる様子もなく、数メートル先のテントを指差した。
「あんた始めて見る顔だな。新入りか」
工作課の職員は多くは無い。見覚えの無い顔なら、新人と間違われる事もある。
「新入りって事も無いですが、まぁ現場は新人です」
そう短く答える田中に、職員は首を傾げた。
職員の案内もあり、直ぐに田中は前線本部前に辿りつけた。現場はいつも焦燥した人間でごった返しており、道案内を頼むのもままならない。直ぐにここまでたどり着いたのは幸先がいいと田中は思った。
しかし、田中の楽観は一人の職員の姿で崩壊する。
その髪を後ろに束ねた女性職員は、黒タイトスーツを着込みながら本部前の縁石に腰かけて、あろうことか煙草の煙をくゆらせていた。周りには忙しなく走る武装課職員や調査課らしき白衣の職員たち。皆、こんな時に堂々と何をしているのかと、彼女を訝しげに見ては、目を逸らす。
不味い。田中は待たせすぎていた。
「すみません、中村さん。お待たせしてしまったようで」
彼女は返答する前に、吸っていたタバコを握りつぶした。火のついたタバコを握り消しても、彼女は熱も痛みも感じない。本来なら左手と同じようなか細い指が伸びる白い手があるはずの部分に、銀色に輝く機械の腕が取り付けられている。
「田中君。デートじゃないんだから」
そう言って彼女は握りつぶしたタバコを拭いて飛ばすと、立ち上がり田中の顔を見る。左目には潤おいを帯びた黒い瞳が、右目には鈍く輝く照準装置付きのレンズがはめ込まれ、その周りを焼けただれた皮膚が囲っている。唇は笑みを浮かべていた。
「敵をぶっ殺しに来たんでしょう?」
通常使用許可名『中村麻衣』。
元武装局強襲課第8狙撃班所属。現工作課において、戦闘、破壊工作、特殊状況下における狙撃を担当。正式名称Right Arm。
「なるべく人死には避けたいですね。あれから進行状況は?」
「何も。即応班は現場封鎖の上待機。さっき警備課の補充が来たわね。本部も動きは無いわ。さっきから、言い合いしているみたいだけど…」
「言い合い?」
「3捜<第3捜査課>と即応で、意見が割れているみたい」
「1調<第1調査課>は?」
「どっちつかず」
田中は頭を掻いた。中村対責任者との対決を想定してきたのだが、その責任者と他の部署が争っているとは考えていなかった。しかし、それはそれとして田中にはまず確認しないといけない事がある。
「中村さん、『何か』してないですか?」
中村は首を振る。
「狙撃配置を断って、ここで田中君を待つって言ったらそれっきり」
「責任者をはっ倒してないですよね?」
「流石に成長しているわよ。あぁ、でも私の顔、物珍しげに見ていた1調の若いのに根性焼きしてやった」
田中は引きつった笑顔でうなずく。
「うん、まぁ成長は…成長ですね」
今どき、ヤンキーかよという言葉を飲み込んで、田中は前線本部のテントに入る事にした。何にせよ、こちらの話を聞いてくれればいいのだが。
外装のテントは仮設だが、内部はすでに通信機や大型コンソールが運び込まれ、前線基地に相応しい物々しい雰囲気だった。そのコンソールの前で、2人の男が口論を行っている。
1人はグレーの迷彩服に、防弾チョッキを着ている。階級章から見て、即応班の責任者だろう。もう一人はスーツ姿、恐らくは第3捜査課の捜査官で、言い争っている相手を見るに、今回責任者となった第3捜査課の捜査主任だろう。
そのすぐそばにはもう一人。白衣姿だ。言い争いには構わず、モニターを注視している。
「強行突入は避けるべきだ!相手は年端もいかない女の子だぞ」
「だが、街のど真ん中で特異科学事案を引き起こしているのも確かだ!これ以上、解決を先延ばしにしても、時間を無駄にするだけだ!」
どうも第3捜査課は強行突入に反対で、即応班は即時解決を目指しているらしい。こうした言い争い自体は珍しくも無いが、どうも熱が入り過ぎている。
田中はこの中に飛び込む。ややうんざりした気持ちを、問題対処で鍛えた営業スマイルで隠し、2人に声をかけた。
「どうも、お話し中の所すみません。工作課の田中、ただいま到着しました。え~確認なんですが、現場責任者の田所捜査主任でしょうか?」
2人の男の鋭い目が、田中に注がれる。片や屈強な即応班隊長。もう一方は、いかにも頭脳派と言った感じの眼鏡男。返答したのは眼鏡男の方だ。
「話は聞いているよ。君が福沢課長の代理人か」
「代理人は少し大げさですが…。工作課との協働支援を担当します田中です」
福沢課長の通した話は、現場責任者に届いていたらしい。
「っち、工作課が何の用だ?」
反面、即応班からの反応は芳しくない。課長も武装課に対しては、理解されるよう努力すると言っていた程度で、上手く折り合いがつくとは言い切っていなかった。それに業務内容が、工作課と被る部分も多く、縄張り意識から快く思われていない事は、田中も理解していた。
「救援要請通り、Right Armを出動させました。それで、現在の状況と使用された特異科学の性質、今回の事件の発端である科学者の要求などを教えていただければと…」
即応班側は無視したが、田所はおもむろに今回の発端を語り始めた。胸には第3捜査課捜査主任と書かれている。
世界科学機構日本支部捜査局には3つの捜査課が設置されている。1つは対特異科学犯罪の捜査を行う第1捜査課。2つ目は機構を狙った、テロ・攻撃計画を捜査する第2捜査課。3つ目の第3捜査課は、上の2つとはやや性格が異なっており、機構がまだ把握していない科学者の発見、並びに保護を行う部署である。
そのような職務に当たる田所達はある小学校より通報を受けた。内容は『2年生の女子児童が最近、図面や制作らしき活動を隠れて行っているようだ』という物であった。田所は直ぐに捜査を始めたが、科学者である可能性を持つ対象がまだ未成年である事、また彼女ぐらいの子供が真似事としてそうした行動を取る事は発達学上珍しくない事もかんがみて、捜査は少女の周囲には秘匿とし、慎重に行うという方針が執られた。
そういった対応が功を奏し、本人の捜査許諾を両親から認められた。しかしその2週間後、両親は離婚。親権は母親に移り、住所を変更してしまう。移住先自体は直ぐに見つかったが、母親は態度を一変させて捜査許諾を拒否。田所が自ら説得する傍ら、地域の児童相談所や彼女の通う学校などに協力を得て、様子観察という形で彼女を見守った。
「だが、1週間前。小学校の担任が、ある物を見つけた」
田所が言うには、それは一見、微細な金属片が集まって出来たガラクタに見えたと言う。
話を進めていた田所と田中の間に、白衣を着た小男が割って入った。胸元のネームタグには『第1研究課主任笹野』とある。調査局において、第1研究課は機械工学を担当している。
「複合体金属。その性質から1調ではそう呼ぶことにした。これは一定の接地面があれば金属同士がブロックのように結合し、簡単な力でバラバラに出来る事からそう呼んでいる」
「特異科学ではあるんでしょうが、それでは子供の玩具ですね」
そういって田中は、救援通信を思い出す。
「あれ、でも確か自律機械って言ってましたよね…」
「そう。彼女はこれでロボットを作ってしまったようだ。8体が確認されている」
笹野はそう言って先ほどまで見ていたモニターを田中に向けた。
映像はショッピングモールの警備カメラから撮られた物のようだ。明るく照明の刺す通路を、人々が時折足を止めながら進んでいるのが見える。だが、画面奥から数名が走って逃げる様子が映ると、画面に映っていた人たちが一斉に振り向き、同じように画面手前側に走り出した。
人々が去り、無人となった通路を、ツルツルとした光沢をもつ、犬のような形をした物体が、四足で今まさにかけていかんとする映像が流れた所で、映像は笹野の手で止められた。
「これがそのロボットだ。大きさは、全長140センチほど。高さは90センチ程度と思われる。丁度大型犬ぐらいだとイメージしてみるといい」
「金属の番犬ですか…」
「そうだ。しかも厄介な事に、このロボットには直線的な攻撃は通用しない」
「つまり?」
即応班の隊長が苦々しく口を開く。
「銃が効かないんだ。俺の班が突入をかけ、銃撃したが。撃てども撃てどもバラバラになるばかりで、破壊が出来ない。頭を撃っても、残った体のパーツからまた頭を作って突進してくる。しかも攻撃がやんだ間に、落ちたパーツはロボット本体に向かって結合する」
「厄介ですね。爆発物はどうです?」
「バラバラになって、またくっつくだけだろう。それ以前に、あんな建物内で爆発物なんか使えるか。崩落の危険性すらある」
確かにと田中は隊長に頷き、また尋ねる。
「このロボットは、建物の外には?」
「今の所、建物内に潜伏している。今のところはな…」
有効打を与える事の出来ない、攻撃性の高いロボットがいつ囲いから出てもおかしくない状況にある。封鎖範囲外に逃げ込まれれば、民間人への被害すら起こり得る。田中は事態が切迫している事を理解した。
そんな田中に、隊長はイラつきを持って田中に迫った。
「だからこそRight Armを要請したんだ。奴の持つ、レーザー砲ならロボットを粉砕せずに溶解できるだろ」
「…隊長。レーザーではなくプラズマ拡散収束砲ですよ」
笹野がさりげなく捕捉する。
「あのロボットの事はどうでもいい!」
突然、田所捜査主任が田中たちを怒鳴りつけた。
「問題はあの中に、あの子が居る事だ。下手に強力兵器を持ちこめば、彼女を傷つける事にもなりかねないんだぞ!」
田中は突然の激昂に驚きつつも、田所に意見をする。何時もならすいませんで済ませる所だが、もうそう言える立場ではない。
「しかし、どっち道あのロボットを排除しなければならないのでは?」
「あのロボットをあそこに持ち込んで起動させたのは、他ならぬあの子自身だ!これは何かの主張かもしれない。強硬的な手段に持ち込まなくても、説得でロボットを停止させることは出来るはず」
田所の主張は熱に満ちていた。確かに穏当に解決できる手段があるならば、それに越したことは無いが、田中の目には私情に流されているようにも捉えられた。
それは即応班の隊長も同じ。いや田中よりも疑念が強いようで、田所に対し冷やかに口を開く。
「とはいっても相手は子供だ。こちらの説得に応じるとは限らんぞ」
「やってみなければわからない」
「だが、あの建物の電話に向けて、何度もコールをしているが、一度も出ないじゃないか?母親も憔悴しきっている」
「あの子が気が付いてない可能性だってある」
「なら、どうする?今度は拡声器で呼びかけてみるか?」
「必要ならば要請するが…」
2人が言い合いをしている間、田中は大型コンソールに表示されたショッピングモールの図面を見ながら腕を組んで、静かに思案する事にした。少女の現状が不明である以上、どちらか一方に味方することは出来ない。どちらの言っている事も至極まっとうで、同時に欠点も存在する。
それに自分たちは工作課。現場責任者に意向に賛成する事はあれど、意向を拒否して自分達の考えを強要する事は出来ない。ここは静かに状況を見据えるに限る。
「あぁぁぁぁああああああ!」
が、突然大声を上げた。
言い合いをしていた、2人の目が田中を睨み付ける。
「何ですか?田中さん」
話の腰を奇声で折られたのが不服なのか、田所が訝しげに田中に尋ねる。
「あぁ…いえ。ちょ~っと嫌なこと考えちゃって」
「何なんです?」
「いや…。お二人のお話を聞く限り、その女の子が建物の何処に居るかはわからないんですよねぇ」
これに対しては隊長が答える。
「警備カメラを乗っ取って、部下に監視させているが確認は取れていない」
「ロボットの位置は?」
「徘徊しているので、一定の位置には居ないが、まだ建物の中だ。映っていれば場所は正確に把握できる」
「そ~ですかぁ…これは…不味いなぁ」
「さっきっから一体何だ!」
急かしつける隊長にぺこぺこと頭を下げつつ、田中は申し訳なさそうに口を開いた。
「もし、女の子が何処かで怪我をしていたら。どうしようかなって」
「何?」
田所が聞き返す。その様子に先ほどまでの熱っぽさは無く、冷えた物を押し付けられたように蒼白としていた。
「もし…もしもですよ。最初のパニックの時に、倒れた棚の下敷きになっていたり、階段から落ちていたりしてたら…。電話取れないのも、納得できるなぁって」
田中は自分が不味い事を言っているような顔で、そう申し訳なさそうに告げた。
隊長はそれを聞くなり、無言でその場を離れようとした。田所は慌てて引き止める。
「待て!何処に行く」
「突入だ!一刻の猶予も無い」
「そう言ったって、さっきは返り討ちにあっただろう?」
「人数が少なかったからだ!いまは警備課から応援も来ている。しらみつぶしに探せば…」
「大人数でかかっても、あのロボットに有効打なんてないだろう!」
即応班の隊長も、田所も焦っていた。だが、結局の所、最大の障害は少女の放ったロボットだ。即応班の持つ通常火器では太刀打ちできない上に、最初の突入時の状況から恐らくは少女を守るような自律プログラムが起動しているだろう。
つまり少女に隊員たちが近づけば近づくほど、ロボットの攻勢は強くなり、少女を巻き込みかねない。また少女自身が、外部の人間を拒んでいる。逃げ込まれれば、長期戦は必至。逃げるだけの元気が彼女にあればだが。
「…中村さん、居ます?」
田中がそう尋ねると、テントの中に中村が入ってきた。
「居るわ。丁度今、イライラしていた所」
「暴れないでくださいね…所で今の私の声が聞こえたって事は、今回の状況も聞こえていましたよね?」
「えぇ。誰かさんの悲鳴も」
それに田中は苦笑すると中村を手招きして、コンソールの前に来てもらう。コンソールは先ほど同様に、ショッピングモール内の地図が表示されている。平面図の為、南側にある吹き抜けの高低差などはわからなかったが配置を覚えるだけなら、十分だった。
「さて、どうしますか…」
そう言って2人は図面を眺めていた。その様子を見て即応班の隊長は、鋭い声で制する。
「お前たちは、こちらの必要に応じて行動すればいい!工作課に独断行動の権限は無いはずだ!」
それに対し、中村を隊長睨む。片眼は不気味な機械仕掛けの目であったが、それよりもおぞましいのは、ひたすらに殺意を湛えた彼女の左目だった。寄らば切る、口を開いても切る。そんな憎悪を帯びた眼光。
それにたじろぐ隊長を余所に、田中は中村に問う。
「中村さん。『元強襲課』としてお聞きしますが、このようなケースではどう動きますか?」
問われるがまま中村は隊長から目を離し、図面を見る。
「強襲課と言ってもCQB班<近接戦闘>じゃない。狙撃班よ」
「でも、訓練は受けているでしょう?」
「まぁそっちと一緒に動いていたから、何となく方法論はわかるけど…」
強襲課と聞いて、即応班の隊長は息をのんだ。
強襲課は即応課・警備課と共に同じ、武装局に属する戦闘特化の部署ではあるが、その中でも頭一つ飛びぬけた強豪である。その名の通り強襲専門、つまり機構や担当地域の治安に対するテロ・攻撃を、それ以上の力でねじ伏せる為の部署。いわば『機構の拳』である。
彼らは時として支援が十分でない地域での活動など過酷な状況も考慮されるため、強襲課基礎訓練コースと称する選抜が実施されている。書類選考を経ての訓練の故、コースに選ばれただけでも強襲課以外ならばどの部署でも通用するといわれる。だが、例え選ばれたとしても、訓練を通過できるのは30%程度しかいない。
機構の有するエリート戦闘集団。
「8体…。この数で、あの建物を掌握するのは無理ね」
「そうなると、建物内の警備はガバガバですか」
「えぇ、真正面から正直に突入さえしなければ、中に入る事自体は楽ね」
「駄目な時は、即応課がプランBになります」
「行くっきゃないわね」
2人は小声で何か話しあっているようだったが、3人には良く聞こえない。しかし中村が突然話を締めくくったと思うと、田中はプランを説明する為、3人の前に立った。
「第3捜査課、即応課からも結論が出ない様なので、工作課独自のプランを説明したいのですが、よろしいですか?」
先ほど田中たちの意見を封殺しようとした即応課隊長からは何の反応も無かった。中村の存在を警戒しているらしい。一方、田所主任は状況打開の期待を込めて、静かに頷く。
「我々は潜入という手段を取ろうと思っているのですが、いかがでしょう?ロボットを刺激せず、その子だけを救出しようという魂胆です」
田所が訪ねる。
「そんなにうまくいくのか?」
「それについては、中村さんが」
そう言って、田中は中村の後ろに控えた。
「勝算はかなり高いと思ってもらっていいわ。この建物は一見すれば、見通しが良さそうに見えるけど、実際は商品棚や、店同士の仕切り、店員用のバックヤードなど、入り組んだ構造をしている。ロボットがどんなセンサーで動体を捉えるのかは不明確だけど、前に立つなどの接触を避ければ、店内を自由に見て回れるはず」
それに対し、田所が異論をはさむ。
「しかし、向こうが見えないならばこっちからも姿は見ないぞ」
「その点については問題ない。私たちは、あの建物の監視カメラを掌握している。即応課が、ロボットの姿をマークし、その情報を潜入チームに送れば、接触の可能性はかなり低くなる」
隊長はいつの間にか頷きながら話を聞いていた。
「なるほど。では、潜入チームは1分隊<4名>で十分だろう。数が多ければ、それだけ見つかるリスクが高まる」
「いえ、1分隊も必要ないわね。私一人で十分。言いだしたのは私。発言の責任は自分で取るわ。ただし、私が失敗した場合、あなた達の突入がプランB<二次作戦>になるけど…」
「まぁ、それは構わない」
即応課からは異論なし。そもそも、隊員たった一人をあのショッピングモールに配置し、こっそり探させるなど、自殺強要にも等しい。即応課の最小行動単位は分隊である。チームプレイに自信があるが、単独行動は想定していない。
それに、工作課である中村が失敗した所で、即応課には痛むものは何もなかった。失敗時の突入を勧められたが、それは願ったりかなったりだ
その際中、沈黙を守ってきた笹原が中村に尋ねる。
「所でロボットに対する分析情報は必要か?」
笹原の提案に中村は力強く頷く。
「出してもらうに越したことは無いわ。情報があればあるだけ楽になる」
「わかった。作戦開始までにまとめておこう」
話がまとまり始めた所、田所が険しい表情で手を挙げ発言を求める。中村は黙って頷いて、発言を進める。
「だが、もしあの子を脱出させたところで、ロボットはどうする?最悪、あの子を追って建物の外に出かねないぞ?」
「確かに。子供が作った物なだけ、どう動くかはわからないわね。彼女も停止に納得してくれるかわからないし」
中村が腕を組んで思案し始めたが、それを遮るように田所は意見した。
「なら、その潜入作戦。俺も参加していいか?」
「あなたが?」
「俺はあの子とも面識があるし、多少好かれている所もあったと思う。それに…言っていいかわからないが、あんたの見た目は子供ウケが悪いだろうし」
田中の顔が一瞬で蒼白になる。中村に対し外見の話を持ち出すのはタブーだ。せっかく話がまとまりかけていたのに、この一言で中村の機嫌が損なわれれば、田所主任に危険がせまる。ロボットではなく、中村の手で。根性焼き。
「…そうね。彼女に接触するとなれば、あなたの方が適任でしょう」
田中は安堵のため息をつく。中村は自分の外見に関するジョークや眼差しに対し、即開戦で対応するのが他者との基本的交流手段であった。しかし、作戦に関わる部分であるなら自制するらしい。これは田中にとっても、意外な発見である。
そんな田中の安堵を察する事も無く、中村は田中を呼びつける。
そして普段通りに、気だるく陰鬱とした声で、一言告げた。
「あなたも潜入して」
突然の作戦参加に再び田中は蒼白となる。
「マジですか?」
「大マジよ。私一人では、彼を守りながらだと厳しい」
「いや、必要はない。自分の身は、自分で守れる」
「そうしてもらうと、助かります」と田中が言いかけた時、中村が発言を遮った。
「いえ、田所主任。あなたが、自分の身を守る事態は避けなければならないわ。即応課ですら対応できない相手に、あなたが出来る事は殆どないでしょうし、説得に当たってあなたを失う事は、そのまま作戦の失敗となりえる。もし発見された場合、あなたを逃がして、変わりに戦う人間が必要なの。彼は適任よ」
「マジっすか」
田中の様子を見て、田所は疑問を呈する。
「彼は事務屋だろ?とてもこういう事になれているとは思えないが…」
「いえ、彼はこう見えても強襲課基礎訓練通過者よ。戦闘に置いては一通りのことは出来る」
田中は首を横に振る。
「いや、2年近く事務仕事しかやってないんですけど」
「勘は現場に出れば取り戻せるわよ。では、潜入チームは、私、田所主任、田中君で。即応課は建物内の情報支援。第1調査課も支援をお願いします。それと即応課は、もし私達が失敗した場合、即座に突入を開始してください。我々が死んでもあなた方はいます。これより本作戦をCat Walk<忍び足>作戦と呼称します。では、解散」
異論は出なかった。ただ一人田中は、異論をはさみたかったが、暴力も辞さない中村、自身の犠牲も問わない田所の手前、何も言えなかった。だから仕方なく、他のメンバーのように黙々と準備を開始するためにその場を後にした。