工作課課長就任
2004年 世界科学機構日本支部設立
日本での『特異科学事案』の発生件数の増加と、同国の製造並びに経済における国際的重要性の観点から世界科学機構東アジア支部から、日本国内の活動に特化した日本支部の独立設置を承認します。以後、アジア支部はアジア地域本部として日本支部、中国支部への統括を行います。
日本支部の組織構成は以下の通りとします。
<<日本支部統合部>>
日本支部長:日本支部における最高責任者。本部指示の統理と、理事会決議案への承認を行う。
日本副支部長:支部長の任命により3名が着任。支部長の補佐、並びに支部長の不在または死亡時の代理となる
日本支部理事会:日本国内における組織運営並びに業務遂行案の策定を担う。
日本支部審査会:日本国籍を有する非機構職員の有識者により構成される。機構外への法的、倫理的影響に対し、是正並びに助言を行う。尚、機密情報への接触規定と安全保護は職員同等の物を確保する。
日本支部統合部は以下の局を統括します。
<<運営局>>
総務課:総務並びに法務を担当。
人事課:人員の配置事務並びに雇用を担当。人事育成1課、人事交渉2課、人事審査3課からなる。
会計課:会計事務担当。機密性の高い情報・人員に関わる会計1課と一般費用を担当する会計2課からなる。
給与厚生課:職員の給与並びに更生事務を行う。職員のカウンセリング、並びにハラスメント問題への対処を担当する。
施設課:特異科学の収容または科学者の保護施設の確保、建造に関わる事務を担当する。
装備課:特異科学への対応に必要とされる装備の調達、手配に関わる事務を担当する。一般的な用品、または専門的精密機器は第1装備課、軍需品に相当する装備は第2装備課が担当する。
<<調査局>>
発見された特異科学の検証・実験を担当する。
第1調査課:電子工学・機械工学担当
第2調査課:薬学・化学担当
第3調査課:生物・遺伝子工学担当
第4調査課:情報通信・ネットワークテクノロジー担当
尚、医学・生命倫理に関わる研究は、統合部が個別に承認し、倫理委員会の監視の元において行われるため専門の調査課は設置されない。
<<捜査局>>
特異科学の関与が疑われる事件・人物に対する調査、並びに保護を目的とする。
第1捜査課:特異科学が用いられた事故・犯罪行為を担当する。
第2捜査課:機構に対する犯罪・破壊行為を担当する。
第3捜査課:機構が把握していない科学者への調査と保護を担当する。
<<武装局>>
統合部の承認により常駐、もしくは各課の要請に応じて出動する武装部隊。
強襲課:特異科学、またはそれを用いた組織・個人への襲撃・制圧担当
即応課:科学者・職員への緊急保護を担当する。
警備課:機構施設や保護施設の警備を行う。
<<輸送局>>
特異科学や、職員の輸送を行う。
陸輸課:陸路での輸送担当(国内に限り、ヘリコプターでの輸送も担当する)。
空輸課:空輸並びに国外への移送、移動手配担当。
海運課:海路での輸送及び、国外への移送、移動手配担当。
<<通信局>>
機構内の通信機器の管理と暗号策定を行う。
第1通信課:重要度の高い機密事項の保護、暗号の策定担当。
第2通信課:機構内の通信機器の管理、設営担当。
<<倫理委員会>>
日本支部統合部、並びに各局より独立して存在する監査組織。日本支部統合部以下各局は必要に応じ倫理委員会の監査に協力しなければならない。また、倫理委員会は支部内にて大規模な倫理的違反が生じた場合、関係部門並びに関係各員に対し、業務停止命令を出すことが出来る。その後当該事案は日本国法、国際法に則り、処罰される。
<<非公式部隊>>
以下は組織図上存在しない物として扱われる。
工作課:以下の特異科学を所有する。
正式名称:Alter ego、通常使用許可名『田中』
正式名称:Right arm、通常使用許可名『中村麻衣』
正式名称:Check six、通常使用許可名『マイク・E・篠塚』
正式名称:Dr Patient、通常使用許可名『霍川始』『DP2』
※ブレイバー並びに、グレイブレイバーは正式名称ではないため使用しない事
正式名称;Under stand、通常使用許可名『倉山鉄夫』
追記:平成26年4月2日を持って、工作課に課長職を宛てる。
(2001年2月20日、世界科学機構エンデル・ハークマイアー総裁国連演説)
19世紀の中ごろ、とあるパン屋の娘が図面を書いた。
彼女はこれが遠くに居る人とも、直ぐ傍にいるように手紙や絵のやり取りができる『網』であるといった。そしてそれを実現する為に、銅線や様々な機械を作っては繋ぎ合わせ、彼女の言う『網』は完成した。これがインターネット回線の原初版であり、200年経った21世紀現在も広く使用されている。
このような、出来事は世界史を紐解けばざらに出てくる。
世界は常に一握の天才の手によって更新されてきたのだから。
さる聖者の弟子は、その言葉を広く伝える術として活版印刷を思いつき、それを作り上げた。ある女性は、病気で寝込む息子の看病をしながら、その状態をつぶさに観察し、現在に繋がる看護技術を体系的にまとめた。また、あるウェイターは客飲み残したジュースに刺さったストローを片づける時、ふと自分たちの次元の中にこのストローのような別次元が刺さっているのではないかと仮説を立て、特殊空間転移技術の基礎理論を作り上げた。
彼らはある日突然、特異な発想が浮かび、そして既存の技術を用いながら、それを完成させてきた。その特異な発想を我々は『アイディア』と呼び、そして、彼らの技術は『科学』と呼称され、世界を変えた彼らは『科学者』と呼ばれた。
そして『科学者』によって人類が受けた恩恵と脅威は、ざら所の話ではない。
『科学者達』の『アイディア』が飢えや病を無くし、戦争すら回避し多くの人を救った事もある。その一方、『科学者』達が悪用され、結果多数の人命を奪う事態に発展した事もある。
両端ではあるが、どちらも一つの時間の上で起きた事として、同じ年表に描かれている。そしてその年表こそ人類の歴史だ。『科学』の恩恵と脅威は常に人類と共にあった。例え恩恵と釣り合わない脅威があったとしても、我々は『科学』を手離すことは無かった。
なぜなら、『科学』自体、そしてそれを生み出す『科学者』自体に、善悪はない。それを使う者にこそ、善悪が問われるからだ。よって我々は『科学』の発展を制限しない。
我々はそう自分に言い聞かせて来たのだ。
つまり『科学』がもたらす諸問題を、交通事故が起きても車の使用を禁止しない事と同じ程度に考えていたという事だ。そして交通事故の話と同じ事として、誰も『科学』の発展に疑問を呈しなかった。かくして恩恵と脅威は長く続いた。
しかし、この価値観は崩れ去る事となる。
他ならぬ『科学』の恩恵と脅威によって。
それは1942年11月20日に突如として訪れた『未来』という形で現れた。
アメリカ、ニューメキシコ州ロスアラモス。周辺地域を大規模な停電に陥れながら現れたその炭素繊維の塊はスーツを着込み、自身を21世紀から来た人類と呼んだ。
それを証明するかのように彼がトランクケースに入れて持ち込んだ大量のA4書類は、その後3か月間の全ての未来を言い当てた。しかしこれは、予言ではない。未来の人類が、自分たちの足跡を振り返って得た、観察記録でしかないのだ。
そしてこの炭素繊維で出来た人類こそ、我々の向かう先。21世紀に待ち受けている物だ。『科学』は人類の有り様まで変えていた。彼は呼吸を必要しない所か、食事や睡眠といった人間の生活基盤となる本能すら不要としていた。いや、去勢されていたのだ。
彼はこれこそが、彼の時代に必要とされる人類の姿であり、この姿なしでは存在する事すら不可能であると言った。これがほんの60年先の未来だ。その間に『科学』が我々のコントロールを離れ、人類の希望と悪意を喰らいながら、全てを文字通り更新してきたのは明白だった。
これこそが『科学』が人類にもたらした最悪の脅威である。
だが、未来から来た友人は我々に対し、もう一つの未来を提示した。
「20世紀後半から、『科学』の暴走が始まる。しかし今の時点で手を打てば、今後発生する『科学』を抑制する事が可能だ。このまま我々の時代に到達してしまえば、私のように『人間』と『科学』の垣根を分ける事すらできなくなってしまう。今しかないのだ。私はその為に時空を超える装置を作り、君たちに伝えに来た。もう、我々の時代では全てを元に戻す事も出来なくなっている。頼む。『科学』を人類の手に取り戻してくれ、そして飼いならしてくれ。我々が我々であるために」
この届けられた言葉こそが、『科学』が人類にもたらした最大の恩恵である。
手は即座に打たれた。彼の資料を基に、今後予見される革新的科学を発見し、ありとあらゆる手段と、膨大な予算、そして時に職員の犠牲を伴いながら、重要機密として収集した。結果、人類の技術発展速度が大きく低下し、現在も20世紀前半程度の技術レベルを維持しているが、それこそ我々が望むべき代償である。
我々は、我々のまま、21世紀を迎えることが出来たのだから。
とは言え、これが我々に安息の時代をもたらす物ではないと承知してほしい。
21世紀現在も、『科学』の暴走、あるいは『科学』を悪用する人間は枚挙に暇がない。
最早、友人が持ってきた記録も底が付き、後は予見不能な我々の未来が待ち受けている。もう一つの未来が。
私はここに、「世界科学機構」の存在を宣言する。
私達の目的は唯一つ。『科学』の脅威から人類を救い、人類の脅威から『科学』を守る事にある。我々が集積した『科学』は、今の人類には過ぎた道具である。そして無垢なる『科学』にとって、今の人類はやんちゃ盛りの子供に等しい。
となれば、垣根が必要だ。この2つを分ける垣根が。
そして、私達はその垣根となる事を誓うと共に何時か私達が取り払われる事を願う。
それは過ぎだったもう一つの未来という形ではなく。
人類の成熟をもって、取り払われる時を。
世界科学機構日本支部支部長室執務室に額入りで掲げられたその演説文を福沢祐一は無言で眺めつづけ、そして呟くように言った。
「しかしその垣根自身は、人なのか科学なのか」
福沢祐一は、本日付で世界科学機構日本支部工作課課長に任命される事となった。任命は日本支部長島根沙織によって直接辞令を受け渡す形で正式な着任となる。これは単なる事務的な任命というよりも、儀式的ともいえる体裁だったが、執務室に福沢と島根以外の人間はいない。
島根は面会用のソファーに座り、福沢に対面の席を勧めながら尋ねた。
「工作課の人員は把握しましたか?福沢課長」
「先日資料を確認した。一筋縄ではいかない職員ばかりだ」
福沢は日本支部の最高責任者である支部長に対して、不遜な言いかたで返答した。今回の人事案は、支部長決定とは言え決して福沢を愉快にするような物では無かった。
「えぇ。だからこそあなたを任命しました」
「左遷的な人事だと、支部内では嘲笑的な意見もあるが?」
島根は苦笑して、首を横に振る。
「今までの工作課の立場を考えれば、そういった意見も理解は出来るわね」
島根は緊張した様子もなく、談笑に応じるように振る舞う。だが、福沢は態度を崩さない。
「その様子だと、私を窓際部署に捨て置くつもりはない…という事か」
「かつて捜査課だったあなたならわかるでしょうけど、私達が保護しようとする特異科学は、私達だけの手に負える物では無い。技術水準の抑制維持を目的とした現在の我々では、手に余る問題も多いのが現実」
「だからこそ、特異科学を持って特異科学を制する…」
「各支部は、非公式部隊である工作課の設置を認められている」
福沢は上着の内ポケットをまさぐる。
「…ここは禁煙か?」
「特に決まりは無いわ。でも、灰皿も無いわよ」
福沢は「自前のがある」と言って携帯灰皿を机の上に置き、煙草に火をつける。禿げた頭に黒縁の眼鏡をかけ、タバコを愛飲する福沢は疲れた中年のように見えた。事実、機構内での福沢の評判は、『地味で大人しい事務屋』という評判が多い。
しかしそれはあくまでも外見上から出た話でしかない。福沢祐一は、特異科学を使った犯罪並びに事故を捜査する第1捜査課の捜査員を皮切りに、運営局人事審査3課課長のポストまで上り詰めた人材だった。決して派手な人物ではなく、話題に上るような成果も無いが、結果だけは着実に残す。
「だがなぁ、『お嬢ちゃん』。これは一つ間違えば、機構の存在理由を機構自身が否定する事にもなる。だからこそ、工作課はその権限のことごとくを制限されている」
自らをお嬢ちゃん呼ばわりされた島根沙織は、その言葉に対し、感情的になる事は無く変わらず話を進める。
「その通り。機構はロスアラモス・ショックから身体改造など、人間の科学化を否定する立場にある。その前提を私は忘れていない」
そう淡々と語る島根沙織は、福沢とある意味対照的な人物であった。
年齢は福沢よりも20歳ほど若く、淡い水色のスーツを着こなし、人に温和な印象を与える。日本支部長になったのは1か月前。フランス本部での管理実績を認められ、日本支部長に任命された。いわゆる海外組である。長年日本支部に在籍した福沢とは違い、まだ支部内での実績は無い。
「しかし、他の支部ではすでに、工作課を中心に据えた事案解決手順を模索し始めているわ。イギリスでは工作課が中心的に対処し、実績をあげているの。日本支部もこの流れに乗り遅れるわけにはいかない」
「国外はあくまでも国外だ。日本はヨーロッパに比べ、科学や科学者に対する不信感が根強い。目立ったことをすれば、急進派と叩かれるぞ」
「確かに、『宮下事件』のショックは大きいでしょうね」
「大きいなんてものじゃない。科学者が世界征服なんてお題目掲げて、本当にそれを成功させちまう一歩手前だった。事件というよりも戦争だ。この国の国民も支部職員もあの事件から立ち直っていない。それに加え、工作課の権限強化なんて始めたら…俺達が第2の宮下孝雄と言われかねない」
宮下事件。正式名称、本部対処事案144。これは科学者が起こした特異科学事案の中でも大規模な特異科学犯罪であり、当時の日本支部のみでは対処が出来ず、各国の機構職員の努力を持って沈静化に至る。それにより、日本は大きな痛手を負う事となった。
「権限強化ではないわ。あくまでも実績を上げる工作課を作るのが、今回の人事の狙いなの。その為には、司令官が必要よ。『個性的』なメンバーを束ねられる司令官が」
「それがそのまま、お嬢ちゃんの実績になるわけか。そういう政治的な狙いなら俺は降りるぞ」
煙草の煙を吐き散らして、福沢は席を立つ。
福沢はあくまでも、人である職員によって特異科学を制するという立場であった。特異科学を内蔵する職員によって特異科学に対処すれば、いずれ人間の科学化を推進しようという流れに繋がっていく可能性も否定できない。それはつまり、機構の存在目的の否定である。
そう言った考えを持つ福沢からすれば、例え権限の強化に至らずとも工作課の積極運用自体言後同断。この不遜な態度はその意思表明であった。
これは若いとはいえ日本支部の最高責任者たる支部長への無茶苦茶な態度だ。しかし、福沢の恫喝は島根を狼狽させる事も無かった。
島根は福沢の暴挙に構わず、ただ呟く。
「もし、工作課が機能すれば、宮下事件はもっと少ない被害で済んだかもしれないわね」
福沢の足が止まる。島根は話を続ける。
「当時、日本支部では工作課は設置されていたけど、有名無実だった。その為、宮下事件に対し、通常職員で対応。結果、多数の犠牲を伴い、事件は国際的な規模にまで発展した」
「結果論だ」
「えぇ。結果論が出た以上、それを元に次は防がなければならない」
福沢からすれば、足を止めるに十分な言葉だった。福沢としても、事例144の被害の甚大さは仕方がなかったとは言え見過ごせない問題でもある。人事局員として、問題の対処に追われることになったが、有効な打開策を見いだせずにいたのも現実。
福沢は問う。
「工作課がその答えになるのか?」
島根は答える。
「私は宮下事件が、単なる日本支部の対応不足によって発生したとは思っていない。問題はもっと深い所にある。あなたは気が付いているはず」
島根は福沢を真っ直ぐと見つめる。
逆に福沢が問われる形となり、福沢はバツの悪い様子で苦々しく答える。
「科学後退方針が執られて以降、社会の科学者に対する差別的な風潮はあった。宮下事件はそうした風潮への反動として生み出された側面は…あるだろうな」
事件とは単一の原因によって構成される物でない事を福沢はよく知っていた。悲劇は常に様々な要因と、様々な人間からなる。そして、それらがまるで歯車のように組合い、歪に回り始める事で、事態は最悪を生み出す。
宮下事件も結局のところ、そうして吐き出された悲劇の一つだ。
「その風潮は日本支部も覆っている。科学と人間を分ける垣根である私達が、その風潮を黙認すれば、第2第3の宮下事件も起こりかねない」
「その点は、否定も肯定も出来ないが…」
そう言いかけた所で福沢は、何かに気が付いたように目を見開き、興奮したように捲し立てる。
「あんたがやりたいのは、つまり『そういう事』か?あんたは夢想家か?人の心って奴はそう簡単に変えることは出来ないぞ」
「えぇ。だから現実家が必要なの。日本支部にとっても、工作課にとっても」
島根の目は福沢を捉え続ける。その真っ直ぐとした視線は相手を疑うものでは無く、信頼している者へ向けられるような眼差しであった。福沢は島根を否定した手前、そうした視線を受ける事を居心地悪く感じた。
それと同時に福沢は戸惑った。話は単なる人事と工作課運営の話から、壮大な物語に変わろうとしている。それも可能なかどうかは福沢自身も判断できないほど、大きな物語に。
現実家ならば、このような話は否定するだけでよかった。出来るはずがないと一刀両断してその場を離れればいい。福沢はすでにそのような態度を取った。
しかしこの若い支部長が本気であるのならば、計画は恐らく福沢抜きでも進むだろう。そうなれば、この物語の修正に福沢が関わる事は出来なくなるかもしれない。もしそうならば、単純な否定は短絡的でしかない。
福沢は沈黙のうちに自分に問う。この物語に組み込まれるか、この物語を拒絶するか。
「支部長。この案は、工作課独力で進めるのは不可能です。他の課との連携が物を言いますな」
福沢は島根の目を見つめ、物語に乗った。結局、上手くいく確信は無かったが、この支部長が簡単に諦める様な人間ではない。島根の眼差しを福沢はそう見定めた。
「支部長として出来る限りの事はします。すでに調査局局長はこの話に前向きのようです。ですがその他の現場レベルの協力に関しては、あなたが動いた方がいいでしょう」
「確かに。捜査局は多少コネがあるので何とか理解は得られるでしょうが、武装局とは…」
「武装局の指示系統の一部は、統合部の管轄です。彼らが何処までやる気になってくれるかはわかりませんが、指示は出します」
「しかし、統合部も一枚岩ではないでしょう。理事会は兎も角、審査会は外部の人間で構成されています。彼らが工作課に肯定的とは思えません」
「そこは根強く説得します。ただ、説得材料である実績は、工作課から捻出してもらうほかありませんね」
「わかりました。当面は捜査局の抱える案件への支援という形で行動します。しかし直ぐに実績を作る事が出来るかどうかは、約束できません。工作課自体にも問題が多い。それにも対処しなければ」
「構いません。焦ることなく、着実な行動を願います」
島根は立ち上がり、福沢に手を差し出す。
「本日よりあなたを、工作課課長に任命します」
「謹んで、拝命いたします」
福沢は島根の手を握った。
工作課職員である田中は突然の呼び出しに動揺しながら、面接室の簡素な部屋で相手が来るのを待っていた。
「あ~、一体何だろ?」
そう言って天井を見つめる。そこに答えが無い事を知りつつも、青白い顔でそこに答えを浮かべようとする。浮かんでくるのは、工作課が抱える様々なトラブル。
Right Armが気にくわないと言う理由で、捜査課の主任をぶっ飛ばした件だろうか。
それともCheck Sixが、また女性職員に手を出したのか。今月で3件目。
もしかして、Dr Patientが勢いで破壊した民間人所有のポルシェの賠償の件。
はたまた、Under Stand。いや、彼の問題は表ざたにならない。全部、彼自身が汚い方法で隠匿しているのだから。
田中はそういった工作課の撒き起こす問題の対処を担当していた。実際には、正式に割り振られた担当では無かったが、他の職員にそれを求めるのは不可能だったため、消去法で田中が問題対処担当となった。
「解雇…は無いにしても。謹慎…まぁ、休暇にはなるか。でも減給はマジで勘弁してくれ、新車買っちゃったんだから…マジで」
想像は原因を飛び越え、その先にある処分にまで及ぶ。例え、田中自身が起こした問題ではなくとも、対処担当である以上は巻き込まれる可能性は十分あった。
田中は安い作りのパイプいすに寄りかかる。展望は暗い。さながら糸が切れた人形のように、椅子に身を預けるしかない。
その時、面接室のドアが開いた。田中はだらしなくもたれかかった姿勢から、急いで立ち上がり、ネクタイを直しながら入室者に一礼する。
「おはようございます。福沢課長」
田中が知る福沢は、人事局人事審査3課課長。職員の適性検査を行う部署の責任者だ。通常の適性検査のやり取りならば、審査課の職員が来れば事足りる。課長クラスが動くとなれば、懲戒に当たるほどの何かがあったと考えるのが普通だった。
「おう。まぁ座れ」
そう言って、福沢は田中に着席を勧め、自身も対面の椅子に座る。
「名前は…Alter Egoか。工作課は職員に変わった名前を付けるな」
「あぁ…正確には名称です。工作課の職員は特異科学でもあるので、名前では無く特異科学に付く名称で呼ばれます」
「普通の呼び名は無いのか?」
「一応、私には『田中』という名前の使用が許可されています」
「下の名前は?」
「付けられてないです」
福沢は特に書類なども持っておらず、変わりにライターを手の中で転がしている。
「中々、特殊な世界だな」
「まぁ…そうですね」
どこか含みのある福沢の言葉に、田中は曖昧に答えた。
それからしばしの沈黙。外では武装局の職員が訓練をしているのか、ヘリのプロペラ音が部屋の中に響く。
「でも、結構いい人達ですよ。工作課は」
沈黙に耐え切れず、田中はヘリの音を掻き消す様に主張した。
「まぁ、彼ら自身。他の人に理解できないような物を所持したり、移植されたりしているので。ちょっと、トラブルになりがちというか…誤解を受けやすいんですよね~。ハハハ」
勇ましかった田中の声は、乾いた笑い共に小さくなっていく。
「ふ~ん」
福沢の返答はそれだけだった。またも沈黙が部屋を包む。響くヘリの音。田中にとっては、そのまま押しつぶされそうな心地で福沢の口が開くのを待った。目は自ずと、何もない机を見つめている。そこに答えが無い事を知りつつも。
田中にとって長い長い数秒が経って、福沢が口を開く。
「お前は、遺伝子特異科学によって作られた万能人間だそうだな、『Alter Ego』?。如何なるタスクを与えても、平均的な人間以上の成果を発揮するとか」
「お褒め頂き光栄です」
「だが、専門的に特化した人間と比べると一枚劣る。射撃成績は、一般的な武装課職員の平均値以上だが、狙撃班のそれには届かない。書類処理も運営局の熟練スタッフほど効率は良くないし…面談の印象としても、まぁ普通だな。好印象だった奴らに比べると」
「…善処します」
田中は一礼。福沢はそれに構わず話を続ける。
「だが、それが他の工作課職員に無い君の特性だ。他の職員は、ちと個性的過ぎる」
「その通りですね」
「今後、他の部署との協働に当たるうえで、恐らく君が中心人物になるだろう」
「はい。当工作課で起きた不祥事、不始末は私田中が、全力を持って処理させていただく所存です。なるべ~く、人事審査3課のお手は煩わせない様に勧めますので…」
「そういう話じゃ…あぁ、そうか。知らないのか」
福沢は内ポケットに折りたたんだ辞令書を取り出して、田中に見せた。
「え~っと『福沢…ゆういちを、工作課課長に任命す』。ってマジですか!?」
「決まったのはついさっきだ。それと、福沢『すけいち』な」
「すいません」
「まぁいいよ。よく間違われるから。そんな事よりも、今日から俺が工作課課長になる。今まで、工作課には課長が居なかったんだな」
田中は福沢の目を見て頷く。
「はい。工作課は、他の部署の救援要請への対応が主な業務です。その為、指揮権は要請先の部署が担っていました」
「まぁ、今後はそうもいかなくなる。救援要請を受けるのは変わらないが、現場の実情をこちらも考えて、適切に動く」
「はぁ…。しかし、他の部署は指揮権が我々に移るのを快くは思いません。正直、救援先の指示で動いた方がスムーズと言いますか…」
福沢は顔を顰める。
「言う事聞いてれば楽だってか?2か月前の救援要請の際に、君たちは何をしていた?」
福沢の表情を見て、田中は件の救援要請の内容を思い出そうとするが、何だったか思い出せない。止む無く「覚えていません」と申し訳なさそうに声を絞り出した。
それに対し、福沢は何も見ずともツラツラと要請内容を語る。
「野次馬の規制だ。そんな事、工作課に頼まずとも地元警察に任せればいいだろうに。他の部署は必ずしも、工作課を適切に運用しているとは言い難い。そもそも、工作課を出すようなケースか、これは?」
「いやぁ…正直、こっちは救援要請を受けて出動する立場なので、任務に拒否権は無いですし」
田中は福沢の機嫌に触れぬよう申し訳なさそうに頭を下げながら、情けない工作課の実情を伝えた。田中自身、こういった状況にあるのは、工作課の怠惰と受け取られても止むからぬと考えていた。ひねり出した理由も、見様によっては言い訳だ。
しかし、福沢は田中の言い訳に激昂する事も無く、さも当然といった様子で頷く。
「そうだ。拒否権は無い。工作課はあらゆる救援要請に対し、迅速に駆けつけ、解決の為に尽力する。それが雑用であっても、犯人の射殺を目的とした強襲作戦でもだ」
「そういった物騒な話は、武装局が…」
「武装局の出動は全ての答えではない。武装局が結論を出せない事態に至った時、我々が介入する」
「まぁ…確かに。そう言った荒事に強い職員も、工作課に在籍していますからね」
「そうだ。だが、そう言った職員が今まで活かされてこなかった。これでは人材を腐らせるだけだ。腐ったままでは、他の部署も活かそうとはするまい」
「まぁ…そうですねぇ」
田中は福沢の言う真意が読み取れず、ひたすら曖昧な返答を繰り返した。
元々、辞令公示無しの人事など、工作課では珍しくない。『やむを得ず設置された非公式部隊』。それが工作課である以上、人の出入りを表ざたに出来ない。さらに、工作課職員は機密重要度5の特異科学を使用している。どの職員がどう言った能力を持っているか自体も、機構が社会から隔離すべき科学情報でもあった。
よって福沢の任命に関する一連の流れは機構の対応としては普通でもあるし、また異常でもある。
普通である事は、いつも通り突然の人事異動である事。異常である事は、経験豊富とは言え、福沢自信なんの特異科学を所持していない普通の人間である事だ。
それに加え、今まで居なかった課長職の設置。これは通常の組織人事でなら普通の事であるし、一方で日本支部工作課では前例のない事態でもある。
田中にとってすれば、今後の工作課が今まで通り運用されるのか、それとも全く違う形に変わっていくかは判然としなかった。喜ぶべきか、憂うべきかも。
「で、その中で特に腐った卵みたいなのが君だよ」
「それはつまり…私を解雇するおつもりで?」
「するか。さっきも言ったな?中心人物になってもらうと」
「腐った卵に?」
「その『何言ってんだ?こいつ?』って顔止めろ。言葉の綾に噛みつくなよ」
「あぁ…申し訳ない。ですが、先ほどから仰っている事が飲み込めなくて」
田中は申し訳なさそうに頭を下げる。
福沢はため息を吐きつつ、捕捉を行う。
「君、ここ着てから事務仕事と、他の部署へのあいさつとお詫び回りしかしてないだろ?どちらも必要な仕事かもしれないが、君の能力を鑑みれば、本来の仕事は『個性的な工作課』と『他部署』との橋渡しだ。今後、君が引き受けていた問題処理は私が行う」
「つまり…クビと」
「君が話を飲み込めないのは、君が結論を急ぎすぎるせいだな。まぁてっとり早く言うと、変わりに仕事を与えるって事だ。今後、他部署からの救援要請があった場合、君も出動する」
「あぁ…現場に行って頭を下げろと…」
「だから謝る事から離れろって。君も救援要請のあった工作課職員の補佐として出動するって話だ」
「補佐…ですか?」
「そうだ。工作課の職員は…正直に言おう、機構職員としてはアクが強すぎて、他の部署との連携が全く話にならない。他部署とのケンカ、必要のない物品破損、規則違反。その他、色々と人事課時代から私の耳に入っている。この原因は明白だ。緩衝材となる人材が存在しなかったからだ。だから、君が緩衝剤となれ。謝りに行く前に、謝る原因を潰すんだよ」
福沢が工作課の積極運用を目指すに当たり、数時間前に島根支部長に進言した課題は2つ。『他部署との連携強化』。そして『工作課自身の問題の解消』。
この課題に対し、福沢はまず工作課職員の運用を見直す事にした。福沢の頭には既に、工作課職員の経歴や性格傾向、人間関係がインプットされており、それからアウトプットされた解決方法がAlter Egoの積極運用だった。
身体機能、精神強度、各種技能。全てに置いて、平均以上のスペックを持つ人工人間Alter Ego。欠点は無いが、他の工作員の持つような圧倒的長所も無い。福沢はその特徴を鑑みて他の工作課職員の持つ圧倒的な長所と、致命的な短所を中和するのに打ってつけであると見ていた。
さらにAlter Egoは問題対処担当という立場にあった事から、どの職員がどのような状況に置かれるとトラブルを起こしやすいのか熟知しているだろう。たどたどしくはあるが、工作課の問題点も明言したので、現状に対する危機意識も持っている。
理想的なのは福沢が全体の運営を行い、それを受け田中がリーダーとして現場に立つという体制だ。
だが、この面接に置いて服沢は、田中がリーダーシップを発揮するタイプでは無いと痛感した。指示に対して従順ではあるが、受動的過ぎる。また、信念といった物もこの面接から見えてこない。
だからこそ、補佐という形で、他の職員のサポートを行うのが適任と考えた。
「はぁ…」
これに対する田中の返答は曖昧さの残る物だった。
今まで忙殺されてきた事務からの解放。田中からすれば魅力的な話に見える。一方で、奇人変人たる工作課職員の補佐。つつけばどんな苦役が発生するかは予想もつかない。これは猛獣だらけの動物園で、飼育員をするような物だ。
それに異色の課長就任、突然の担当解任、そして新しい仕事。新しい事が目白押しで、今一歩、今後に対する姿勢がはっきりしない。目は何もない机ばかり見つめる。
「まぁ、最初からすべて上手くやれとは言わんよ」
福沢が見かねて声をかける。
「俺がここの責任者になったんだ。最終的な責任は俺が被る。当然、仕事である以上はお前にも責任は持ってもらうが、俺が求める責任取り方はたった一つだ。いい加減、顔あげろ」
言われるがまま田中は顔を上げる。目の前にはこれから自分の上司となる男が毅然と田中を見つめる。
「失敗は放置するな。必ず、次に繋げろ。これは誰の為でもない。お前の為だ」
田中は少し荷の下りた心地がした。例え困難であっても、孤軍奮闘でいるよりは居心地はいいだろう。そう言えば最後に仕事の愚痴を誰かに話したのは何時だったか。
「善処します」
「おう。…所で他の職員は?オフィスを覗いても誰も居なかったんだが…」
「…オフィスに毎日詰めているのは私だけです。皆、救援要請がかかってから動けばいいと思っているので」
福沢は頭を抱え、深くため息をつく。
「こりゃ前途多難だな」
「はは…」
田中からは苦笑しか出なかった。