宣告
セキュワ市街は陰鬱した雰囲気で満たされていた。住民の生活は過酷だ。セキュワは水運の中継地になることで発展し、潤ってきたのに。それも今では懐かしい思い出となってしまった。時たま、冒険者の護衛付きでキシュウの街からやってくる隊商が唯一の外部との接触だ。そこでどうしても足りない物を買い入れるのだが、キシュウ候の命令でやってくる彼らが扱う商品はべらぼうに高い。足元を見られているだけではない。セキュワまでの道のりをやってくるのにかかる護衛費、食費、保険代、整備費――そう言ったものが価格にたっぷりと跳ね返ってきているのだ。おまけに、一通り商品を売り終わると彼らはさっさとキシュウへとんぼ返りしてしまう。セキュワの酒場や店屋でいっさい金を使わず、すぐにだ。今のセキュワには交易で得られる商品がないということでもあるし、実際問題として、今のセキュワに長く滞在しすぎることは商人にとってマイナスであるのだ。商品の単価は高いかもしれないが、魅力のある商品を買い取れるわけでもないし、何より道中にかかるコストですべてが打ち消される。早いところ中央に戻っていつも通りの商売をしたいのだ。冒険者に街の者が頼み事をお願いしようとしたところで、雇い主を送り返すまでは無理だと言われる始末。そのうち隊商も来なくなってしまった。
そうなってくると、今度は港で虫のように寄り集まり、うごめいている水夫どもが癪に障るようになってきた。最初は気心の知れた商売仲間だと思って寝食を提供したりもしたが、どうもそんな余裕も消えかかっていた。これからは自分でどうにかしてくれといっても、あとのない水夫たちは必死に食らいついて譲ろうとはしない。
そんな中でデボンの示した解決策は画期的だった。今まで誰にも出来なかった事、心のなかで堆積していたよどみを具現化するような考えを披露し、それを実行に移すだけの行動力を持っていた。わざわざセキュワにやってきて偉そうに指図しておきながらモンスター退治ひとつ出来ない水軍を黙らせたり。港でのさばっている水夫たちに指示して危険な街の外へ狩猟をさせたり。役に立たない水夫たちが一転して自分たちに益をもたらしたことに住民たちは驚き、デボンへの信頼をますます深めた。最近ではボランティアと称しては日常のつまらない雑事を水夫に押し付けるようになっていた。
それはデボンにとっても都合のいい事実のように思われた。マルヴェス卿はすでにイースタル航路への興味を持っていない、とデボンは考えていた。航路の安全を確保するのはマルヴェス卿ではなく水軍、ひいては冒険者たちだ。マルヴェス卿はいい機会だとばかりに、本来イースタル航路に投入するはずだった船舶を投入してまで兵団の軍事輸送を実行している。
(卿はご自分の地位を用いてこの難局を乗り切っておられる)
デボンは心の中でそう見当をつけた。そして、それこそがデボン自身の野望でもあった。
(ワシもいつか、卿と同じそれ以上の力を……。そのための足掛かりは築かれつつあるのだ)
水夫たちを動員して得た富、困難をともに乗り越える予定のセキュワ住民から期待できるデボンへの支持、マルヴェス卿との間に作り上げたコネクション。それらはすべて、キョウの貴族院へデボンが仲間入りし、地位を得るに必要なものだった。いずれ蜥蜴人騒動が終息し、交易が復活した暁には、マルヴェス卿はウェストランデ廻船が持つイースタル航路の統括を自分にまかせてくれるだろうという思惑もあった。イースタル航路は今でこそ頭痛の種だが、それが生み出す富は莫大だ。そんなところを受け持てば自分のところにもいくらか袖の下が飛び込んでくるだろう。
デボンは冒険者に期待していた。冒険者は元老院と結び、ウェストランデに変革をもたらしてる。だが所詮は冒険者、大地人が自分たちの中で誰と付き合っているかなど気に留めはしないと思っていた。ここでの事態が水軍の手に負えないことが明らかになれば、冒険者がやってきて風のように平和をもたらすハズだったのだ。そうなれば水軍のメンツは丸つぶれ、セキュワの一件にかかわった者は降格処分・懲罰部隊行き、あるいは強制除隊という流れになるのは目に見えていた。しかもそれはマルヴェス卿の政敵が水軍内に保持する子飼いなのだ。
(それなのに……!なにが悲しくて水軍の手助けなんぞ!やはり冒険者などに常識は通じんのか)
悩ましい問題だった。手下の水夫どもを使って水軍とともにいる冒険者たちについて調べてみたが――そこでは冒険者が水軍あいてに訓練を施しているのを目撃したという。水軍をこの地にとどめ続ける気なのだ、とデボンは驚愕した。そうしてこまごまとした雑魚の相手を任せ、どうやってもかなわない相手の時だけ自分たちが出てくると。
それだけでもデボンの脳裏に展開された出世への未来予想図が書き換えられていく感覚を背筋に味わったのにも関わらず、冒険者はまた何やらしでかしているらしい。
(まったくコイツは悪いニュースしか届けられんのか!)
デボンは恨めしそうな目を斜め下方向へ向けた。視線の先で肩がびくっと震えた。ディアノーグ号の船長が椅子の上で縮こまっていた。
「もう一度言ってみろ、お前さんよ」
こめかみを掌底で揉みながら雑に言い放った。そうしなければ頭痛の痛みを我慢できなかった。
「へぇ……それというのも、冒険者、がた、が街中で何か露店売りをしとるようで」
そこで船長の口は止まってしまった。デボンは怒鳴りたくて仕方がなかった。
(そんな最小限の事実だけ教えられても仕方ないだろうがよ!)
"何を"売っているのかまで教えるのが普通だろうが、と思ったがもう口には出さない。こんな、明らかな格下にちょっとでも気を使ってやっているのが腹立たしいと思わないでもなかったが、いちいち怒鳴っては話が進まない。体力も限界だ。なにより気力が乏しい。
「な・に・を、冒険者は扱っておるんだ」
だからこんなつまらない相槌を打って言葉を引き出さなければならない。くそっ、こいつには厄が憑いている。きっとだ。そうに違いない。
「ああ、それは。あの……」
「なんだ?」
もういいから、早く言えコンチクショウ。
「冒険者、は、味のある料理を振る舞っておるようで……」
デボンは目を見張った。そんなこと、本当なら一大事だ。
大地人にとって食事はただ腹を満たすためだけのものだった。"調理師"、"料理人"の類は単に見栄えの良い食事を用意するためだけのものだ。交易上の重要な街ともあって、うわさが伝わるのは並みの地方都市と同じかそれ以上に早いセキュワでもそうした試みがなされた。最初は旅亭や酒場で、次に普通の家庭で。街には様々な料理屋や飯屋ができ、凄まじいカルチャーショックがセキュワを襲ったのだ。しかしそれも、街を保護するために大量の薪木を使うようになってからすっかり下火になっていた。そもそも市場に薪が売っていないし、売るには普段の何十倍の値をつけなければ手に入れる労力に見合わなくなっている。さらに、街の周りの木は猛スピードで減少を続けている。毎日誰かが木を切り倒しているのだ。その現場はすべてデボンの水夫が見張りをして住民を寄せ付けていない。食糧にしてもそうだ。デボンが雇い入れた水夫はあちこちの釣り場を数の暴力で占領している。
「確か、うわさでしか聞いたことはないが。冒険者はいくらでもアイテムを持ち運べる鞄を持っているのだったな」
「へぇ、確かに。うちの者たちも船で一緒になった時に見やした」
船長が首肯した。それはもう、手品のようにアイテムが出てきまして、と船長は続けた。その時のことを思い出しているのか、うっすらと笑みが浮かんでいる。もちろんデボンにとって状況は正反対だ。
今までデボンは物の流れを制限し、自分の言うことを聞く店でだけ販売できるようにしてきた。そうやってできた利益はほとんど全部デボンのものだ。街全体を犠牲にしながらデボンへ金の流れを変えるようにした。デボンへ向くはずの憤りや不満も、身近にいる水夫たちが肩代わりしてくれるはずだと、デボンは踏んでいた。なんといっても実際にうじゃうじゃと街に居ついているのは水夫たちなのだし。デボンにしても、街の連中がみな飢え死にとなっては困るので時たま、思い出したように寄付を行ったりもしていた。……だからといって街の反感すべてが消えるわけではないが。
(要は加減の問題なのだ。生かさず殺さずで利用できるのがベストというもの)
冒険者はそれを乱そうとしているのか……?思案の間にも船長はまだ話していた。
「それに冒険者、たちは、共同の料理場を開いておりました。火の精霊かなにかを呼び出して……」
デボンはため息をつきそうになった。まったく予想できん!奴らはどれほど同じことができるのだ?もしかしたら、ワシが水夫どもを外で使っているのも邪魔立てしてくるのか?
「おい、船長。冒険者らには誰を迎えによこしたのだ?」
船長はまだダラダラと報告をしていた。中身のないそれを断ち切り、聞いた。
「あっ、と……冒険者たち、には船の者が向かっとります。もうすぐでは……」
しどろもどろになった船長が言った。まだ口がパクついている船長が何か言う前にデボンは立ち上がった。
「よし、もう分かった!冒険者たちのことはご苦労だった。もう良いぞ」
だから早く帰れ、と言い放つとデボンは執事を呼んだ。これも願掛けだ。しっかりと厄には出て行ってもらわんとな。
「冒険者がたのご活躍はワシの耳にもよく聞こえてきますな。街の住人として頼もしい限り」
デボンはそう言いながら氷雨やムルムルの前を案内するように歩いていた。わざと遠回りしているのではと勘繰りたくなるほど廊下が続く。ひたすら絵画と壺と扉が中身の入っていない鎧に守られていた。執事はデボンの指示でどこかへ姿を消していた。
「光栄です。こちらこそ、街の様子は聞き及んでいます。住民と水夫の仲を取り持つのに大きな役割を果たしているようで」
そうムルムルは答えた。ははっ、と謙遜するかのような笑いを漏らしてデボンは手を顔の前で振った。
「冒険者がたが街の者のため様々な取り組みを始めたことに比べられば微々たるもの。街の平安はワシの喜びですな」
そうしたやりとりの末に、彼らは応接室についた。デボンが扉を開け放ち、ムルムルがそれを引き継いで扉を押さえた。氷雨が部屋に入った時には、デボンは自分のソファの前だった。席を勧めるころには腰をおろしていた。
「しかし、それ故に分からんことがありますな」
デボンがそう疑問を発すると、いつの間にか合図を受け取った執事が飲み物を各人に置いた。
「セキュワ大島にいるあなたがたの仲間のことなどは特に。水軍の訓練などしているとの噂ですが、どういうことでしょうな」
デボンは鋭い目をつくった。
「冒険者は水軍の代わりに来たのではないのですかな」
それが、一番の関心事なんだな、と氷雨は思った。氷雨はまったくムルムルの付属品であるかのように静かにしていた。会話の最中に飲み物に口をつけ、目の端で部屋を観察する。いかにも魔術師然とした冒険者がすることには常識うんぬんと文句をつけがたいのか、デボンはとがめるような視線を向けるだけで何も言いはしなかった。
「事は根が深い問題です」
その光景が少しも目に入っていないかのように、ムルムルは話し始めた。
「島にいるモノですべてとも思えませんし、海の安全も確保しなければなりませんから。水軍とともに解決するというのが僕たちの方針です」
水軍の代わりではないんですよ、と伝える。
「そう言うのは簡単だが。街の負担はどうなるとおっしゃるのか?みな冒険者がすぐに解決してくれるのを心待ちにしているというのに」
厳しい表情をして詰問して見せた。
「本当なら、この街に残っている冒険者がたにも蜥蜴人討伐に加わって欲しいのですぞ」
それが街の総意だ、とでも言わんばかりに。いかにもここにいて欲しくなさそうな雰囲気だ。氷雨はいよいよ目玉を動かして部屋を観察していた。透視を試みているかのように壁を擁ししてみたと思えば、ごそごそと手元を探っている。
(なんなのだ、こいつは……探している、のか?)
冒険者。古来種に匹敵する超人たち。ヤマト各地の秘境に潜り、聞いたことも想像もできないモンスターたちを打ち負かす。そういう連中は、連中自身も把握しきれないほど特殊な技能を身につけていると、聞いたことがある。
(こいつ、そうなのか?何か、透視をする能力でもあるのか?)
デボンはソファの上で座りなおそうと身じろぎした。デボンはまったく、氷雨に目を向けないように努めていたが、吸い込まれるように視線が向くのは避けられなかった。
ムルムルはデボンが氷雨について何か言い出す前に口を開いた。
「島の蜥蜴人を殲滅するだけなら簡単でしょう。しかし実際は、群れの居場所も見つけなければなりませんし、海に逃げられると冒険者だけでは困ります」
そうしてムルムルは続ける。
「水軍の、大地人の皆さんすべての協力が必要です」
実のところ、氷雨に対する疑いはデボンの深読みだった。氷雨もムルムルも、シルキィや二之丸とは違って直接、戦闘力に寄与するようなサブ職業を選んでいた。だから、戦闘以外の時に自分の身ひとつで使える特技はほとんどない。氷雨が相手にわかる程度にこそこそと部屋を嗅ぎまわる真似をしているのは、ひとえにプレッシャーをかけるためだ。
デボンは背をソファに預けた。
「協力とは?どういうことですかな?」
「街の警備を中心に、手助けができます。街の人から聞いたのですが、水夫の皆さんが街の外にまで木を切りだしに行ったりしているそうですね。後は自警団が狩りに出ると」
デボンはうなずきを返した。
(こやつら、短い間にどうしてそうも自信たっぷりに……)
もちろん、そんなことを許すわけにもいかない。
「それは必要のないことですな。水夫たちはお互いで支えあって、自分たちの戦いを生き延びておりますから。冒険者がたの差し出される手は必要以上に大きなものとなるでしょうなぁ」
そうデボンは言い、さらに続けた。
「冒険者がたの方法では、水夫たちの居場所を奪いとることになる。お分かりですかな?今の水夫たちの立場は非常に、危ういのですぞ。街の者の危険を肩代わりすることで、ようやく決定的な崩壊を免れているというのに」
困ったような顔をして言った。
「ワシが水夫たちの肩を持つのもそのため。バランスが重要なのです」
「帰ってこない水夫も大勢のようですが」
「犠牲なしにはもう何もできんのです。セキュワただ一つではとてもとても、養いきれるものではない。もしあなた方が全力でセキュワ大島に向かい、忌々しいモンスターどもを駆逐すれば。海の平和もすぐそこではないですか?」
デボンは早く、ウェストランデの中心にいきたかった。あまり軍人を好んでいないこともそこから来ている。貴族が軍人を低く見ているのは周知の事実。この騒動でかき集めた資産と水軍の反主流派つぶしに一役買ったという手土産があれば、夢の貴族院入りは目前だ。
「それが賢いやり方のように思えるのですよ、ワシには。それなら街のかがり火は必要ないはずですな?夜は冒険者がたも戻ってくるのだから」
デボンには、それが唯一の正解なのだと人を圧倒させるような雰囲気を発することができた。しかし、ムルムルと氷雨はそれがウソだと知っている。街の平穏を守ることは目的なのではなく手段だと。
「そうでしょうか」
それにこっちにだって策がないわけじゃない。
「おそらく、島のモンスターを駆逐するだけでは十分でないはずです。しばらくはセキュワを拠点に周囲の海をパトロールすることが必要でしょう。そのときに、水軍に少しでも力を身につけておいて欲しいのです」
「だから!そのための時間、住人が苦しむのだと――!?」
激昂はムルムルに制された。
「お待ちください。そもそも、こちらへ伺ったのはひとつご報告をしたいから、なのです」
「報告?」
訝しげな目つきになって聞き返した。
「ええ。我々ウェストランデの冒険者はミナミでギルドを――ああ、なんというか、大騎士団を結成したというのは知っておられますよね?」
訳が分からずコクリとうなずく。それは、キョウの貴族院を志しているのだから、知っていて当然だ。奴らは大地人の政治にかかわりを持っている。
「こちらに来てから思ったのですが。僕たちには能力の及ばない部分があると痛感したんです。特に、港の水夫たちのことは」
「あ、ああ……」
しわがれ声のような相槌しか出来なかった。一体なにが言いたいんだ?
「それで、所属しているシクシエーレの執行支部に、僕たちの仲間に援助を頼んだんです。そうしたら、キシュウ支部の方へ掛け合ってくれるという返事が来まして――つまり、数日中でセキュワに荷馬車隊がやってくるんです」
デボンは固まった。表向きの顔の通りならこれを素直に受け止め喜ぶところだが、脳裏には様々な思考が駆け巡った。
「数日というのは何日なのだね?」
「二日ほど、という話でした。先発隊が物資と引き換えに水夫たちを回収していくそうで。それなら僕たちの手持ちと、街の備蓄でどうにかなると思います。そこでデボンさんにはぜひ、ご助力をと思います」
そう言うムルムルの声が遠く聞こえた。セキュワは陸の孤島ではなかったのか。これではせっかくの水軍の転落劇も、水夫との契約もご破算になってしまう。売りさばくはずの商品が。
「今回はその話をしに参りました。いかがでしょうか」
逃げなければならない、とデボンは思った。これは死刑宣告だ。
「あまりにも……衝撃が大きい話だ。だからその、考える余裕をくれないかね?返事はおって返そう」
分かりました、とムルムルが言った。執事が扉を開けて出口にあんないするときにも、魔術師めいた冒険者は見透かすような視線を向けていた。
毎週8000字を書くことで精いっぱいな自分ですが。最後の支部に連絡うんぬんは書いてるときに思いつきましたので、以前の話に伏線めいたものを挿入していませんことを、この場でお詫びしたいと思います。




